第33話 魔蝗襲来

 しんしんと降り積もる雪はすべてを閉ざしていく。

 雪は世界から音を奪い、白銀の世界はまるで全ての命あるものの時が静止しているのではないかという錯覚さえ与える。

 稀に日の照る日は美しいと息をのむ光景なのかもしれないが、そこに住まう者たちにとっては死を連想させる凍てつく世界に外ならない。 


 長く雪に閉ざされる冬は飢えと寒さに向かい合う時であり、少なくない者達が命を落とす。


 少なくとも去年まではそうだった。



 シオン村では魔蝗の襲来に備え、皆が忙しくしていた。

 白銀の森の中でポッカリと穴が開いたようにシオン村には雪が積もっていなかった。

 それだけでなく、住民たちが暮らす室内は火を焚いているわけでもないのに温かく、厚着する必要もない程であった。

 食料は十分にあり飢えている者は一人もおらず、皆が活力に満ちていた。


 村人達は懸命に働いた。

 季節を無視して実る畑からは可能な限り食物を収穫し、また森の木を伐った。

 石で造られた巨大な倉庫には詰められるだけの作物が詰め込まれた。


 これまでにない凶作に見舞われて、殆ど全ての住民がシオン村に移住するまでは日々飢えていた。

 冬を越すのは不可能に思われた。

 その日その日を生き抜くのが精一杯だった。飢えで命を落とすものも少なくなかった。


 しかしシオン村に来てからというもの飢える不安はなく、むしろこれ程食料の心配をすることなく過ごせる冬は嘗てなかった。

 ただ、飢えへの不安が無くなると、将来に対して別の不安が芽生えてくる。


 ここは魔境の森。

 人を容易く屠る魔獣の跋扈する森なのである。


 その森に魔蝗が迫って来ていた。


 日に日に南の空を覆う影は大きくなり、白い世界を侵食していった。

 寒さに弱いはずの虫が何故冬にも活発に動けるのか。

 その理由を知る者はいない。


 「魔物だから」で理解不能な事柄は全ては片付けられるからである。


 そして、魔蝗の影が今にも村に達しようとしている最中、村の中核を担う少年は大人たちと一緒に村の南端で魔蝗に睨みをきかせていた。


「何か、前に見た時よりも大きくなっているような……」

「本当か?」


 ダンが聞き返す。


「うん、前は僕の腕位の大きさだったのに……今は大きい奴だと片足くらいあるよ。多分……」

「成長しとる……ということかの?」


「はい、テオ師匠。それに伴ってか群れ全体が発する魔力の圧も上がってるようです」

 この10日ほどの間にアイザックはテオとガーランドの弟子となっていた。その提案をしたのはテオからだったがアイザックは二つ返事でそれを受けた。


 そしてどうせならということで、壁越えを果たしたダン、ガイル、ロイド、ニイナ、ユーリ、サラ、ヨハン司祭、マロウ、レックスも共にテオとガーランドから指導を受けることになった。


 リュークとミルカもその指導を受けたいと望んだのだが、身体的にも技術的にも劣るため二人についてはより基礎的な訓練が課された。


 そしてバルボッサ、デープ、ヌボーはその基礎訓練に巻き込まれた。


 それらの指導や訓練は日々の農作業に加えて行われており、バルボッサ、デープ、ヌボーがマロウの命令で嫌々それを受けていたのは言うまでもない。


 また希望する冒険者もリュークとミルカと一緒に基礎訓練に加えられた。

 そのためテオとガーランドは皆から師匠と呼ばれている。


——ブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブブ——


 幾重にも重なる羽音が次第に大きくなり迫ってきた。


「来た」

(さあ、どうなる?)


 成長した魔蝗にも以前と同じく障壁は機能するのか、そこにアイザックは一抹の不安を感じていた。


——ガガガガッガガッガガガッガガガッガガッガガガッガガガガガガッガガッガガガガッガッガガガガッ——


「おおおおお」

「やっぱり大丈夫だったな」

「まぁ、私は心配してなかったわよ」

「そうね、アイザックの障壁だしね」

「まぁ、俺も心配してなかったけどな」

「ウソばっかり。最近は心配であまり寝れてなかったじゃない」

「ほっほっほ、大した小僧っ子じゃて」

「そうですな。見事なものです」

「さすが大将だな」


 しかし、蓋を開けてみれば以前と同じように障壁は見事に魔蝗を防いだ。

 鈍い音を立ててぶつかってくる魔蝗を一匹たりとも通すことはなかった。


 周りから安堵の声が漏れ、アイザックもほっと肩を撫でおろす。


 黒い影はゆっくりと時間をかけて村全体を覆って行った。

 丸一日経つと村の周囲は全て魔蝗で覆われていた。


 村から見える白銀の世界は全て影で覆われてしまったのである。

 アイザックは村を照らすために、障壁から光を放つようにした。


 それを見た村人たちは感嘆の声を上げる。

 周囲を全て魔蝗に覆われても障壁が破られる気配はなく、不吉な暗い影を振り払うように村が照らされたからである。


 住民の障壁に対する信頼が絶大なものになったのは言うまでもない。

 そして多くの住民が神に感謝の祈りをささげたのだった。


 

