第6話 異変

「じゃあ、行ってくる」

「あなた、気を付けて」


「ああ、心配するな」

 ガイルはユーリの頬に軽く口づけする。


「……」

「どうした、アイザック? 父さん達は昨日逃げた残りの狼を追うんだ。アイザックは連れて行ってやれないぞ」

 置いてけぼりにされるアイザックは少しむくれていた。


「うん……、それは分かってる。昨日も僕がいたせいでお父さんに迷惑かけちゃったし……」

(いや、俺一人だったら死んでたかもしれないんだが……まぁ、いいか)


 もし昨日、ガイル一人で狼に囲まれていたらおそらく死んでいただろう。理由は分らないが奇跡的に生き残れたのはおそらくアイザックが関係している。それに加えて今朝目にしたアイザックの驚異的な身のこなしと剣捌きを考慮すれば狩りに同行させてもいいのかもしれない。


 しかし、敢えてガイルはそれを口にしなかった。もし連れて行ったらユーリから雷が落ちることは明白だし、何よりアイザックを危険に晒すわけにはいかない。


「それなら、この短剣は今日もお前に託す。この村に残る男はアイザックだけになるからな。何かあればこれでユーリ達を守ってくれ。いいな?」

「うん、わかった」


 この開拓村にいる子供はアイザック一人だけである。

 ダンやロイドの家族にも子供はいたし、アイザックにも兄弟はいたのだが、この地の厳しい冬を超えることができなかった。ただでさえ厳しい開拓生活に加え、今年から人頭税を納めなければならないということもあり、今まではどの家族にも新たに子供をもうける余裕はなかったのである。


 そのため、ダン、ガイル、ロイドが村から出ると、残る男手はアイザック一人だけになってしまう。


「狼が見つからない場合は昼には引き返すから」


「いってらっしゃい」

「お父さん、がんばってね」



 1時間後

 ダン、ガイル、ロイドの3人は昨日狼が現れた現場に到着していた。

「なっ……」

「ここって……、昨日来たところだよな?」

「ああ……そのはず……だ……」

 それぞれ感じている困惑を声で表した。


「これは……一体どうなってんだ?」

 3人が驚くのも無理もない。

 その現場は昨日見た時とは大きく異なる様相を呈していた。


「こんなのなかったよな……」

「ああ」

「これを見逃せって言う方が無理だろ」

 ダンの問いかけにガイルとロイドが答える。


 そこには巨大な木が生えていた。

 周囲の木々を飲み込み、幹の直径は20mはあろうかというサイズである。

 またその樹高は100mを超えているだろう。


「っていうか、この木のデカさに圧倒されて気が付かなかったけど、周りの木のサイズもでかくなってねぇか?」

 ガイルの指摘でダンとロイドは「はっ」とする。


 周辺の木々はその巨木と比べたら遥かに小さいのだが、森の入り口の木々と比べたら明らかに大きい。

 その巨大化した木々の葉に隠れて、近くに来るまで巨木の存在に気づくことができなかった。


「まさか……これが魔境化ってやつか?」

 ガイルはメゼドの言葉を思い起こしていた。


 魔境とは魔物が跋扈する地を指すが、別に魔境でなくとも魔物は存在する。

 ただ、魔境以外に生息する魔物は弱いものが殆どだ。


 魔境と化すと魔物の数が増え、強い個体が出てくる。

 ガイルの魔境の認識はその程度であり、一夜にしてこんな巨木が出現するなど夢にも思っていなかった。


「ちょっと調べてみよう」

 ダンが二人に指示を出し、巨木を中心に調査を始める。


「木だけじゃないのか……」

 少し調べると、巨木を中心に通常の10倍はあろうかというキノコがそこかしこに見つかった。日の光も碌に届かないのに草や藪も生繁っている。


「キノコは持って帰ったらユーリが喜ぶだろうな」

 農奴の基本的な食事は小麦の粥かパンかどちらかである。

 そこに時々山の幸が加わることがある。キノコはその代表的なものと言える。

 当然ではあるが、小麦以外の食料が手に入ると妻は喜ぶ。これほど立派なキノコであれば如何程だろうか。

 ガイルは妻の喜ぶ顔を想像し顔がにやけた。


 ちなみに肉が食卓に並ぶことはほぼない。昨日の狼肉が村人にどれだけ喜ばれたかは言うまでもない。 

 

