第106話 東のホホエミ王国

 眼下はどこまでも続く熱帯雨林。

 海が間近で、海岸線から陸地までは、見渡す限りの森。

 ここはハジメーノ王国から、遥か東に飛んだ辺り。


 長粒種の米を栽培しているのは、東方にあるホホエミ王国である。

 誰もが笑顔で旅人を迎えることから、ホホエミ王国という名になったらしい。


 ハジメーノ王国とはほぼ交渉が無い。

 というのも、陸路とは言えその国は、グンジツヨイ帝国よりも遠いところにあるのだ。

 普通に旅してたらたどり着けない。


 そこから来た米商人は、よくぞ手前村まで来てくれたものである。


 というわけで、到着までは丸一日掛かるだろう。

 俺は板を支えて飛びながら、目の前に映像を呼び出した。


「ショートさん、それは一体なんですか?」


「うむ。こいつはな、コルセンターと言って、任意の場所とここを繋ぐ魔法だ。今回のこれはカトリナに掛けてあるので、彼女の横辺りに展開する。するとだな……」


 パッと映し出されたのは、マドカにおっぱいをあげるカトリナである。


「アーッ」


 フォスが驚き、赤くなって目を覆った。


「ショート? んもー、繋ぐなら一言いってよね」


「ごめんごめん。マドカはどう? おっぱい飲んでる?」


「いっぱい飲んでる! うんちもいっぱいしたねー」


「ウー」


 おっぱいから口を離したマドカが、唸り声をあげた。

 食事の邪魔をするなと言っているのではないか。

 恐るべき食い意地である。


 マドカはきっと大きくなるぞ。


「そっか、ショートはこれで、ちょこちょこマドカを見に来るんだね? そうだよねえ、生まれたばかりで気になるもんねー」


「うむ……。あと、カトリナの顔を見たいので!」


「まあ! 嬉しい」


 ニコニコ笑ううちの奥さんは大変かわいいのだ。

 かくして、存分にカトリナ成分とマドカ成分を吸収したので、仕事に戻る俺だ。


「あー、焦りました。でも本当に、マドカちゃんって泣きませんよね」


「お腹へった時と、おむつ替えて欲しい時だけ泣くな。たまーに薄目で俺をじーっと見てたりするぞ。何か意図があって泣かないのかも知れない」


「ええーっ、赤ちゃんがですか!?」


 俺、マドカが生まれる時に念話で意思疎通できたからなあ。

 頭の中がまっさらな新生児の状態でそれができたのだ。

 今、猛スピードで頭の中に、世界の情報を書き込んでいっているのかも知れない。


 赤ちゃんとは神秘的なものである。

 帰ったらたくさん抱っこしよう。


 俺がニコニコしていると、ブレインがつついてきた。


「見えてきましたよ、ショート。あれがホホエミ王国ですね」


「なんだと」


 思ったよりも早い。

 熱帯雨林が突然途切れた。

 現れるのは、畑……いや、田だ!


 青々と生い茂る稲穂が見える。

 田だ……!


 この世界に来て、まさか田んぼを見られるとはなあ。


 魔王との戦いでこの辺りも通りかかった気がするが、その時は田なんか無かったように思う。

 ゆっくりと稲を育てるどころでは無かったのかもしれないな。


 田で仕事をしている人々が、俺たちをポカンとした顔で見上げている。

 でかい板が、男三人を載せて猛烈な勢いで飛んでくるのだ。

 普通驚くよな。


 俺はここでスピードを落とした。

 人が歩くくらいの速さにする。


「おーい、すみません」


「うわー、人が乗ってる」


「俺たちはハジメーノ王国の方から、米の苗を買いに来たんだが、それはこの辺で買えるかい」


「ああ、米の買い付けかい? 苗は今の季節は無いよ」


 言われてみればそうである。

 稲が青々と茂っている最中だ。


 むしろ、やるならば、この青い稲をまるごと買う方が現実的かも知れない。


「ブレイン、どうだ。この辺りで買い付けたほうがいいかな」


「ここはあくまで、農作業をしている場です。苗ではなく種籾から育てるなら、ホホエミ王国の町や都に行くべきでしょう」


「なるほど」


 さすがは知恵袋ブレインだ。

 短絡的に、ここで稲を買ってしまうところだった。

 いつかは俺たちが種籾から育てるわけだから、どうせやるなら種籾を買ったほうがいいよな。


「ありがとう。君の住んでる町で、種籾は買える?」


「ああ、それなら買えると思うよ。ただ、買い占めないでくれよ。来年も米を作らなくちゃいけないんだ」


「もちろん! ありがとう」


「良い旅を、空飛ぶ旅人さん」


 農家の人は、笑顔で見送ってくれるのだった。

 なるほど、ホホエミ王国である。


「優しい国ですねえ」


「俺らが礼儀正しく接したから向こうも返してくれたんだろうな」


「なるほど、こっちの態度も重要なんですね」


「そりゃあそうさ。横柄なやつ相手に微笑みを向けようと思うか? 微笑んだ裏側で、こいつをどうにかしてやろうって考えるもんだぜ」


 意味もなく親切な相手は、腹の中で良からぬことを考えている。

 俺が魔王との戦いで得た教訓である。


 マドレノースは社会を侵食する魔王だったからな。

 世界のあちこちに、奴の手の者が深く浸透していて、笑顔で騙して寝首を掻きに来るのだ。

 自然と、最初から親切な相手を警戒するようになる。


 人間、良くされると気持ちを緩めてしまうもんだからな。

 その辺りの性質をハックしたのがマドレノースの攻撃だった。


 いやあ……素直に人の優しさを受け取れる時代になって本当に良かったな!

 もう、微笑みを浮かべた人間の脳内を走査しなくていいんだからなあ。


「ショートさん嬉しそうですね! お米、楽しみですよね!」


「そうだな!」


 俺とフォスのやり取りを見て、ブレインが何も言わずに微笑んでいるのだった。




 

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