第215話 カトリナの恋愛指南

 話を聞いてみると、ニーゲルはこれまで爪弾きにされて生きてきたので、共同体で当然得られるような生きる上での基礎知識みたいなものが決定的に欠けていることが判明した。

 俺の世界の基準で言うなら、小学校入学してないくらいだな。

 もちろん幼稚園も入ってない。


 こりゃあいかん。

 勇者村の社会常識については、実生活の中で体得している。

 クロロックという先生もおり、ある程度の礼儀作法なども身につけた。


 だが、基本の基本が無いわけである。


「これは大変だね。骨が折れるよ!」


 だが、やる気まんまんという顔のカトリナである。


「カトリナさんはどうしてそんなにやる気なんだね」


「だってポチーナさんはニーゲルさんを気に入ってるでしょ。ニーゲルさんもポチーナさんのこと好きでしょ。なら二人をくっつけなくちゃ!!」


「凄い使命感だ!!」


 これを聞いていたニーゲルが、目を丸くした。


「す、好きっすか?」


「そうだよ! ニーゲルさん、ポチーナさんを見ててどう思う?」


「ど、どう?」


「カトリナ、ニーゲルのボキャブラリーからしてその辺りを表現するのはキビシイぞ」


「そっか! じゃあね、ポチーナさんと一緒にいたら嬉しくなったり、楽しくなったり、一緒に食べるご飯がすごく美味しかったりしない?」


「するっす。ポチーナさんと一緒だとやる気がすごく出るっす」


「ほら」


「なるほど」


 カトリナの恋愛眼は確かだ。

 世の中の男の七割は基本的に消極的だと言うからな。

 それを覆すために、海外では子どもの頃から異性をエスコートする技術や経験を積ませるらしい。


 カトリナのような、世話焼きは重要なのだ……!


「これはニーゲルさんを教育しなくちゃ! だけど、基本的なところが分かってないので、そうしたらそこを教えていかないと」


「手段より先に本質というわけだな!」


「よく分かんないけど、多分そう!」


 ということで、俺たちは魔本の協力を仰ぐ形になった。

 古今東西の恋物語を収めた魔本たちがやって来る。


『我らの力が必要と聞きました』


『人の無聊を慰める以外に役割があるとは』


『ほう、この男性に恋というものを教えればいいのですな』


「お願い!」


『心得ました』


 魔本たちがやる気だ。

 物語というものは、割とすごい力を秘めている。


 人間ってのは世界をそのままでは理解できないんだそうだ。

 情報が色々入ってきても、それが頭の中で繋がらない。

 断片的な知識なんか、暗記した英単語みたいなもんだ。いざ実用って時に出てこない。


 なので、人間はそういうのを繋げて物語にして覚える。

 こいつを理解とも言うな。

 人間は物語を受け入れやすくできているのだ。


 恋愛感情みたいなものも、講釈するよりは色々な物語のケースを教えて、ニーゲルに自分との共通項を意識させて、それが恋なのだと理解させるのがいい。

 ということで。


 ニーゲルの恋愛物語漬けの日々が始まる。

 カトリナもちょこちょこやって来て、恋愛物語を聞いては涙したりしている。


 ポチーナもこういうお話は好きらしく、ニーゲルが作業中の時、カトリナと二人で魔本の語りを聞いたりしているのである。

 おや……?

 本来の目的は……?


「やっぱり恋の話、いいよね……」


「いいですねえ……」


 うっとりしている二人。

 ニーゲルは仕事をしながら、真面目に耳を傾けているようだ。


 一息ついたところで、「こんな世界があったんすねえ」としみじみ呟いていた。


「ニーゲルの境遇からすると、明日の食物を得るほうが重要だったもんな」


「そうっす。おれ、明日生き残るだけで必死なままずーっと生きてきたから、全然知らなかったっす」


 そういうニーゲルも、俺と会って勇者村に来る縁がなければ、遠からず死んでいたことだろう。

 世の中は厳しい。

 こういう夢のある恋の話は、余裕があって初めて耳を傾けられるものなのだろう。


「で、どうだニーゲル」


「どうっすかね」


「ポチーナのこと好きになってきた?」


 カトリナの質問に、ニーゲルは頷く。


「多分好きだと思うっす!」


「おおーっ」


 俺たち夫婦が沸く。

 ただまあ、恋愛的な感情を意識し、それに名前がついたところまでは行けたが……。

 ここから先がまた長いのだろう。


 焦ることはない。

 二人の行く末をじっくり見守ろうではないか。


 俺はそういう心づもりだったのだが。


「ダメだよショート! ちゃんと気持ちを伝えて、先のビジョンまで見せないと!!」


「カトリナさんが現実的なことを!!」


「だって、ショートだって自分から壁を飛び越えて私の所に来てくれたでしょ! 私は待つばっかりだったし、あのままだと色々逃しちゃうかも知れなかったって、今思うとゾッとするもん! 行動しなくちゃだめ……! ニーゲルさんもポチーナさんも行動……!!」


 燃えている!!

 あの時のこと、カトリナは今でも思い出すのだなあ。

 偶然、ブルストとクロロックが手前村まで出張していて二人きりだったからこそ、俺たちは超急接近したのだ。


 カトリナとしては、ずっと受け身でいた自分に後悔があるのだろう。


「なので、私が二人に個人的指導をしていくのは続きます!! ショートはお仕事してていいからね」


「はっ、二人をお願いします」


 気合に満ち満ちる奥さんに、肥溜め管理人の未来を任せることにするのである。

 カトリナはまさに、情熱あふれる世話焼きおばちゃんだな……!

 間違いなくニーゲルとポチーナより年下だけど。


 というわけで、それからしばらくの間、肥溜めからは魔本が語る恋の物語が流れ続けるのだった。

 ちょこちょこ出向いていたクロロックが、毎回首を傾げていたのが絵的に面白かったのである。

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