第16話 崩れていく常識

「あれ? ダンさん、狩りに行くんですよね?」

「ええ、そうですよ」

「ロイドさんは分かりますけど、ニイナさんとサラさん、それとアイザックも連れて行くんですか?」


「ええ、ヨハン司祭は教会関係者ですからご存じかとは思いますが、アイザックは教皇様の魔法を受けてますし、この村の住民は皆その恩恵も受けていますからね。狩りにはアイザックと大人4人でチームを組んで行くことにしてるんですよ」


(教皇様に掛けてもらった神聖術って【命の息吹】だろ……何でそれが狩りに行く理由になるんだ?)

 ヨハンにはダンの言っている意味が全く分からなかった。

「いやいや、女性や子供には危険過ぎますよね?」


「ははは、教皇様の魔法の恩恵でこの村の女性は男性陣に負けず劣らず強いですよ。そしてアイザックに至っては狩りの要です。狩りのリーダーはこの子なんですよ」

 ダンは自慢するようにアイザックの頭にぽんぽんと手を置く。


(だから、恩恵って何? 教皇様は何か他にもこの村の住人に神聖術をお掛けになったのか? それにしても……)

「こんな小さな子がリーダーだなんて、ダンさん······冗談ですよね?」


「ヨハン司祭、そんなに心配なら僕と模擬戦してみる? それで実力が足りないと思ったなら置いていってよ」

「アイザック、本気で言っているのかい?」


「うん、だってそれが手っ取り早いでしょ? 狩りに行くなら早い方がいいし」

(これは説得しても折れそうにないな。仕方ない。ちょっと酷かもしれないけど、この子の安全のためだ、怪我をさせても神聖術で治せばいいんだしここは提案に乗ろう)


「わかった。怪我しても治してあげるから恨みっこなしでやろう」





「じゃあ、先に当てた方が勝ちってことで」

 アイザックとヨハン司祭は木刀を手に向かい合った。


「始め!」

 審判を務めるダンの声が響く。


「来ないのかい、アイザック?」

「うーん……行ってもいいけど、先手は譲るよ」


「随分と余裕なんだな」

「うん、だってヨハン司祭でしょ?」


(見えてない? 何のことだ?)


「ヨハン司祭、森にはね、大きな魔獣もいるんだよ」

「うん……、それで?」 


「ヨハン司祭も実力を見せないと、連れてけないよ」


 ヨハンの眉がピクリと上がる。

「君も僕を試してるってこと?」

「そういうこと。ほら、僕って狩りのリーダーだから実力は把握しておきたくて。すぐ終わっちゃったら実力みれないでしょ」


(言ってくれるじゃないか)

「僕ってこれでも壁越えしてるんだけどね」

「うん。でもヨハン司祭はから僕に攻撃を当てるのは難しいと思うよ」


(ん? 負けるつもりはないってことかな? ……いくら村でたった一人の子供とは言え、皆甘やかし過ぎたんじゃないか?)

「じゃあ、遠慮なく行かせてもらうよっ!」


 ヨハンは足に力を込めるとフェイントを一つ入れ、アイザックの後ろに回る。


「どう? 僕の動きは? ちゃんと実力は見てもらえたかな? ちゃんと見えてるといいんだけど……」


 アイザックは少し困った感じで振り向いた。

「今の動きが実力か……。うーん……大丈夫かなぁ……」

「何? ……えっ?」


 次の瞬間、ヨハンの目の前からアイザックは消えていた。


「ヨハン司祭は僕の動きが見えた?」


(後ろだって!? 確かに今まで目の前にいたのに……)

 突然後ろから聞こえる声にヨハンは身を翻す。


(そんな! いない!)


「ちょっと心配だなぁ……」


 振り返った、そのまた後ろから声が聞こえてくる。


(くそっ……こんなことって)


 再度振り返ると、ヨハンの後方、間合いの外にアイザックは立っていた。

 ヨハンの背筋に冷たい汗が流れる。


「アイザック、口だけじゃなかったんだな。年下を怖いと思ったのは生まれて初めてだよ」

「じゃあ、僕の方は認めてもらえたってことでいいのかな?」


「ああ、認めるよ。文句なしに」

「良かった。ちなみに、ニイナとサラは……っていうかこの村の皆はヨハン司祭よりも強いよ」


「何だって? いや、有り得ないでしょ」

(壁越えしてる僕よりも強いなら、農奴なんてとっくにやめてるだろ)


「だから、恩恵を受けてるってダンが言ったじゃないですか」

 横からニイナがヨハンにツッコミを入れる。

 他の皆もうんうんと頷いている。


(冗談だろ? 本当に皆僕よりも強いっていうのか? 一体、恩恵って何なんですか?)


