第15話 ヨハン司祭

「はぁ、ようやく着いた。遠かったなぁ」


 教皇から直々に任じられ、神聖レガード教国から長旅を終えたヨハン司祭は自分の境遇を嘆いていた。


「しかし、サレム王国の北の端の開拓村に赴任って……何か悪いことやったかなぁ……」


 こんな僻地に、しかも開拓村に教会関係者が赴任するなんて前代未聞だ。

 教会堂すらない土地への赴任なんて左遷を通り越して何かの罰としか思えなかった。

 一から生活の基盤を築いていかないといけない。前途は多難だ。


「自分ではそこそこ出来る方だと思ってたんだけどなぁ」


 仲の良い同期達からもからかわれ、憐れまれた。

 そりの合わない同僚からは蔑まされた。


 自分の務めが通常のものでないことは理解している。


「教会のことよりも、村人のことを最優先にしてください」

 教皇からの直々の言葉をヨハンは思い起こしていた。


 ヨハンの所属する教会、精霊神教は国々の垣根を超えて全世界に広がる巨大な宗教組織である。教会関係者以外に回復魔法は扱えないため治療費で莫大な利益を得ている。そうなれば教会と言えども己の利益を追求し、権力を求める者もいる。


 教皇の言葉の意味は「利益を追求することなく村人を助けなさい」ということだ。

 利益主義の教会関係者を嫌悪するヨハンにとって、教皇の言葉は何よりも嬉しいものだった。

  

 それに、この地は魔境化の兆しがあるという。

 この状況を上手く乗り越えていけば、もっと上に行けるチャンスでもある。


 ヨハンは落胆しつつも僅かな希望を胸に開拓村に到着したのであった。


(皆、司祭様ご一行が到着したよ。入口に集まって)

((((((了解!))))))


 ヨハンが到着すると村のあちこちから人が駆け寄ってきた。

 そこにヨハンは違和感を感じた。


 この村には門番がいない。

 聞けば3家族しかいないというのだからそれも当然なのかもしれない。

 日々のやるべきことが多すぎて門番に割く人員などいないのだろう。


 しかし、何の呼びかけもなくあちこちから村人が集まってくるのだ。

 ただ、ヨハンはあまりそのことを深くは考えなかった。


(外から人が来るのが珍しいのかな? それとも教会関係者の到着を待ちわびていたんだろうか?) 


 村に馴染めるか心配していたが、駆け寄ってくる村人を見て、この感じだとどうやら歓迎してくれそうだなとヨハンは安心する。見た感じ、村人全員が集まってくれているようだ。


「ようこそいらっしゃいました。私はこの村の村長でダンと申します」

「ダンさん、はじめまして。私はヨハン・グレイス。教会の司祭です。若輩者ですがよろしくお願いします」


 ダンが一歩進み出てヨハンと挨拶を交わす。

 ヨハンはまだ16歳でダンたちとは一回り違う。その歳で司祭に至れる者は天才と称される部類の人間であり、事実ヨハンは教皇が直々に指導に当たる程の肝いりであった。


「皆さんもよろしくお願いします」

――よろしくおねがいします、司祭様――


「それで……ヨハン司祭。後ろの方々は?」

「ああ、彼らはゼデク王の命で派遣されたロイゼン侯爵配下の魔導部隊です。この地に防壁を築くとのことで私の護衛も兼ねて同行してくださったんです。ご心配なさらなくとも防壁を築いたらすぐ帰るみたいですよ」


