第17話 黄金牛
――ブルブルブル――
首から下げた通信アイテムの鹿の角が震える。
誰かが僕に話しかけるために通信アイテムに魔力を込めるとこうなる。
「はい、こちらアイザック」
『ごめん直前に。サラだけど、今回の獲物は牛ね』
「そうみたいだね。どうしたの?」
『あの羊みたいな毛並み、沢山毛糸がとれるだろうし、当然ミルクもね。だから可能なら家畜にしたいんだけど……』
「了解。その方針で対応するね。失敗したらごめん」
『ありがと。失敗しても気にしないで』
全員の通信アイテムを【同調】させる。
「直前でごめんなさい。サラの提案で作戦変更、生け捕りを試みます。ダンはリスクが上がるかもしれないから気を付けて」
『応、任せろ』
――ドドドドドドドドドドドドドドドドドド——
牛はすぐそこまで迫っていた。
「ダン、行ける?」
『ああ、いつでもいい』
「じゃあ、3で出て。引き付けて」
――ドドドドドドドドドドドドドドドドドド――
牛たちはかなりの勢いで迫って来ていた。
「……1、2、の3!」
ダンは牛たちの前に飛び出すと盾を構える。
「こっち来いやぁああああ!!!」
ダンの雄たけびが響き渡る。
――BMOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO――
先頭を駆ける牛たちがダンに狙いを定めた。
(正気なのか?)
ヨハンは衝撃を受けていた。
例え壁越えを果たしていても全速力で突っ込んでくる猛牛の前に立ちはだかるなど正気の沙汰ではない。しかも1頭ではなく群れなのである。
命がけの指示に臆することなく応じるダンはもちろん、平然とそんな指示をするアイザック、そしてそれを止めないニイナとサラに対しヨハンは衝撃を受けていた。
――ドガッ、ドガッ、ドガッ、ドガッ、ドガッ、ドガッ――
「へっ?」
ヨハンは思わず間抜けな声を漏らしていた。
黄金に輝く牛たちが、突然鈍い衝突音を立てて見えない壁に弾かれたのである。
いや、目を凝らせばそこにはアイザックが【形成】で作った障壁があった。
1トンはあろうかという猛牛達の突進をものともせず、障壁は立ちはだかる。
障壁の向こうで堰き止められる牛を見て、ダンは安堵の息を吐く。
(あれだけの牛の突進を止めやがったか)
すかさずアイザックは壁を【形成】し、牛の群れを囲う。
「やった! うまくいったね」
皆が集まり、喜びの声を上げる。
「やったね! さすがアイザック!」
特にサラの目は金貨と見紛うばかりに輝いていた。と言うかもう目が金貨だった。
「驚きです。こんな狩りの仕方があるなんて……僕はこの村で一から自分を鍛え直そうと思います」
ヨハンは自らの了見の狭さを恥じた。そしてこの村の一員として恥じない者となれるように精進しなければと決意を新たにしたのだった。
「ヨハン司祭、気にすんな。アイザック以外は殆ど何もしてないんだ」
「そうだな。それに、こんな風に獲物を捕らえられたのは初めてだしな」
ロイドとダンがヨハンを励ます。
「で……サラはこいつらを家畜にしたいってことか?」
「もちろんよ! この金色の毛を見なさいよ! お金の臭いしかしないでしょ?」
「そうね。これだけいれば冬は難なく凌げそうだもんね。上手く家畜化できればいいんだけど……」
ニイナがサラに賛同するが、囲いの中の牛たちを一言で言い表すなら「獰猛」であった。閉じ込められたストレスからかそれともパニックになっているのか荒々しく動き回り、ぶつかり合い、互いに傷つけあっていた。
「しかしこれじゃあ……連れて帰ろうにも無理なんじゃないか?」
それを見てダンが家畜化に消極的になったのは無理もないことだろう。
黄金に輝く牛など前代未聞である。
おそらく魔境化によって生じた突然変異だろう。つまりそれは魔獣を家畜にしようというのと同義だった。
魔獣はほぼ例外なく気性が荒いため家畜には向かないというのが世間一般の常識である。
「あ、あの子危ない」
足が折れ、横たわって動けない子牛がいた。痛々しく出血している箇所が所々ある。
このままでは大人たちに踏みつぶされ、命が潰えるのは時間の問題だった。
すかさずアイザックは囲いの中に入る。
そして親指をナイフで切りつけ傷口に当てた。
当然、他の牛に踏みつぶされないように自身と子牛を障壁で囲っている。
――ポウ――
と淡く光を放つと子牛は立ち上がってアイザックにすり寄った。
(ていうか、怪我を治せるのか? あれ? そうなると僕要らなくない?)