 一方で、障壁の外は凄まじいことになっていた。

 魔蝗によって木々は葉を食い尽くされるに留まらず、枝や幹も次々と食い尽くされていた。


 ただ、それは決して悪い話ではない。

 このまま森が食い尽くされたら魔蝗も消え去るだろう。


 そう皆が期待した。


 

 しかし、その期待通りにはならなかった。

 魔境の森の木々の成長・回復は著しかったからである。


 一見食い尽くされたかに見える木々も次の朝には再生していた。

 特に村の周囲は木々の再生が早く、魔蝗の群れが村から離れ去ることはなかった。


 その結果どうなったか。


 魔蝗は日を追うごとに目に見えて巨大化していったのである。

 アイザックの目には魔境の森が放つ魔力を魔蝗が食い尽くしているように見えた。


 巨大化したとはいえ、元は蝗である。

 虫が驚異的な身体能力を発揮するのはそのサイズが小さいからである。


 筋力は筋肉の断面積に比例し、体重は体積に比例する。

 単純計算すると体長が2倍になった場合、筋力は4倍になり、体重は8倍になる。


 巨大化するにつれ、体重と比較すると筋力は落ちてしまうのである。

 仮に体長6㎜、体重10㎎のクロヤマアリが180cmに巨大化した場合、体長は300倍、筋力は9万倍、体重は2700万倍になる。


 クロヤマアリは体重の約25倍を運べるとされる。そこから算出される巨大化後の筋力は250㎎×90000倍=22500000㎎。つまり22.5㎏しか運べないことになる。


 激弱である。270㎏の超重量に対してわずが22.5㎏の筋力では、もはや自らの体を動かすことさえ出来ない。


 魔蝗の巨大化にもその傾向は見られた。

 外骨格に閉じ込められた細い細い筋肉は増量が見込めず、重くなった体重を支えることが難しくなり、体が大きくなるにつれて魔蝗の動きは鈍重になっていった。


 そして薄い羽では空を飛ぶことも困難になっていった。

 魔蝗は次第に地を這う魔蟲へと変わっていったのである。



 障壁の外は極寒の世界。

 そして魔蝗がひしめき合い全てを喰らう世界。

 アイザックたちは障壁の外に出る事も出来ず日々魔蝗の様子をただただ眺めることしかできなかった。


 寒さのためか、はたまた寿命を迎えたのか、日々夜が明けるとシオン村の周囲には魔蝗の死骸が多数散乱していた。

 しかしそれ以上に多くの魔蝗が日々押し寄せるため魔蝗の数が減ったと感じることはない。


 魔蝗は死んだ同族をも餌とし、日々巨大化していった。


 そうして魔蝗がシオン村に到達して何日経ったかあやふやになった頃には、住民たちは魔蝗に囲まれて生活するのにもすっかり慣れ、かつてない程に余裕のある暖かな冬を過ごしていた。


 

 しかし唐突に事態は急変する。

 それは明け方に起きた。



——ガリガリガリ——


 皆が起き始め、朝食の準備を始めようかという頃、突如アイザックの体に不吉な感覚が駆け抜けた。


「ま、まさか……」


 アイザックは不安を胸にすぐさま外へ駆け出しす。


「ユピィ!!」

——ピィィィィィィ!——


 そしてユピィを呼び、ユピィもそれに応える。


「【重力操作】、【纏雷】」

 アイザックは一瞬だけ全身に雷を纏い、屋根の上に跳び上がるとあらん限りの力で上空へと跳躍する。


「【形成:飛行体】」


 そして鳥の形を模した障壁で自身を覆う。

 そのアイザックを空中でキャッチしたユピィは主の示す方向へと全速力で飛翔した。


 

——ガリガリガリ——

(これは……障壁が削られているのか?)



——ガリガリガリ——

(マズい! 急げ!)


 アイザックが感じ取った場所は障壁で囲んだ村の南端。

 アイザック達が引越す前に住んでいた旧シオン村。


 そこに張られた障壁が確かに削られているのをアイザックは感じ取った。


「皆、緊急事態! 魔蝗に障壁が削られている。来れる人だけでいいから旧シオン村に出来るだけ速く集まって!」



 通信具を用いてチームシオン村の皆を集める。

 そして目印になるように南端の上空の障壁を強く照らした。


 驚異的な速さで旧シオン村に到着したアイザックが目にしたのはアイザックの身の丈よりも大きい魔蝗だった。


 その巨大さにアイザックは戦慄を覚えた。

「で、デカい!」



——バリンッ——


 そしてアイザックが到着するとほぼ同時にその魔蝗は障壁をかみ砕いたのだった。


 

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