第3話 罠
それから数日後。
タリアの王は夜になっても、謁見の間でバモスと政策について話し合っていた。
バモスは彼よりも若く、小柄で色白だがしぶとい生命力を感じさせる男である。
文官なので武功はあげていないが、頭の回転が速くすこぶる有能で、長年国政の重責を担っていた。
会見が終わり、王は立ち上がったバモスを
「今宵もご苦労」
と呼び止め、
「次の間で小姓に用意させてあるから、少し酒でもどうだ」
と誘った。
二人が次の間へ入ると、王妃がにこやかに迎え入れ、バモスは膝をついて丁寧に王妃への礼をした。
テーブルにはヴァイン酒の入った精緻なカットの施されたグラースが二つ並べてある。
王と王妃とバモスはテーブルを囲んで座り、王は小姓に下がるよう命じた。
バモスは王妃に
「このような遅い時間までお待ちいただいていたとは恐れ入ります」
と言った。
王は暗赤色のヴァイン酒をバモスにすすめ、二人は
「王家の繁栄と王妃の永遠なる美に!」
とグラースをかかげて一気に飲み干した。
王と王妃の目がキラリと鋭く光る。
王が「ところで、マティア国の件だが」と言うと、
「マティア側に何か新たな動きでも?」とバモスは素知らぬ顔で答えた。
「いよいよ私の命を狙っている深刻な状況と聞いている。
そなたには心当たりのある者はおらぬか?」
「私もいろいろ調べさせておりますが、マティアの手先は狡猾でなかなか見つけ出せません。
王の尊いお命を守るため、このバモス、何としてもマティアの謀略を阻みますゆえ、いましばらくのご辛抱を」
「王妃やシャルルにも危険が及ぶかもしれぬ。しかと頼んだぞ」
バモスは王妃に頭を下げ、顔を上げつつ舐めるような上目遣いで王妃を見ながら
「もちろんです。お美しい王妃や聡明なシャルル様には、魔の手の指先一本たりとも触れさせませぬ」
「そなたの忠誠にはいくら感謝してもし足りぬな」
「恐れ入ります」
バモスは口元だけで笑顔を作ったが、目は暗く光ったままだった。
王は重ねて何か言いかけたが、突然、不審そうに眉をひそめたかと思うと、次の瞬間目をかっと見開き、額にはみるみる玉の汗が噴き出した。
王はふらつきながら立ち上がり、目を血走らせ汗をぼたぼたと垂らしながら、真っ青な顔色で
「た、立て続けの会議の疲れが出たのであろうか…?
バモス、すまぬが今夜はもう下がれ…」
と退室しようとしたが、そのまま前につんのめり、がっくり膝をつくと、王の紋章を織った厚い絨毯の上にばたりと倒れてしまった。
「も、もしやこれは…」
王はようやく事態を悟った。
「ど、毒が私の酒に?…まさか、王妃よ…」
王妃はすっと立ち上がり、苦しみ悶える王の傍らに立つと
「王よ、お別れですわね」
と美しい笑顔を見せた。
バモスは王妃の傍らで、満足そうな表情を浮かべて薄ら笑いをしている。
王妃は隠し持っていた小鳥の瓶を取り出し、王に向かって軽く振り
「いかにも私たちはあなた様に毒を。
そしてこれは解毒剤。
これを飲めば王はまた、この小鳥のように軽やかな体に戻れることでしょうね」
「王妃よ、そ、それを早く私に…」
「いいえ」
王妃はまた瓶を振った。
中で透明な解毒剤がキラキラと揺れる。
「王、あなた様は長きにわたり、わたくしを顧みることなく、数多の戦と国のまつりごとにばかり目を向けていらっしゃいましたね。
世継ぎのシャルルが生まれてからはなおのこと…。
毎日毎晩、それはそれは寂しゅうございましたわ。
そんな時バモスは、わたくしをことのほか優しく慰めてくれました。
王亡き後は、マティア国の力を借りて、わたくしとバモスでこの国を治めていきますわ」
バモスはひざまずいて王妃の手を取り、指先に熱く口づけをして
「ルルカ様の寵愛を受けられるとは、私はなんと幸せな男でしょう!」
と言い、絨毯の上で苦悶する王にさげすむような眼を向けた。
「王よ、ご安心なされませ。
明日からは私めが、ルルカ様とシャルル様をお支えして、この国の”すべて”を取り仕切ってまいりますゆえ」
王は土気色の顔で息も絶え絶えに
「貴様…ルルカに取り入っていたのか…
ルルカよ、頼む、げ、解毒剤を…」
王妃はこのうえもなく冷たくにっこりと微笑むと、小鳥の瓶を王の顔の前で振り
「美しく残酷に、でしたわね、タリア王さま」
その言葉を聞いて王は絶望に顔を歪め、全身を震わせて懸命に何か言おうとしたが、唇からぶくぶくと漏れるのはもはや血の泡のみとなり、かくてタリアの王は目を見開いたまま苦悶のうちに息絶えたのであった。
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