ヨハンは何度目になるかもう分からないが、今日一番の衝撃を受けていた。
(あれ? もしかして、アイザックに懐いたのか?)
その光景を見てダンは驚愕した。
いや、ダンだけではない。全員がその光景に「家畜化」の可能性を見出していた。
――バチバチバチバチバチ――
アイザックの後方で、一際大きい体躯の雄牛が突進の姿勢で構えていた。
その角が耳慣れない音を発しながら光を発している。
先程、群れでの突進を受け止めた障壁に対する安心感からアイザックの心には油断が生じていた。しかし、それを責められる者はいないだろう。
また自らと子牛を障壁で覆っていたことで周囲の音を遮断していたため、アイザックは後方の牛に気づいていなかった。
――バリンッ――
――ドフッ――
至近距離からの突進にも関わらず、雄牛はすさまじい加速でアイザックの障壁を突き破っていた。
そして勢いを落とすことなく光る角でアイザックを突き刺したのであった。
今まで経験したことのない激しい痺れと共にアイザックの意識は飛ぶ。
アイザックは突き飛ばされ牛達を囲っていた障壁に叩きつけられた。
そして突き上げられ、踏みつぶされ、アイザックは弄ばれた。
「アイザック―!!」
ヨハンの悲鳴が響いた。
その後も複数の牛達がアイザックに攻撃した。バチバチバチと角を光らせて。そのためアイザックの意識は飛び続けた。
囲いに対してその攻撃をすれば逃げ出せそうなものだが、囲いが透明なためか牛達は何故かそうしなかった。
「はぁ、はぁ、はぁ……死ぬかと思った」
数分後、何とかアイザックは難を逃れ、囲いの外に出ることが出来た。というのも牛達のバチバチと角を光らせる攻撃が止んだからである。
ちなみに驚愕するヨハンにはダンが「教皇様の魔法のお陰でアイザックは守られている」と説明していたが、ヨハンにはさっぱり理解できなかった。ヨハンの知る限り、【命の息吹】とはその時限りのもので、その後も発動し続けるものではないからである。
(いや、だから何で、あれだけ体を貫かれて、メチャクチャにされたのに生きてるのさ?)
ヨハンの疑問は解けなかった。
一息ついた後、アイザックは怪我をした牛たちを治すべく再度囲いの中に入る。
そして、牛たちを治すと先程までの獰猛さはウソのように落ち着き、大人しくなっていた。
「これなら家畜にできそうじゃない?」
サラが喜びの声を上げる。
「そうね」
「だな」
「まぁ、危険かもしれないが連れて帰ってみるか」
誰も家畜化に反対するものはいなくなっていた。
「しかし、何故……牛たちはあんな凄い勢いで走っていたんでしょうかね?」
ヨハンがふと口にした疑問を皆がそれぞれ考える。
「そりゃあ、……何かから逃げてたんじゃねぇか?」
ダンが首をひねって答える。
――バサァ――
「ああ……」
――バサァ――
「そうみたいね……」
――バサァ――
「当たりよ。ダン……」
皆を唖然とさせる化け物がそこにいた。
暴風を纏い。大きな影でアイザック達を覆いながら。
アイザックはと言うと、牛たちを治した直後から、近づいて来るそれをずっと注視していた。
(マジかよ)
(わたし、これは今日死んだな)
(逃げるんじゃないのかよ)
(早く、牛連れて逃げようよ)
(こ、こんな魔物が出るなんて……)
アイザックがそれを睨みつけたまま撤退の指示を出さないため、皆逃げるに逃げ出せなかった。
「アイザック、逃げないのか?」
「いや、……ここは逃げるよ……」
(良かった。じゃあ、早く逃げよう!)
