第12話「恐怖を乗り越え、強くなるのが王道という話。」


 あの、強烈な抱擁から数時間がたった。



「……ここにいたか」


 職場の屋上に、キャリアウーマン・姫城レイカは現れる。誰かを探しているようだった。

彼女の探し人は、室外機の横にいた。


「センパイコワイ、センパイコワイヨ」


 工多は真っ白になりながら、壊れた蓄音機のように同じ言葉を連呼している。体育座りが非常に虚しい。


「安心しろ。槇峰は上渡川と一緒に買い物に行った。しばらくは帰ってこない。奴も帰ってきたころには熱が冷めているだろう。たぶん」


 自社製ゲームの宣伝や、本社への活動報告などの仕事を終えた姫城レイカ。


職場に戻ってみるや否や、満面の笑みで工多を追い掛け回す槇峰。そして、大泣きしながら逃げていく工多の姿があった。


 槇峰の様子からして、いったい何があったのかを姫城は大体察しているようだった。むしろ、いつかはこうなるのではと予想していたようだった。


 この一件については、周知の事実だったようだ。


「私が止めておいたから立て。聞こえているか、おーい」


 目の前で何度か、手を振る姫城。


 暴走する槇峰に関しては姫城が必死に止めた。彼女は柔道を心得ている。槇峰を見事な一本背負いで止め、その後買い物だとか何だとかで言いくるめて、外へ追いやった。


 もう隠れる必要はない。彼女がそう告げる。



「コワイ、コワイヨ」

「それでも二十の男か。情けない」


 片手で頭を掻きまわしながら、姫城は溜息を吐く。


「シッテタンデスカ、ヒメギサン、マキミネサンガ、アンナブラコンダッテ、シッテタンデスカ」


「知ってるにきまってるだろう。何年、一緒に仕事してると思っている」


「ドウシテ、イッテクレナカッタンデスカ」


「……ああ、確かにこれくらいのことは耳にさせておくべきだった。私の判断ミスだ。すまない」


 この職場でもオアシスともいえる先輩女子の正体が、ブラコンである。

 

小柄の癖してメチャ強いうえに怒らせると怖いリーダー。ガミガミうるさい姫城。そもそもの話、交流の面では壊滅的にデリカシーのない上渡川と……このようなメンツの中で一人大人しく振舞っていたのが槇峰だ。唯一の良心と思うだろう。


 ……いや、そもそも、疑うべきだったのかもしれない。

 こんな不可思議すぎる職場の中、普通過ぎたことに違和感を覚えるべきだったのだ。何かある人物だとは思うべきだったのだ。


「とにかく職場に戻ろう。なぁ」

「イヤダ、コワイ。ホントウハマキミネサン、カクレテルンデショ」

「……ちっ!」


 起き上がろうとしない工多相手に、姫城がキレた。


「男がブツブツと情けない! さっさと立て! 日本男児が!」

 無理やり体を引き起こし、彼の目を覚ますために十字固めをしかけ始めた。

「いたたたたっ!?」

「どうだ目が覚めるか!? 大淀さんから直々に教わった殺人術だ! そこらのプロレス技よりも屈強であると知れ……!!」


 慰めるよりも先に鞭を入れようとするのが彼女の性格である。

 優しくない世界に工多の目が覚め始めていく。これが社会の厳しさなのかと涙を流し始めていた。『大淀ナヅナの殺人術』というパワーワードに対してツッコミを入れる暇もない。


 工多はただひたすら、ギブアップを叫び続けていた。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 ……その日の夜。

 退勤時間を迎え、工多は自宅へと戻ってくる。


 巨大マンション。このあたりでも結構大きめで家族暮らしも十分可能な広さ。マンションの入り口には映像付きインターホン呼び出しは勿論の事、郵便受けもパスワード必須の完全なプライバシー保護。


 マンションに入る前、部屋番号とパスワードを入力するとエントランスの扉が開き、工多は自室である八階へと向かっていく。


 見るからに高級住宅。一人のフリーターが住まうには資金的にも明らかに無理がある。しっかりと働いて、それなりの額をもらっている社会人ならば住めるくらいの場所であろうか。


「ただいま」


 当然、こんな場所に一人暮らしが出来るほど、彼もまたブルジョワではない。


 電気がついている。そして、玄関には女性用のハイヒールが脱ぎ捨ててある。



「あっ」

 足を踏みいれて早々、彼の目にその光景は広がる。


「くかー」

 ボッサボサに乱れたまま濡れた髪。衣服は大きめのサイズのTシャツが一枚、下半身に関しては間抜けに下着を大きく晒している状態。片手はコンセントの巻かれたドライヤー。





「し、死んでる……」


 リビングで豪快に寝転がっている女性の顔を見て、工多は状況を確認。

 気持ちよさそうに寝息を立てている。突然の難病で死を迎えたわけじゃなさそうだ。


「帰ってきて、そのままシャワーを浴びて……リビングで髪を乾かそうとする前に力尽きたってところか」


 脱ぎ捨てられている衣服を回収し片付ける。愚痴を吐きながらも延長コードを取り出し、眠っている女性の元へと運んでいく。


 ……工多と同様、前髪が長く片目が隠れている。

雰囲気的には“工多が女性になって間抜けに大人びたら”こんな感じ。そんなイメージそのままの人物。


「しつれいしまーす」


 延長コードにつないだドライヤーで“姉”の頭を乾かし始める。


「おぉ……あー、お帰り、こうた~」

「姉ちゃん、こんなところで寝てると風邪引くよ」

「へっへ、悪い悪い」


 そう、この人物は彼の実の姉である“宇納間響”。

 都会での就職の内定を取り、田舎町から旅立った。しかし、彼女に待っていたのは田舎町の根暗さなど可愛く見えるほどのブラック企業。定時は一か月に一回あればいいほどの社畜生活に苦しめられる24歳。


 地元でも明るい陽キャと呼ばれていた姉も。ブラック企業相手にこのザマである。


 

 そうだ、工多は何も考えずに都会へやってきたわけではない。


 東京ともなれば当然住まう場所が必須になる。

 ホームレスとして公園に住まうのも、マンガ喫茶で寝泊まりを続けるのも活動的に無理がある。というわけで、東京へ先に旅立っていた姉へ涙ながらの懇願と説得を繰り返し、生活費の一部を払うことを条件に住まわせてもらうことになったのだ。


 ちなみに親の方にも話は通っているらしいのだが、工多自身はそれを知らない。弟が心配な姉がこっそり連絡を入れてくれていたようである。


 夢の為に都会へ旅立ったと言いながらも、こんな間抜けな面が見える残念な男というわけだ。宇納間工多は。


「あー、そのまま乾かしてくれない?」

「起きたなら自分でやって」

「ちぇ~」


 起き上がった響は腹を掻きまわしながらリビングへ向かう。下半身の下着が思いっきり丸見えになっているが、工多はその風景を前にしても目をそらそうとしない。

 そりゃあそうだ。相手は姉。そんな気が起きるはずもない。工多も間抜けにアクビを始めていた。



「……なぁ、姉ちゃん」

 近くのソファーに腰掛け、胡坐をかきながらドライヤーをかける姉の方を見る。


「どうしたよ?」

「……姉ちゃんって、俺の事、どう思ってる?」


 その質問はあまりにも不意打ちだったとは思う。


「工多。もしかして、シスコンに目覚めた?」

「んなわけあるか、馬鹿姉」


 ちょっとした悩み程度。


「仕事終わりで悪いけど……ちょっと、付き合ってよ」


 仕事場での珍事。その何気ない話を、姉に打ち明けることとなった。

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