第196話 ご近所散歩(五年ぶり)
さて、ご近所を散歩するぞ、と外に出た。
おお……!
懐かしきご近所の光景。
さっき日付を見たら、俺がこの世界から消えて五年経っていた。
早い!!
しかも消えている間に年号が変わってるし。
そんなわけで、カトリナとマドカを連れて、懐かしい家並みを眺めて行くことにする。
「あー!」
マドカが地面に下ろされた瞬間、赤ちゃんの靴が楽しいらしく、トテトテ走り出した。
赤ちゃんダッシュなので大した速度ではないが、確かに手を離した瞬間に動き出すのは危ない。
ハーネスがビヨンと伸びて、マドカの行動を制限した。
「んまー!」
「マドカ、ストップストップ。お父さんとお母さんもすぐ行くからなー」
「そうだよー。一人で行ったら危ないよー」
俺とカトリナでそんな声をかけているが、危ないのは飛び出してきたマドカにぶつかる方であろう。
こっちの世界で、無駄な犠牲を出したくはない……!
「お?」
マドカがきょとんとして振り返った。
うーむ、もうデフォルトで立った状態で動き回れるのか。
赤ちゃんの成長は凄いな。
マドカの場合、体幹が同年代の赤ちゃんよりも早く出来上がっていた気もする。
体は大きいし、よく食べてよく寝てよく動くから、成長が早いのかも知れない。
そしてマドカは、俺たちが自分たちのことをお父さん、お母さんと言っているのにきょとんとしたのかも知れない。
普段は名前呼びだからなあ。
さきほど、母に言われたのだ。
「子どもの前だと、お互いのことをお父さん、お母さんって言ったほうがいいかもね。あなたたちがお互いを呼び合っている名前で、マドカちゃんは覚えちゃうから」
だそうである。
なるほど、含蓄が深い!
だからビンは俺のことを名前で呼ぶようになったしな。
「お父さんだよー!」
「お母さんだよー!」
呼びかけながら二人で近づいたら、マドカはくりくりっと首を左右にかしげた。
「お」
「お?」
「おろ、たん」
「おおーっ!」
「ああーっ、ショートばっかりずるい!」
「ちょー?」
「あっ、いかん。父親を呼び捨てにする形で覚えてしまう! カトリナ!」
「あ、うん! お父さんばかりずるいー。お母さんだって呼んで欲しい! お母さんって! ね、マドカ! お母さん!」
「お、おあ、たん」
「おおーっ!」
「やったー!!」
おおはしゃぎしていると、ご近所の人が通った。
顔見知りのおばちゃんである。
誰かが騒いでるわねえ、という顔だった彼女。
俺の顔を見て目を丸くした。
「あら! あらあらあら!! 翔人くんじゃないの!! あらー!! 何年ぶりかしら! 無事に見つかったのねえ……! 良かったわあ」
「こりゃどうも。見つかったと言いますと」
「あなた、行方不明だったでしょう? 事件にもなってね、テレビでもやったのよ?」
地元の放送局でちょっとしたニュースになったらしい。
密閉された部屋の中から、忽然と消えた青年……! みたいな。
捜索もされたが見つからずじまいだったと。
「でも本当に戻ってきてよかったわねえ。あら、もしかして……お嫁さんを連れてきたの? 可愛いお嬢ちゃんもいっしょ」
「どうもはじめまして!」
カトリナが明るく挨拶した。
「あら! あなたこの間、海乃理ちゃんと一緒だった人よね! そうかー。翔人くんのお嫁さんだったのね。しかも外人さんだなんて! やるわねえ、翔人くん! ほんと、昔はこーんなちっちゃくて、うちの子と一緒になって遊び回って、怪我ばっかりしてたのに……」
「懐かしいなあ。あいつは元気です?」
「元気よー。仕事に行って帰って、ゲームばっかり! 翔人くんはこんな可愛いお嫁さんがいるのにねえ……あら?」
ご近所のおばちゃん、カトリナの額をじーっと見る。
前髪の間から伸びる、立派なピンク色の角。
それも二本ある。
「それは……」
「髪飾りだよ」
「そ、そうよね!」
納得したな。
正常化バイアスというやつだ。
カトリナはよく分からず、ニコニコ笑っている。
おばちゃんもなんとなくニコニコ笑顔に流されて、笑顔になった。
「いい子ねー!」
「だろー」
「いくつなの?」
「まだ成人していない……」
「えっ、犯罪……」
「法律的にもセーフ! セーフな年齢ギリギリだ。それに彼女の親も全面的に協力的なのだ」
「あらまあ!」
俺とおばちゃんのせめぎ合いが行われる。
マドカは退屈してきて、ちょろちょろ走り回る。
ブロック塀をぺたぺた触ったり、お散歩でやって来たおじいさんと犬を見て駆け寄っていったり。
犬が、「わふん!」と鳴いて舌をぺろっと出した。
「わうー!」
マドカが真似をする。
「おや、可愛い赤ちゃんだねえ」
「こんにちはー。マドカが触りたいみたいなので、触らせてもらっていいですか?」
「どうぞどうぞ」
犬はトイプードルである。
マドカがぺたっと触ると、トイプードルがにゅーっと立ち上がり、マドカに前足をてちてちと押し付けた。
「うまー!」
前足をぺたぺたするマドカ。
すると、トイプードルはマドカの手をぺろっと舐めた。
マドカがキャッキャと笑う。
俺も近所のおばちゃんも、これを見てほんわかした笑顔になった。
「まあ、二人が幸せならいいわよねえ。あー、うちの子も結婚しないかなあ……。孫の顔が見たいわ……」
「こればかりは本人のペースだからなあ」
気がつけば俺は、すっかりおばちゃんと話が合うようになっている。
カトリナと結婚して、マドカが産まれて、立ち位置が親になったからだろうな。
マドカは散々トイプードルと戯れて満足したらしい。
バイバイ、と手を振って、犬と別れた。
「よーしマドカ。魔法でキレイキレイしてやろう。そーれ」
魔法を使って、手の辺りをきれいにしてやる。
この時、俺は結界に包まれている事を忘れていた。
魔法に反応して、周囲の空間がぐにゃあっと水に絵の具を垂らしたみたいに歪んで、そこから魔力が広がろうとする。
「やべえ」
俺はこれを捕まえて、ぎゅっぎゅっと元の空間に押し込んだ。
よし、どうにか魔力を、空中に浮遊するビー玉くらいの大きさにできたぞ。
……普通に視認できる感じに実体化してしまったな。どうするんだこれ。
とりあえず、ブロック塀の隙間に押し込んでおこう。
カトリナが後ろからそれを、いいのかなーという目で見ていた。
これでいいのだ。
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