第92話 水巡る用水路

 雨季なので雨が降ってくるのだが、これが用水路のチェックにちょうどいい。

 スコールの後で水路を見に行く。


「おうおう、溜まっている」


 川と繋がる道は遮断しているのだが、それでも空から降り注いだ水が溜まり、陽の光を反射して照り輝いている。


「いいですね。水の染み込み具合もほどほどです。あらかじめワタシが粘土を用意しておりまして」


「地面に敷いた石の繋ぎに粘土を!」


「そうです」


 クロロックがちょっと喉を膨らませて、クロクローと鳴いた。

 あれはドヤ顔をしているのだ。


 だが、彼がしたことはドヤ顔をしてもバチが当たらないレベルで凄いので、これはドヤ顔をする当然の権利がある。

 何気に俺のスローライフで、一番大きい助けになってるのがクロロックだからな……!


「さすがはクロロック、俺のスローライフの師匠……!!」


「おだてても何も出ませんよ。後でワタシの秘蔵の干し魚をあげましょう」


 何か出てくるんじゃないか。


 なんでも丸飲み、のどごしで食べ物の美味しさを測るクロロックだが、どうして干物なんか作っているのだろう。

 この疑問をぶつけてみたところ、


「干物は丸呑みするのに引っかかりますし、のどごしが悪いですよね。ですからこれは、水で戻して飲みます。あるいはこれを餌にして虫をおびき寄せるのです」


「保存食と寄せ餌を兼ねていたのか」


「生活の知恵というものです。ショートさんたち人間ならば、このまま焼いて塩を振って食べるといいでしょう」


「ありがたい。カトリナとおやつに食べる」


 そういう約束をしつつ、用水路を入り口から出口まで練り歩くのだ。

 周囲を軽く石で覆っているが、あちこちから草が顔を出している。

 辺境の植物はとてもパワフルで、ちょっと引っこ抜いて石で覆ったくらいではへこたれない。


「うわあ、もう用水路の中まで侵食してきてるぞ」


「雨季は植物が大変元気な季節ですからね。ワタシもこれほど長い間雨季のある場所で過ごすのは初めてですが、生命が満ち溢れている時期だと感じます」


 しゃがみこんだクロロックが、水かきと吸盤のついた手を水の中に差し入れた。

 こんなカエルみたいな手をしているのに、下手をすると俺より器用に動くのだ。


「ショートさん、魚が来ていますよ」


「なにっ」


 まだ川と繋がっていないはずなのに!

 俺は驚いてしゃがみ込む。

 すると、ごく小さな魚だが、スコールで溜まった水の中を泳いでいるではないか。


「スコールで増水した時に、土の中に卵を産む種類の魚ですね。本来ならばこの雨季を越え、乾季が終わった後、次の雨季で孵るはずだった卵が今目覚めたようです」


「俺たちが作った用水路の中に卵が埋まってたのか」


「彼らの卵は、一見して石のように見えますからね。まとめて敷き詰めてしまったのでしょう」


 辺境に生きる小動物たちの生活が面白いな……!

 ところでこれは美味しいのだろうか。

 いや、まだまだ小さい。大きくなってから食べることを考えよう。


「用水路は、一つの生態系だと言えます。小さな生き物が泳ぎ回り、それらへの捕食者が住み着き、彼らはワタシたちのご飯になります」


「なるほど。俺たちは一つの世界を作ろうとしてるようなもんなんだな。ってことは、ちっちゃいスケールの神様みたいなもんじゃないか」


「世の中の農民の方々は、命を作り、育てますからね。その通りだと思います」


「なんだ、そんなに神様とやってることは変わらないんだな」


 俺は感心した。

 用水路の水は抜いてしまおうと思ったが、この小魚のためにしばらく入れたままにしておこう。


 乾季になったら、ここを川と繋げて本格的に使用していくことにする。


 クロロックと二人で、しゃがみ込みながらああだこうだと話をしていたら、フックがビンを抱っこしてやって来た。


「あ、二人とも用水路を見てたんすね」


「ちょーちょー」


 ビンが、俺に向かって手をバタバタさせる。


「ビン、なんかショートさんが好きらしくて」


「なにっ。おっぱい派ではなかったのかビン」


「あぶー」


 どうやら、ビンが俺を探しているのでフックが連れてきたらしい。

 受け取って、ぷにぷにと柔らかなビンを抱っこする。

 こいつは離乳食をもりもり食うので、つやつやとして大変ふくよかに育っているのだ。


「あぴゃあ」


「なに、用水路に手を突っ込みたい? よーし、やってみるがいい」


 ビンが落っこちないように腰を掴んでおく。

 好奇心旺盛な赤ちゃんは、ぷにぷにとした手を伸ばし、水の中に差し入れた。


「ぴゃあー」


「どうだ冷たいだろう」


「あぶぶ!」


「お、ビンの指先を小魚がつついているぞ。美味そうに見えるのかな」


 何やら、魚がどんどん集まってくる。

 そして、交代交代でビンの指先をつんつん突くのである。


 これはあれだな。

 ビンの指がご飯だと思ってるのではなく、神の子に挨拶に来てるんじゃないか……?


「ビンはお魚さんに好かれてるんだなあ」


 フックが楽しげに笑う。

 うむ、自分の息子がどうやら凄まじいことになってるらしいことには気付いてないな。


 ビンに挨拶して、彼の眷属みたいになってしまった小魚たち。

 ますます、用水路の水は抜けなくなってしまったな。


「あぶぶ、あばー」


「そうかそうか。ちょこちょこ用水路を見に来たいんだな」


 俺がビンとお喋りしていると、フックが不思議そうな顔をして、クロロックが瞬膜をぱちぱちさせた。


「ショートさん、ビンの話が分かるんすか」


「ワタシにも分かりませんが、どうやって意思疎通をしてるのですか?」


「あ、そう言えば。なんか最近、ビンの言わんとしてることが分かるんだよなあ」


「あぴゃー。ちょー、ちょー!」


 俺の言葉に、ビンがニコニコしながら手をばたばたさせるのだった。


 そのちょーっての、もしかして俺のことか?


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