「このままじゃ、ヨハン司祭は連れていけないよ」


 アイザックがヨハンに通告する。

 混乱していたヨハンの精神は自尊心を傷つけられ焦燥する。


(ウソだろ。この僕の力が……足りないって言うのか?)


「チャンスはあと一回、全力で打ち込んでみて。ダメだったらお留守番をお願いすることになるからね」


――ゾッ――


(信じがたいことだが……)


(天才だと言われ、羨望の眼差しを向けられ、あるいは妬まれていた僕が……目の前の6歳の子供に勝てる気がしない……自分の実力が遠く及ばないのがよく分かる)


 この時、ヨハンはアイザックからとてつもないプレッシャーを感じていた。

 そのプレッシャーがアイザックの実力を痛烈に物語っていた。


(はは、まさか北の果てに来てこんな怪物に出会うとはね)


「分かった。全力で挑ませてもらうよ」

 ヨハンは腰を深く落とす。


 ヨハンの特筆すべきところは自身の積み上げてきた努力に自信を持っていても、傲慢ではなかったところだろう。


(せめて、アイザックに認められるように全力を尽くす)


 彼は謙虚に、現状を受け入れるという才能を持っていた。


 全身をバネのように力を溜め、大地が弾けんばかりに踏み出した。


「はぁっ!!」

 そして、全身の力を木刀に伝え、振りかぶった木刀を振り下ろす。



――ガン‼‼‼――



 渾身の力を込めたはずの木刀は振り切る前に不意に空気中で弾かれ、その衝撃でヨハンは木刀を落としてしまった。


「ぐっ、手が……」


(今、アイザックは動いていなかった……でも空中で何かに当たった……)


 痺れる手を抑えながらヨハンは分析する。


(まさか……、たった6歳だぞ。有り得るはずがない……)


 いつの間にか、アイザックから発せられるプレッシャーは消え去っていた。

 そしてそれは模擬戦が終わったことをヨハンに悟らせたのだった。

 

 ヨハンの肩の力を抜き、アイザックを見やる。


「さっきより、ずっといい動きだったよ。これなら一緒に行っても大丈夫かな」


「本当かい? 認めてもらえて嬉しいよ」


 6歳の子供に認めてもらえたことにヨハンは安堵の息を吐いた。


「ところで……」




 ヨハンは聞きたいことが沢山あったが、時間がもったいないということで、森へと歩みを進めながら話すことになった。


「アイザック、君はスキルホルダーなのかい?」

「スキルホルダーって?」

 ヨハンの問いに、アイザックは質問で返した。


「スキルを持ってる人ってことさ」


「あ、そういう意味か。スキルなら僕持ってるよ。ただ、誰もスキルのこととか良く分からないから、自分たちで勝手に名付けたスキルだけどね」


(おいおい、何とも軽く言うなぁ)

「本当に持ってたのか……信じられないな。その歳で……。あ……どんなスキルか聞いてもいいかい?」


「いいよ。あ、そうだ、それで思い出した。【強化】」

「ん……【強化】? ……って、何か力が湧いてくる。すごい!」


「ヨハン司祭にも【強化】を掛けといたよ。【強化】は物とか人を魔力で強くすることが出来るんだ」 


「一体どんな訓練を積めばこんなスキルが会得できるんだい?」

 スキルとは修練の先に習得できるものである。

 例えば、剣術を極めんと修練を積むその先に剣術系のスキルを会得するのである。

 しかし【強化】とは一体どんな修練の先に会得できるものなのか、ヨハンには想像すらできなかった。似たような効果を持つ魔法であれば知識を有していたが、スキルとなると全くだった。


「うーん、狩りの最中に身に付けたからよく分からないんだ。あ、そうだ。ヨハン司祭もこれ首から掛けとい」


 ヨハンに「そんなバカな」とツッコミをする間も与えず、アイザックは10㎝程度の鹿の角のついたネックレスを渡す。


「あ、ありがと。これは何だい? お守りか何かかな?」

『うん、そんなもんかな』


「えっ? えっ? えっ? 何か声が聞こえてくるんだけど!」

『へへへ、これ【強化】を応用して作ったんだ。今のヨハン司祭なら目を凝らせば光って見えたりしない?』


 言われるままにヨハンは目を凝らす。


「ああ、見える。何か薄い膜が光って見えるよ! 何だこれ!?」

『【強化】中は魔力が光って見えるんだよ。これがあれば離れてても僕と会話ができるようにしてあるんだ。この角の尖っている方で音を拾って、反対側が音を出すようになってるからね。小声で話すときは尖っている方を口に向けてね』


