第4話 四季
妻と娘の葬儀後しばらくして、姉夫婦が私の仕事を手伝いに大阪から駆けつけくれた。
身籠の姉のお腹はふっくらとしていて無理はかけたくなかったが、一度言い出したら誰の忠告も聞かない性格だから私は姉に甘える事とした。
義理の兄は慣れない仕事に手間取ってはいたが、精一杯に働いてくれた。
ひとはこんな時でさえ働かなくては生きては行けない現実を思い知った。
姉のお腹に宿る新しい命でさえ私には恨めしく思え、また寂しさを感じていた。
それでも姉夫婦が大阪へ戻る頃には、私の心は感謝でいっぱいだった。
9月。
庭に真っ白な桔梗の花が咲いていた。
季節外れの風鈴が風に乗って泣いている、
私はそれを片付けようとは思わなかった。
10月。
金木犀の香る通学路を、真新しい学生服姿の子供達が行き交う。
衣替えの季節に私は目を伏していた。
記憶が溢れ出してしまうから。何も見たくはなかった。
11月。
朝晩と冷え込み始めた空は澄んでいた。
近所の神社の酉の市。毎年出かけた屋台の裏道を私はいそいそと通り過ぎた。
柊の花には目もくれずに。
12月。
南国では珍しく粉雪が舞って、その中を子供達が元気に駆けて行く。
クリススイヴの前日に、私は遺族会の集まりに参加した。
事故の真相究明、墜落までの経過報告等々の説明を代表弁護士から聞いた。
大晦日になっても私の心の空洞を埋められるものは何もなかった。
姉からの電話で、女の子を無事に出産した事を知ったのは年が明けてからだった。
送られてきた写真には真っ赤な顔をした赤ん坊と、感情を押し殺した姉夫婦の表情が写っていた。
私は眺めながら。
「無理せずさ、笑ってくれよ。お願いだから」
と呟いた。
何故だろう。涙が零れていった。
1月。
七草粥を作ってはみたものの、妻の味には叶わなかった。
仏壇にそれを供えて仕事を始める。
店番は幼馴染が僅かばかりの賃金で手伝ってくれていた。
日常が回り始めて行く。私の心とは関係なしに。
2月。
節分もバレンタインデーも過ぎ去ってしまった。
私は相変わらず世の中の様々なものに心を伏している。
何故周りのひとたちはあんなに笑えるのだろう。
私はこんなに苦しんでいるというのに。
不思議な感覚に襲われる毎日の繰り返し。
しかしそれは当たり前の事なのだ。
私は河原でぼんやりと、風に揺れる菜の花を見ては記憶を消そうと努力していた。
3月。
手狭な庭の宝石達は朽ち果ててしまった。
それでも片隅にはタンポポが花を咲かせている。
ひな祭り、ホワイトデー、春の高校野球が知らん顔で私の前を通り過ぎて行った。
4月。
遺族会の集まりで神戸に向かう新幹線の車内で、私は妻の夢を見た。
もうすぐ彼女の誕生日。
昨年は娘とプレゼントを買いに行った。
妻が「あたしの大切なお守りよ」と喜んでくれたブレスレットはまだ見つかってはいない。
5月。
開園したばかりのテーマパークのチケットを、妻と娘に内緒で購入したのは昨年の今頃だった。私の記憶が鮮明に蘇り始めている。
時間は戻らない事は百も承知だ。
しかし、幾度もある想いを願いながら毎日を過ごしていた。
時間を戻せないのならせめて。
「もう一度、2人の声を聞かせてください」
と。
枕は涙でいつも濡れていた。
こどもの日と母の日に、わたしは夢を見た。
2人からのプレゼントは私が願っていた声だった。
娘の声は元気いっぱいで、舌ったらずな発音は妻にそっくりだ。
「パパ、あのひこうきもお羽がヒュンってなってるよ」
妻の声も聞こえた。
「似合うかなぁ、ちょっと派手かなぁ?」
記憶の奥底に眠る記録だろうか。
それでも嬉しかった。
6月。
娘の誕生日にシュークリームを仏壇に供える。
「うちは和菓子屋さんだぞ」と語りかけ、私は笑った。
写真の2人も笑っているだろう。
私の街にも色とりどりの紫陽花が咲き乱れていく。
父の日は久しぶりに酒場で過ごした。
7月。
月に4回は訪れていた墓参り。
ついつい墓前で長い時間語りかけてしまう。
海開きのニュースが流れ、昨年の飛行機事故の追悼番組も増えた。
私は無心で働いた。
それが心の救いとなっていた。
8月。
私はこの街から離れないでいた。
遺族会の集まりを辞退して、必死でがむしゃらに働いた。
店番の幼馴染に夏休みを与え、営業時間を短縮しながらでも働いた。
各地の花火大会の光景がブラウン管を通して私の心にチラつき始める。
広島と長崎の原爆の日が過ぎた。
私にとっての運命の日も店は開けていた。
近所の盆踊りの提灯。可愛らしい浴衣。水風船と綿あめ。それらが私の目の前をかすめていく。
神社の百日紅の花の色。
家族で毎年出かけた公園の向日葵の背丈。
私は思い出せなかった。
風鈴は相変わらず風に揺れて泣いていた。
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