H部屋
下町の風情溢れつつも雑多な駅前にあるガールズバー『ちむちむハウス』の内装は薄汚い外観に反して高級感があり、そして色気があった。
入口から入ってすぐにボトルが整然と並んだカウンター席があり、その奥に大きめのテーブルが四台、グランドピアノが置かれたラウンジが広がっている。
基本的にはこのラウンジで、女の子たちが癒しを求めにやって来た男たちをもてなす。お酒が切れたら、追加オーダーをカウンターへ行って求めるという仕組みである。
「サン美ちゃん、彼氏とかいるの~?」
「OK!」
ここ数日『ちむちむハウス』の一か所に男たちが群がっている。サン美こと女装した三代目の持ち場だ。
どうせ学校のない身の上なので、三代目は店に入り浸っていた。客と関わっていく内に簡単な日本語は覚えていくし、空き時間には澪に買ってもらった本で勉強している彼は徐々に語力を伸ばしつつあったが、言葉を理解できなかった場合は「OK!」と返事する傾向にあった。
「スッゲーかわいいんな……いい新入り来たジャン」
「ほんと。ウチのお客さん、全員とられそッ!」
「う~ん、サン美ちゃんとおちんぽジョイナスしたいから、ドンペリ頼んじゃおっかなー!」
「OK!」
「ボーイッシュな声が射精をうながすな~。うっ、ピュッピュッ! おっと、パンツん中で出ちまったぜ」
「LINEやってる? あとでラブホ行かない?」
「同じ女としてなんだか悔しい~! サン美に嫉妬ぉ~! ジェラシィ~!」
ここまで人気が一点に集中していると、同じ店の女の子たちはむくれてしまう。
真智子は休憩中の事務所で、嫌がらせのひとつでもしたいのだが、サン美の人柄と見た目の異常なよさに負けて、攻撃を加えようという気にならない……と数人の店員が話しているのを聞いたことがある。
そもそも女ですらない、カツラを被っただけの少年がなぜここまで人気なのか解せない。それ以上にこれでも猛烈にモテてきた自分が、誰にも声を掛けられずに末席にただ座っているだけのこの状況がもっとも解せない。
真智子は死んだ魚のような目で、三代目たちの席を見詰めていた。
「どうしよっかな~。ラブラブ☆個室コース、サン美ちゃん指名しちゃおっかな~」
「三十分、一万円ねー。延長三十分ごとに二万追加」
同席していた女の子が指を折った。
「ラブラブ☆個室コース?」
営業スマイルを崩さないまま、三代目が首を傾けた。
「店長から聞いてないの~? ラブラブ☆個室コースはお客さんとふたりっきりでイチャイチャ! Hはダメ。一応ね!」
「?」
三代目はよくわかっていない顔をしている。
まずいなぁと、真智子は思った。どう考えてもそれは裏営業である。薄々わかってはいたが、この店はブラックもブラック。いつ摘発されてもおかしくない職場だ。
「OK!」
OKじゃない!
「はぁ~、天使。つら。おれのチンポしゃぶり倒して欲しい。二時間でよろしくー!」
男が三代目の手を持って立ち上がった。さすがにこれは止めないといけないと、真智子も立ったが。
「待つだよ」
カウンターのほうから野太い男の声がした。場を一気に黙らせる圧のある、風格に満ちた
「その娘はオラが指名するだよ」
ガニ股でやけに長身な男が歩いて来た。緑のジーンズ緑のタンクトップ。タンクトップはサイズが合っていないため、ぼよついた腹が飛び出ている。でべそだ。すねにはマチェテのような刃物をベルトで巻きつけ、上半身にはなぜかショットシェルを下げている。緑のよだれかけ。頭には安全第一と書かれた黄色の安全ヘルメット。目の下まですっぽり被っており、鼻と口しか出ていない。
そんなあからさまにイカレた男が割り込んで来た。
「なっ、なんだよ……! おれがサン美ちゃんとHするんだッ!」
「セックス……男と女の格闘技だしょ。勝つか、負けるか。そういう勝負だしょ。弱者には務まらんだよ」
なにかほざいていて、男は先約を押しのけると三代目の前に立った。
「オラの名はデイブ。オラと部屋に行くだよ」
「OK!」
OKじゃないから! 早く日本語習得しろ!
