第2話 想いで

麦茶の氷が涼しい音色を奏で溶けている。

赤とんぼは赤ちゃんだろうか、小さくて可愛らしい羽を懸命に動かしながら菜園を飛び交っている。

お盆休みに現れた黄泉の国からの使者。私はそんな事を考えながら明日からの旅行の支度を始めていた。テレビのブラウン管から流れるアイドル歌手の歌を時折口ずさみ、気持ちは年甲斐もなく高揚していたと思う。


日没までの美しい時間。

夏の風香る8月。

妻と娘は私より先に、義母の住む東京へ帰省していた。毎年恒例となった夏の我が家の行事ではあるが、今年はいつもと違っていた。

私がどうしても休みが取れなかった事と、東京の後は大阪で家族全員で落ち合う約束をしていたということだ。

開園したばかりの東京湾岸のテーマパークで1日を過ごした妻と娘と、翌日は大阪て合流する予定だった。

私の姉夫婦の出産祝いを兼ねて。

娘は飛行機が大好きで、理由はかわいいからだと喜んで言っていた。


「お羽がヒュンってなってるの」


娘の言葉は私と妻を笑顔にさせた。

風鈴がそよ風に揺れている。

菜園の山吹色は深い瑠璃色へ変わろうとしている。

我が家の上空を飛行機が飛んでいた。

真っ直ぐに続いていく飛行機雲を見ながら私は思っていた。


「二人は今頃景色を見ているのだろうか」


時刻は19時を少し回っていた。

私はキャリーケースに着替えや機内で読む雑誌、数日分の日用品を詰め込んでいた。

カメラはタオルと下着の合間に、カミソリや歯ブラシはビニール袋に入れて隙間に押し込んだ。

旅行の度に妻には小言を言われていた。


「こんなに持って行ったら帰りのお土産が入らないわよ」


私はその言葉を思い出して、雑誌とワイシャツは置いて行く事に決めた。

せっかくの家族旅行なのだし、旅先では気楽なポロシャツとジーンズで過ごそう。

雑誌は大阪で買えば良い。

それに必要に迫られているものでもないから、わざわざ妻の機嫌を損ねる品を持ち運ぶ苦労はしなくはなかった。

私の妻は合理主義的な考えの持ち主で、私は彼女に僅かばかりの影響を受けていた。

余計な時間と無駄な思考は人生悪。

彼女の口癖でもあった。

キャリーケースを閉じてふとテレビに視線を移すと、画面の上部にニュース速報が流れていた。


『羽田発大阪行きの航空機。ドア故障の連絡を最後に通信途絶える』


私はテレビの音量を上げた。

ニュース速報が流れる時はいつもそうしていた。


『羽田発大阪行きの航空機。ドア故障の連絡を最後に通信途絶える』

『ニュース速報 終』


テロップが2度3度と流れると、いつもの歌番組に画面は切り替わった。

司会者がゲストの歌手に、航空機の乗客乗員の身を案ずるコメントを投げかけていた。

私はこの時。


「生放送もたいへんだな」


くらいにしか思っていなかった。

しかし、そんな私の楽観的な感情は直ぐに打ち砕かれていった。

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