 巨木に驚かされたものの、ここに来た目的は狼を狩ることである。

 ガイル達は周囲を調べる際に当然足跡も調べていた。


「あった。……やはりデカいな」

 ガイルはこの場から立ち去ろうとする3匹分の狼の足跡を見つけた。

 そして、そのうちの一つは明らかにサイズが大きかった。


 狼のボスは通常、つがいである。2匹で群れを率いるのである。

 昨日アイザックが仕留めた体の大きい狼は雌だった。

 となれば雄のボスがいてもおかしくない。


 ボスがいないのであれば何匹かの逃げた狼は一匹狼になるかもしれない。

 しかし、1匹でもボスが健在なら、厄介なことに群れが維持される可能性が高くなる。


 そして、大きな足跡が意味することは、危惧していた通りボスが健在であるということであった。


「来てくれ。こっちにも足跡があったぞぉ」

 ロイドが声を上げた。


 すかさずダンとガイルが駆けつける。

「嘘だろ、この足跡は……熊か」

「ああ、間違いない」

「にしても、デカいぞこいつは……」

 ダンは足跡を見てすぐさまそれが熊のものだと見抜いた。

 ロイドがそれに同意する。熊の足跡は識別しやすいため間違うことはまずない。

 そしてガイルは、それが普通の熊よりも大きいことを指摘した。


「多分、俺らよりも頭二つ分は大きいだろうな……下手したらもっと大きいかもしれない」 

 ロイドは足跡から熊のサイズを割り出す。

 予想されるサイズはおそらく2m後半。もしかしたら3mに達するかもしれない。


「まさか、死熊か?」

「ああ、その可能性は高い」


 ダンの言う死熊とは、全身黒い毛に覆われており、首から胸にかけて巨大な鎌の刃のような白い模様がある。それが首を刈り取る死神の鎌を思わせるのと、食べるために人を襲う獰猛な性格からその名がつけられている。

 この地域に生息する巨大な熊と言えば死熊であるためロイドもそう予想していた。


「子供を2頭連れているな。となると大きいのは雌か」

 ガイルは熊が雌であると分析した。

 

 子連れの雌熊はまずい。子供を守るため神経質になっており、より凶暴性が増しているからである。


「まずい、足跡は村の方に向かってるぞ」

 ロイドの声に焦りが混じる。


 熊の脅威度は狼の比ではない。

 それが死熊ともなれば、3人程度の狩人に仕留められる相手ではないのである。

 目、耳、鼻、口内以外の箇所は矢を射ってもその剛毛に防がれてしまう。正確には泥と剛毛が混じって固まり、鎧のようになっている毛皮に阻まれるため、矢では急所に当てる以外に致命傷を与えることができない。

 そして仕留め損なうと、あっという間に距離を詰められて殺られてしまうのである。まして本職の狩人ではなく農奴の弓の腕前では動く的に狙って当てられるはずもない。襲われでもしない限り、手を出していい相手ではないのである。


 その死熊が村に向かっている。

 

 もし、これが狼であれば、家の中に逃げ込みさえすれば助かる。

 しかし、死熊相手にはそうもいかない。仮に体長が3m級であれば、体重は800キロに達しよう。たとえ家の中に隠れたとしても、その気になればその重量と腕力で家ごと破壊されてしまう。


 もはや、狼を追うどころではなくなった。


「足跡を追う、いいか?」

 ダンが確認する。

 ここまでは川に沿って来たため、森の中とはいえ日の光も差し安全性も高かった。ただ川は曲がりくねっており、村に着くまでに時間をロスしてしまう。


 逆に、このまま死熊を追えば暗い森の中を進むことになる。

 死熊が真っ直ぐ村に向かっているのであれば最短で村に着くことができるが、そうでない場合、暗い森の中を彷徨うことになる。

 不意に危険な獣に遭遇してしまう可能性も上がるし、途中で死熊と直接対峙する可能性もある。

 