(いや、逃げるのも無理……)
(簡単に逃げられるのか?)
(牛は……もう無理ね……)
(これはまさか……伝説に聞く……)
それの体長は10mを超えていた。
「にしても策はあるのか? この鶏のバケモンは簡単には逃がしちゃくれんぞ」
「うん、普通に逃げたら犠牲が出ると思う……」
ロイドが口にした通り、それは一見すると巨大な、ひたすら巨大な雄鶏だった。
しかし、それは頭部と下肢に限った話で、胴体や翼はさながら竜のようである。
「コカトリス……」
ヨハンがその化け物の名を呟いた。
「コカトリス!? これが……」
「本格的にヤバい奴が出てきたな……」
ダンとロイドは何とか堪えていた。しかし、ニイナとサラは既に足に力が入らず崩れ落ちていた。
コカトリスの眼を見ただけで全身の力が抜けていくように思えた。
コカトリスは災害と同じで普通の人間がどうこう出来る類のものではない。
村が襲われたならば村はまず全滅する。
壁越えを果たしている冒険者であっても不意に遭遇したなら為すすべなくやられる。
討伐されるのは稀で、騎士団レベルでなければ相手にならない。
50人規模の騎士団で、犠牲を出しつつようやく討伐が可能な相手である。
(騎士団の扱う魔法次第では容易に仕留められるケースもあるが、逆に魔法の相性が悪かったり十分な対策が取れていないと全滅するケースもある)
周囲に毒をまき散らし、その嘴は触れたものを石に変え、果ては視線だけで獲物を仕留めるという。
規格外のスペックを誇るモンスターである。
そのような化け物としてコカトリスは人々に知られていた。
その化け物を前にしてアイザックが出した指示はこうだった。
「僕がこいつを引きつける。その隙に皆は逃げて」
(アイザック! 君はコカトリスを一人で相手にするつもりなのか!)
ヨハンは神聖術を自身に掛けることで何とか立っていられた。
しかし、この化け物と相対する気力は到底ない。
何せ気を抜けば立っていられるかどうかも怪しいくらいなのだ。
「【強化】」
皆が白い光に包まれる。牛たちも……である。
皆の気力と体力が漲り、力が湧いて来る。
「皆、これで何とか逃げ切って。僕は何とかこいつを倒すか、追い払ってみせる」
「おい。アイザック――」
「——異論は認めないよ。僕の障壁がなかったら多分皆もう死んでると思うから」
――!!――
その言葉に皆衝撃を受けた。
アイザックの障壁がコカトリスの眼力や散布されている毒から自分たちを守ってくれていたことに今更気づいたのだ。
でなければこれほどの至近距離でコカトリスと対峙して生きていられるわけがない。
「こいつは危険すぎる。多分僕しか相手にできない。実際に目で見て実感したでしょ?」
(まさか、そのために直ぐに逃げ出さなかったのか?)
ダンは再度衝撃を受けた。
皆獲物を得たことで気は緩み切っていた。
そして人並外れた力を得たことで、心のどこかに慢心があったことも確かだ。
コカトリスの脅威を知る前に逃げ出していたら、慢心から致命的なミスを犯していたかもしれない。
何よりこの恐怖と脅威を目の当たりにした今ならば必死で逃げるだろう。
僅か6歳の子供がそこまで思い図っていたのかとダンは衝撃を受けたのである。
確かに、ここ最近のアイザックの内面の成長は著しい。
言葉遣いも頭の回転も以前とは全くの別人である。とても6歳の子供とは思えない。
そして、それはもちろん肉体面でも。
だからこそ、狩りのリーダーを任せている訳だが。
「分かった、
「うん。任せて。そっちもちゃんと牛を村に届けてよ」
(馬鹿野郎、6歳のくせに男前すぎるんだよ。軽く言いやがって)
「ああ、そんくらいやらなきゃ俺の面目丸潰れだ」
こうして、アイザックを残し、皆村へと撤退したのだった。
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