三代目とデイブが入室した店の最奥にある個室。ドアには「H部屋」と丸文字で書かれた札が掛けられているが、三代目にはその意味が伝わらなかった。
彼の顔が曇ったのは、中に入ってすぐのことだった。
H部屋の内装がすさまじい。床はハートが描かれたタイルで埋め尽くされ、ピンクのお姫様ベッドが中央に置かれている。なぜか天井からは星の飾りが垂らされており、狂気を加速させていた。
性知識に疎い小学生の三代目にも、なにかこの異様な光景から察するものはある。
「さ、シャワー浴びて来るだよ」
デイブにどんと併設された浴室に押された。
「シャワー浴びたら、たっぷりオラのマラで
風呂に入れと言われているらしい。だったら風呂場から逃げ出してやる。
浴室のドアを開けて中に入ると、そこもまたハートのタイルと垂れ下げられた星。真ん中に大理石の風呂と、バラの造花が巻きつけられたシャワーが立っていた。
「クレイジー……」
唖然としてぼそりとつぶやくと、背後に熱のある気配を感じた。
デイブがはぁはぁと吐息を漏らしながら、三代目のうしろにたたずんでいた。
「も、もう辛抱たまらんだよ……!」
秒で乗り込んで来たデイブに驚愕し、熊から避難するように目を合わせながら三代目はうしろにザザザと、壁に背中が当たるまで後退した。それにデイブもついて来る。
むずと三代目の服をわし掴むと、デイブが力任せに引き千切った。少年の柔肌があらわになった。
「キャー!」
「!!」
デイブが全裸になった三代目の下半身を凝視した。目はヘルメットで見えないが、動揺しているようであった。
「チンチン……!? お、おまん……男か……!?」
気分は最悪だったが、これでよかったのだ。これでいいはずだと、三代目は内心でほっと胸を撫で下ろした。
「残念だったね、ぼくは男だよ」
英語で勝ち誇ったように言う。
「さあ、帰った帰った!」
「ぼろん」
デイブがジーンズを脱いだ。唐突に真顔でペニスをさらけ出したのである。
しかもそれはギンギンに肥大化して――
「な……!?」
「オラの性癖にジャストミートしただよ。始めようか、オス同士の肉欲テンペストを……」
三代目の頭をデイブがわし掴みにした。ぐぐと力がこもっている。引く力だ。どこに寄せようとしている? ペニスだ。
なにがしたいのか、小さな三代目には理解できない。だが口にペニスが近づいて来る。このまま行けば、えらいことになるのは間違いない。
「うわああああ」
焦りに焦り、パニックを起こして放った渾身のアッパーであった。
ゴチャとデイブの股間を下から潰した。袋、玉、棒……そのどれもが死ぬパワーである。
「ッッッ……」
デイブはなにも言葉を発しなかった。悲鳴さえも、雄叫びさえも。
打たれた瞬間にビクッと
翌日、また三代目の席は大盛り上がりだった。
「あのイカレ野郎の金玉潰したんだって? やるなぁ、サン美ちゃんは!」
「ヤバそうな奴だったし、助かったわ~」
「今日こそ、おれがサン美ちゃんを指名するから金玉潰さないでくれよ~?」
などと男女が会話する横で、真智子はやはり端の牛乳ドリンクバーにいた。
昨日は三代目のことだし大丈夫だろと思い、一時は彼を放置したものの、結局は気になって様子を見に行った。彼女がH部屋の浴室で見たのは、しゃくり上げて泣く全裸の三代目と、つま先立ちのガニ股のまま絶命した下半身を脱いだオッサン、デイブであった。
変なものを見たショックで体調が優れない。機嫌も悪い。
「人妻はいねーがー!」
いつからそこにいたのか、突然に僧衣を着た入道頭がラウンジの真ん中で叫んだ。仏門の者のようだが、それがなぜこんなガールズバーに?