「「ああ」」

 ただ、3人には希望があった。


 ガイルが『壁越え』を果たしている。

 もしかしたら、ガイルであれば死熊であっても倒せるかもしれない。


 その希望が足跡を追う選択をさせた。




――GRUAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA――


 しばらく進むと、森を震わす咆哮が響いた。

 その声を聞いた大小様々な動物達は、一斉にその声とは反対の方向に逃げ出す。


「な、何だ!?」

 ガイル達3人もその声に体が震えて足が止まる。

 しかし、声まではまだ距離がある。


「い、行こう」

「あ、ああ」


 3人ともその声の主が死熊であると悟った。



――GRUAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA――


 足跡を追い、しばらく森を駆けると再度咆哮が響いた。

 先ほどよりも距離が詰まっている。


 今度は立ち止まらず、3人は足跡を追った。



「おい、待て。血だ」

 先頭を行くガイルが二人に止まるように制した。


「血だと?」

「何か獣を狩ったのか?」

 死熊が何かを狩った。ダンとロイドはそう理解した。


「ウソだろ……」

 ガイルは地面にしゃがんだまま一言漏らす。


 ダンとロイドはガイルの元へ行くと衝撃を受けた。


「こ……これは……狼なのか?」

「バカ言うな……デカすぎるだろ!」


 そこにあったのは今まで見たことのない足跡だった。

 いや、形だけ見ればそれは確かに狼の足跡で間違いない。


 しかし、そのサイズは母親の死熊のサイズを超えていたのだ。


 熊よりも大きな狼。

 あまりにも現実味のない話だ。そんなことがあるはずない。


 3人は脳内で巨狼の存在を必死に否定する。

 しかし、さっき目にしたばかりの巨木の存在がその否定を許さなかった。


 それにこの狼の足跡も村に向かっている。

 いつまでもしゃがみ込んでいる時間はなかった。


「急ぐが、慎重に行こう」

 ガイルは立ち上がり、足を進めた。

 ダンとロイドも後に続く。


 気を張り詰めて前へと進む。



 程なくして3人の足は止まった。

 止めざるを得なかった。


――GRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRR—— 


 低い重低音の唸り声とともにこちらを見据える2頭の巨大な狼がいたからだ。

 頭の位置は僅かに人よりも上に位置する。狼としては規格外のサイズである。


 そして、その足元には子熊が横たわっていた。 


「熊を……捕食してるってのか」

 ガイルの悪い予感は的中した。


 先ほどの血は死熊が他の獣を襲ったものではなく、死熊が襲われた際の血だったのだ。


 狼は威嚇しつつも動こうとはしなかった。

 そしてガイル達も動けなかった。


 ガイルはどうすれば二人を助けられるか、この場を生き延びられるか思考を巡らせていたが、いい手が思い浮かばなかった。2頭同時に動かれた場合、二人を守れる自信がなかったのである。

 また、ダンとロイドは恐怖に体を震わせていた。



 そうして、しばらく膠着が続く。




――GRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRR—— 

 しばらくすると、さらに低く心臓に響くような唸り声とともに、奥から血に染まった狼が姿を現した。


 先に居た2頭よりもさらに頭一つ分大きい。

 2頭はこのボスを待っていたのだと3人は悟る。


 そして絶望が3人を覆っていった。




◇開拓村◇


――GRUAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA――


「ひぃっ」

 まただ。


 また叫び声が聞こえた。それに、さっきよりも村に近づいてきてる。


「お母さん、大変だよ。村に、やばいのが近づいてきてるよ!」

「え? やばいのって……まさか狼?」


「ううん、多分違うよ。それにもっと大きいやつだと思う。このままだと村まで来ちゃうかもしれない」

「もっと大きいのって……わ、わかったわ。畑仕事してる場合じゃないわね。ニイナとサラを呼びに行きましょう。一緒に家の中に隠れないと」


 今まで村が獣に襲われたことはなかった。

 畑に猪や狸が出たことはあるが、誰かが襲われたことは一度もなかったのである。


 ……今回も大丈夫だよね……。


 不安に駆られ、お父さんから預かった短剣の柄をぎゅっと握る。

 そうすると少しだけ、ほんの少しだけ気持ちが落ち着く。

 

「大丈夫、お父さん達が帰るまでお母さん達は僕が守るからね」 


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