 このような開拓村に食料の余分がないことをヨハンは十分承知している。

 現にここまで幾つかの開拓村を経由してきたが、どの村も食料の余裕はなかった。

 特にメイロード伯爵領では水害の被害が大きく、放棄された村もあった程だ。


「そうでしたか。魔導部隊の皆様。ろくな歓迎も出来ず申し訳ありませんが、何卒よろしくお願いいたします」


 ダンの言葉に応えることなく、魔導部隊は自分たちに仕事にとりかかっていた。


 魔導部隊に所属している者は皆騎士である。

 騎士たちはこんな僻地に長居するつもりは毛頭なく、そのプライドから農奴と言葉を交わすつもりもないため、ダンの言葉を無視したのであった。


 ヨハンは村人皆とそれぞれ挨拶を交わした。


「はじめまして司祭様、僕はアイザックといいます。よろしくお願いします」

「よろしく。僕はヨハン。アイザックのことは教皇様から聞いてるよ。ちゃんと挨拶ができてえらいね。僕のことはお兄ちゃんだと思って接してくれると嬉しいな。言葉遣いも、普段両親と話すみたいに話してほしいな」


「うん、わかった」

「よろしくね」


「あ、魔法を使うのかな?」

 アイザックは魔導部隊の方に駆けて行った。


 少年ならば騎士に憧れるのは当然で、ヨハンもその気持ちはよく分かる。

 だからアイザックを止めることはなかった。


 田舎の農奴が騎士の魔法を目にする機会などほぼない。

 アイザックは目を輝かせて近寄って行った。


「ねぇ坊や、そこは……」

「お前は黙ってろ。この坊ちゃんは近くで見学したいんだろう。好きにさせてやれ」

 騎士の一人がアイザックに何か言いかけたが、隣の騎士に制されて口を噤んだ。


(目障りなガキだ……我らを見世物か何かだとでも思っているのか? せいぜい痛い目にあって後悔するがいい)


――■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■――


 騎士たちが一斉に呪文を唱える。

 すると幾つもの魔法陣が地面に展開した。


「わぁ」

 その光景に、アイザックは感動の声をあげる。 


 アイザックの目に小さな精霊たちの姿が映る。

 その精霊たちが騎士の魔力を受け取って大地に魔力を流し込み魔法陣を展開していたのだ。その不思議な光景にアイザックは見入る。


――■■■■、【大地堅壁】――


 騎士たちの詠唱に伴い、突如大地が隆起して、高さ5m、厚さ3mに及ぶ壁が出現した。その壁は村の南側を覆っていた。出入り口も含めて。


「うわっ」

 アイザックは隆起する大地に飛ばされて上空を舞った。

 そして壁の上に着地する。


「アイザック、大丈夫か!? 待ってろ、今助けに行ってやるからな」

 ヨハンが驚いて声を上げた。


(どうして騎士たちは誰も注意しなかったんだ!)


 いくら攻撃魔法ではないとは言え、魔法の直撃を受けたのだ。

 子供があんなに高く打ち上げられて無事なわけがない。


「うん、大丈夫」


 しかし、奇跡的にアイザックは無事なようだった。

 これにはヨハンだけでなく、壁の裏にいた騎士達も驚いていた。

 しかもアイザックは高い壁の上にいるというのに怖がる様子もなく、むしろ景色を楽しんでいる。


(ほっ)

(ちっ、気に入らねぇガキだ) 

 それを見て安堵する騎士と舌打ちをする騎士。

 

「さぁ、終わった終わった。みな引き上げだ!」

 部隊長らしき人の指示で魔導部隊は帰る準備を始めた。


(え? 閉じ込められた?)

 ヨハンは壁の裏にいる魔導部隊に声を張り上げた。


「騎士達殿、壁を築くなら村の南側ではなく北側の方がいいのではないか? 魔境化は北の森で起きていると聞いたぞ? 防壁は南側よりも北側に必要だ」


 ヨハンの声に反応して「ちっ」と舌打ちする騎士がいた。


「司祭殿、勘違いしないでいただきたい。メイロード伯爵は既にこの土地を放棄された。この地にあなたや村人が残るのは勝手だが我々の仕事はこの地から魔物の流出を防ぐために村の出入り口である南側に防壁を築くこと。この地を守るためではなく、この先にある村に通じる道を守るのが我々の受けた命令だ」


 壁越しに帰ってきた返答にヨハンは愕然とした。


「王命を受けた騎士ともあろうものが、守るべき国民を見捨てるというのか!?」


「これは人聞きの悪いことをおっしゃる。メイロード伯爵は既に通達されているはずだ。我々は見捨てるのではない。その者らが勝手にこの地にとどまることを選んでいるに過ぎん。となればもはや国民ではない。もっと言えば、今現在からこの防壁が国境となる。それを心得てもらいたい」


「そんな……」

 ヨハンは愕然とする。


 村の入り口を塞いでいるのは単なる土壁に過ぎない。

 崩したり、穴を開けたりすることは出来る。


 しかし、国民でない者が国境の壁を崩したらどうなるか?