「東京四大破戒僧では!?」
東京四大破戒僧!
殺生や色に溺れるなど、戒律を破った聖職者のことを破戒僧というが、中でも破戒し過ぎた伝説級の四人が東京には存在するという。真智子も噂では聞いていた。
「いかにも。拙僧、人妻狩りの
誰も顔を伏せて、なにも言わない。当然である。ここに人妻はいない。いるのはお金欲しさに年齢詐称する少女と、大敵を待ちわびる女装少年と――
人妻である。
「ピンピーン!」
柴漬が真智子を発見した。
どういう嗅覚をしているのか、完全に真智子に狙いを定めている。
「店主! H部屋を借りるぞ!」
柴漬は真智子の腰に手を回し、強引にH部屋に運んだ。
正気を疑う、一分もいれば目が潰れ、精神が崩壊しそうな毒々しい内装の部屋に真智子は運ばれてしまった。
「拙僧はマラを洗って来るので、しばしここで待たれよ」
そう言って、柴漬が浴室に入った。ドアが閉められる。
真智子は怒っていた。
あたしが夫以外になびくと思うか、
澪と同じ、携帯用の組み立て式の手槍をカチカチと作り、浴室ドアの真ん前に片膝を突いてしゃがんだ。
「タオルを」
「おお、かたじけなし」
ひたひたと向こう側からドアに近づく足音がする。柴漬がこちらへ来ている。
二歩。一歩。――ここだ。
「せいッ!」
手槍をドアに思い切り突き入れた。串刺しの手応えがあった。
ドタタッとドアに肉体がぶち当たる音。ガラスにビシィッと鮮血が吹き掛かった。
真智子が手槍を引き抜くと、柄の半分あたりまでがぐっしょりと血で濡れている。
ドアを開けると、うつ伏せになって柴漬が倒れていた。
「よし」
真智子が「よし」と、さも会心の出来というふうに言ったのは、柴漬の心臓を一突きできていたからである。
翌日、真智子は三代目と同じ席で、店員たちと客たちに囲まれていた。あの東京四大破戒僧を刺し殺した猛者と一目置かれたのだ。
三代目は苦笑するしかなかった。
柴漬が真智子の腰に触れた時点で、こうなると思っていた。実際そのとおりになった。それを彼女が許すのは夫くらいのものであろう。
「すごいよなぁ、破戒僧を仕留めちゃうなんてなぁ」
「ドア越しに心臓をね~。プロだわね~」
「練馬区の治安ランキング下がるな、これは」
と、酒を飲みながら話していると、カウンターから「中山さん!」という店長の声が聞こえた。それを聞き逃す三代目と真智子ではない。
「あかり、いんのかよ?」
「今日は休みでして! でもその代わり、いい新入りが入ったんですよ! どうぞH部屋使ってください、無料でいいですよ!」
「どんな奴だ」
「ボーイッシュめの紫ロング! 体育会系のガタイで貧乳ですが、たおやかな白い肌とぷるんとした唇はエロスです! 気に食わない客の金玉を潰すくらいには強い女ですよ!」
「おいおい、興味津々だよ」
おべっかを使う店長に先導され、巨大な、太い男が現れた。常軌を逸した筋肉の鎧をまとっている。金髪の短髪。ピアスだらけの耳。傷だらけの皮膚。
爬虫類のような顔――およそ正の感情などは持ち合わせぬ欲望のままに動く怪物に、三代目の目には映った。
「サン美ちゃーん、挨拶してー。常連さんだよ~!」
店長が汗をにじませて言った。客も店員も全員が、我関せずというふうに顔を伏せている。今すぐにでも逃げ出したいというオーラが出ている。
「OK!」
三代目が飛び上がって、中山の顔面を激しく蹴った。
やるか、ゴジラ野郎。営業スマイルではない、もっと熱烈な笑みが三代目の顔に浮かんでいた。
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