第5話 ことだま

あの日から3年の歳月が流れた7月。

1人の女性が私の元を訪れて来た。

遺族会を通して、埼玉からこの南国の地までやってきたその女性は、歳は私と同じくらいだろうか。ふくよかな体つきで、額からは大量の汗が流れていた。

早々に店を閉めて、女性を居間へと案内する。

彼女は仏壇に手を合わせると、にこやかに笑いながら話し始めた。


「本当にお忙しいのに、申し訳ありません」


「いえ、こちらこそわざわざ」


「長いんですか? こちらは」


「え?」


「あ、あの、このお店はかなりの老舗かと思いまして」


「あ、いや、私のお爺ちゃんからですから、かれこれ70年くらいです」


「それはすごい」


「いやあ、バタバタですよ、お客も減る一方ですから」


私は笑って見せた。

彼女も笑ってはいるが、つくり笑いだとすぐに気がついた。

彼女は仏壇に目をやると黙って汗を拭い始めた。

私は立ち上がって。


「あ、今冷たいものでもお持ちします」


と彼女に言った。


「いえ、あの、お構いなく」


と言う彼女の言葉を背に、私は麦茶と和菓子を差し出しながら話す。


「暑いでしょう。こっちは」


「はい。でも関東に比べたら過ごしやすそうですね」


彼女は一気に麦茶を飲み干した。

その光景に驚いた私の表情を見て彼女は笑った。

私もつられて笑った。

そして僅かの沈黙の後、私は本題を切り出した。


「あの、今日は私にー」


「あ、あの、実は」


彼女はハンドバッグから真っ白なハンカチーフに包まれた小箱を取り出した。


「こちらなんですけどね、お心当たりがないかと思いまして」


彼女はそっと小箱を開けて私に差し出した。

真っ白なハンカチーフ。真っ白な小箱。

その中には淡いピンクの真綿の上に置かれたブレスレットがあった。

ピンクゴールドのチェーン。キラキラ光るダイヤモンド。

私は我が目を疑った。

妻に贈ったブレスレットが、今私の目の前で輝いている。

私は言った。目頭が熱くなるのを感じながら。


「あ、あの、どこでこれを」


「ああ、良かった!」


彼女は嗚咽を漏らし、しばらくハンカチで顔を覆っていた。

私はブレスレットを手に取った。

声が聞こえる。

妻の声が私の心の中で聞こえた。

『あたしの大切なお守りが出来ちゃった』

娘の声も聞こえた。

『いいなぁ』

私は何度も瞼を擦った。

とまらなかった。熱い想いがとまらなかった。


「本当はもっと早くにお伺いしたかったんですけど、あたしもちょっとバタバタしてまして、本当にごめんなさい」


「いえ、そんな」


「申し訳なくて、こんなにも長い時間かかってしまって、本当にごめんなさい」


「いえ、逆にお礼を言わせてください。さ、顔を上げてください、お願いですから」


私は察した。

この目の前の彼女も同じ境遇なのだという事を。


「あたしの母も、同じ飛行機に乗っていたんです」


「お母様が、ですか?」


「はい、その母の左手にこのブレスレットが握りしめられていました」


「左手に?」


「はい」


女性は話し続けた。


「あたしの母は窓際の席でしたから、もしかしたらその隣の方のものではないかと思いまして座席番号を調べてもらったんです」


「ええ」


「そしたらこちらの奥様の名前が」


「そうでしたか」


女性は声を詰まらせながらも話してくれた。

私は頷きながら聞いていた。


「でも不思議でした。母は左翼側の窓際でしたから、左手に見た事もないブレスレットを握りしめているなんて」


「ええ」


「だけどあたしの母はすごく人懐こい性格で、そこでわかったんです。奥様の隣の、通路側のお嬢さんと席を代わったんだなあって。そんな母ですから、ほんとに子供が大好きで」


「だから左手に」


「ええ。だけど何故母が奥様のブレスレットをー」


私には分かっていた。

直感だった。

女性にこう語りかけた。


「妻にとって、このブレスレットはお守りだったんです。気丈で優しい妻でしたから、隣のお母様と最後まで手を握り合っていたんでしょう。このお守りを強く握りしめながら、諦めなかったんだと思います。妻も娘も、お母様もきっとー」


女性は泣きながら言った。


「ありがとうございます」


私も泣きながら。


「私の方こそ、ありがとうございます」


と言っていた。

風に泣く風鈴が、優しく揺れはじめていた。

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