 それは密入国、下手したら侵略行為とみなされる。投獄されたり、殺されても文句は言えない。


「まぁまぁ、ヨハン司祭。我々はこうなるのは承知していましたから。騎士様の言う通り、勝手に残っているんです」

 ダンがそう言ってヨハンを宥める。


「むしろ税金を納めずに済むので願ったりですよ」

 冗談めかして言うダンからは余裕が感じられた。

 強がりなどではなく、本心からの言葉なのだろう。


「ふっ、何とも逞しいですね」

 ダンの笑顔に当てられてヨハンの憤りは消え去っていた。


 魔導部隊はあっという間に帰っていった。

 今日中に最寄りの村まで戻るために急いでいたのだろう。


 一応、国境という扱いになるはずの防壁には一人の見張りもつかなかった。


「じゃあ、ヨハン司祭の家を案内するね」

 気が付けば、いつの間にかアイザックがそばに来ていた。


「え? いつの間に降りてきたの?」

「ん? 普通に飛び降りたよ」


「あ……そう……、そうなんだ」

 ヨハン司祭は驚いたものの、野生児であればそれくらい出来そうなものかと強引に納得する。


「それで……僕の家があるって本当なのかい?」

「うん、あるよ。司祭様が来るって教皇様から言われていたから造っておいたんだ」

「それはありがたい。住むところも一から造らないとって思ってたから助かるよ」



「あ、あの家だよ」

「すごい。思ってたよりもしっかりした家だね」

 決して大きい家ではないが、一人で住むには十分な広さがある。


「トイレは家の裏ね。寒くなると外に出るのが面倒だけど、家の中が臭くなるよりはましでしょ?」

「いや、トイレがあるだけでありがたいよ」

 ヨハンは案内された家に、馬車からせっせと荷物を運ぶのだった。



 そして、村を見学しながら村長であるダンに相談する。


「ダンさん、もしよければ僕を狩りに同行させてもらえませんか? 食料も自分で調達しないといけないので」

「ええ、いいですよ。何なら今からどうですか? 今日は天気もいいですし。まだ日が落ちるまで時間がありますから」

「はい、是非」



 魔法を扱えるのは貴族か騎士である。

 しかし、そこに例外が存在する。それは教会関係者である。

 教会関係者は貴族でないにもかかわらず魔法を扱うことが出来る。


 魔法を扱える者にはある共通点がある。

 それが「壁越え」である。 

 

 魔法を扱うには条件があり、領主と契約を交わす必要がある。

 精霊と契約を交わしている領主と主従契約を結ぶことで精霊の力を一部行使する権限を得るのである。そして呪文を通して精霊に働きかけ、精霊は術者の魔力を消費して魔法を発動する。

 ちなみに「壁越え」を果たしていない者に精霊の力を行使する権限を与えると、その殆どが精神を破壊されてしまうため、現在ほとんどの国で禁止されている。

 

 教会関係者の場合は教皇から聖任されることで精霊神の力の一部を行使する権限を得る。聖任と主従関係とで言葉は異なるが、その実態は同じである。

 そのため教会関係者は貴族や騎士と同格に扱われる。


 つまり、ヨハンは16歳にして「壁越え」を果たしている天才なのである。

 厳しい訓練を乗り越え「壁越え」に至ったヨハンは自分に誇りを持っていた。


 魔境化が進む森で危険が迫ったなら、「壁越え」を果たしている自分が皆を守らなければならないと考えていた。


 


 その彼の認識は大きく変わることになる。

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