「すごいな。こんな魔道具前代未聞なんだけど……どんな仕組みなんだい?」

『さっきヨハン司祭の攻撃を防いだのと同じだよ。空気を【強化】した膜を張ってあるんだ。まぁ、こっちのはもっと薄い膜だけどね。この膜に音が伝わると膜が細かく動くんだけど、全く同じように別の膜を動かすと、同じ音を別の膜から発生させることができるんだよ!』


 アイザックはえっへんと胸を張って語った。


「アイザックって本当に6歳なのかい? どうやってそんな凄いこと発見できたんだい?」


 アイザックは語る。

 その発見は偶然ではなく必然の発見だった。

 村を光の壁で覆ってしまうと、村の外の音が極端に聞こえなくなってしまった。

 音で周囲の状況を把握していたアイザックにとってこれは軽くない問題だった。


 その問題を何とかすべくアイザックは壁の厚みや強度を色々と変え試行錯誤する。その過程で音とは空気の振動であることに気づいた。薄くした光の壁は音に伴って振動することを発見したのである。


 その後、アイザックは壁の強度を保ったまま音を壁の内側に持ってこれないかと考えた。

 そして行き着いたのが、複数の光の壁を全く同じように振動させる方法である。

 それは簡単には実現できなかったため訓練に訓練、研究に研究を重ねた。

 その結果【同調】と【振動】という新たなスキルも身に付けた。そして外側の音を受け取る膜、強度の強い壁、内側に音を発する膜、と壁を3層構造にすることで、音を壁の内側に発生させることに成功したのである。


 通話アイテムはその副産物であった。


 媒体となるものは何でもよかったのだが、身に付けていてもそんなに不自然ではないだろうということで鹿の角が選ばれた。


 ちなみに、通話には魔力を用いて【同調】させることが必要である。

 また、この通話アイテムを持っていても通話が可能なのはアイザックに対してのみであり、アイザック以外の人と通話をすることは出来ない。


 逆にアイザックは通話アイテムを持っている全ての人と会話することが可能であり、複数人と同時通話も可能である。アイザックの索敵能力とこの通信機能により、狩りのリーダーはアイザックが務めることになった。


 ヨハンが到着した際に、どこからともなく村人が集まったのもこの通話アイテムによるものである。


 ヨハンは驚きをもってアイザックの話に耳を傾け、また色々と質問した。

 何故この村人たちが騎士並みの力を有しているのか、ということに関しては説明を聞いても全く分からず「そうなんですか」と返すにとどまったが、アイザックの探求心、試行錯誤と努力に次ぐ努力、それにより【強化】スキルをどんどん応用して新たなスキルを生み出していることはとても興味深かった。


(この子はきっと将来大物になる)

 そう期待せずにはおれなかったと同時に、何故自分がこの地に派遣されたのかその意味が分かった気がした。それは決して左遷や罰などではなく、教皇様の深慮あってのものなのだろうとヨハンは感じたのだった。



『獲物が複数、北からこっちに向かってきてる。このままだと群れは村に向かうかもしれない。最悪の場合は群れ全部を仕留める想定もしておいて。じゃあ、皆散開して待機。ダンは僕の合図で飛び出して獲物を引き付けて』


――了解――


 突然アイザックが指示を出した。


 ヨハンには獲物なんて見えやしない。アイザックの感覚の鋭さにヨハンは驚きを隠せなかった。


 アイザックの指示で、待ち伏せするポイントを修正しながら獲物を待つ。


――ドドドドドドドドドドドドドドドドドド――


(本当に来た!)

 しばらくすると、遠くから地響きのような足音が聞こえてきた。


 そしてヨハンも獲物の姿を視界に捉える。


(羊か……デカいな)

 それは牛のように大きい、金色の羊の群れ……。


(いや、違うな。やっぱり牛か? 良く分からないな。まぁ、どっちでもいいか)

 かと思いきや、羊のようにモコモコとした金色の毛並みを持つ牛の群れだった。

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