第5話 覚醒する夜

 こ、怖い……


 寝なきゃ、早く寝なきゃ。


 うーん、うーん、うーん……


 だめだ、やっぱり眠れない。

 全然眠れない。


 今日は狩りに行って疲れてるはずなのに、それにお肉を沢山食べておなかもいっぱいなのに。


 昨日も全然眠れなかった。

 やっぱり僕の体は今までと違う。


 全然疲れてないし、全然眠くない。


 でも、これってやっぱり教皇様の魔法のお陰なのかなぁ。

 きっとそうだよね。


 でも……


 でも……


 うーーー、怖い。

 暗いのは怖いよ……。


 狼も怖かったけど、暗いのは違った感じで怖いんだよね……。


——WOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOON——


「ひぃっ」


 遠くで狼の遠吠えが聞こえる。


「どうした、アイザック。寝れないのか?」

 しまった。お父さん起こしちゃった。


「うん。狼の遠吠えが聞こえて怖くなっちゃって……」

 暗くて顔ははっきり見えないけど、起きてくれると安心する。

 

「狼の遠吠え? おい、ユーリ聞こえたか?」


「うーん……。いえ、聞こえなかったわ」


 あ、お母さんまで……(お父さんが)起こしてゴメンなさい。


 でもおかしいなぁ、二人には聞こえないのかな?

 今もこんなにハッキリ聞こえるのに……。


「じゃあ、ダンやロイドの家から聞こえてくる声は? それも聞こえない?」


「声?  話し声が聞こえるのか?」


「うーん。話してるっていうか、どっちの家族も似たような感じなんだけど、二人で「愛してるよ」「私もよ」みたいなやりとりをずっと繰り返してて、何してるのかは良く分からないんだけど干草がガサガサ動く音も聞こえる」


——ぶっ——


 暗くて二人の顔は良く見えなかったけど、お父さんとお母さんが吹き出したのは分かった。


「まさか、あいつら人頭税を払わなくてよくなったからってもう子作りしてるのか?」


「い、いくらお隣さんとは言え、かなり離れてるし。喧嘩の怒鳴り声だって聞こえたことないわよね……」



「アイザック、お前……耳も良くなったのか?」

「うーーん……そうかもしれない」


 二人には聞こえないってことは多分そうなんだと思う。


「アイザック……お隣さんの物音は気にせずにゆっくり休みなさい。もしかしたら教皇様の魔法のお陰で耳も良くなってるのかも知れないけど……絶対に聞き耳を立てちゃダメよ」


「う、うん。お母さん。……気にしないようにするね」



 【命の息吹】は頻繁に使用される魔法ではないためその効果が正しく認識されているわけではない。しかし、これまでのところ【命の息吹】によって聴覚が鋭くなったという事例はなかった。


 【命の息吹】は単に怪我や病気を治すだけの魔法ではない。状態異常からも回復するし、体力も回復してくれる。


 それは眠気や疲労も回復することを意味する。

 つまり、脳も回復するのである。


 脳の疲労が回復すると睡眠を必要としなくなる。

 また、睡眠を取ることによって本来得られたはずの効果、精神の安定、ホルモンバランスの安定、記憶の定着や集中力の向上といったものも同時に得られる。


 つまり【命の息吹】が発動すると睡眠をとったのと同じ効果を得るのである。


 また、人は集中して、意識して、物事を見たり聞いたりすることで視覚、聴覚は研ぎ澄まされていく。


 ただ、集中力というものは普通は長続きしない。


 しかし、アイザックの場合は脳が疲れて集中が切れようとすると、【命の息吹】が発動してしまうのである。

 メゼドは必要に応じて【命の息吹】が発動するように術を掛けたが、「脳が疲労する」という僅かそれだけのことで【命の息吹】が発動してしまうとは全く予想していなかった。

 結果、誰も想定していなかったことであるが、アイザックは疲れることを知らずに感覚を研ぎ澄まし続けることが可能になってしまったのである。

 勿論、何かに集中するというのは自発的に行うものであり、死に面するようなことでもなければ脳が勝手に集中するということはほぼない。


 しかし、アイザックはビビりだった。

 暗闇が怖かったのである。


 そのため、暗闇の中で恐怖が防衛本能に働きかけ、意図せずとも周囲の情報を得ようとしてしまう。アイザックの集中力を際限なく引き出し、半ば強制的に感覚が研ぎ澄まされる。疲労することもなく延々とである。そうして感覚の訓練と回復が繰り返されることでアイザックの五感はどんどん鋭くなっていったのである。


 特に聴覚はそれが顕著に現れた。怖いから物音を聞きたくないという本人の意思に反してより遠くの物音を聞き取れるようになり、それにより一層恐怖心を掻き立てられ、さらに集中を引き出される。という悪循環に陥っていた。


 普通そのような状況が続けば、パニックになるか、ふと集中が切れた際に疲れて眠るか、もしくは精神を病むのかもしれないが、アイザックは随時【命の息吹】が発動するためそのように楽をすることが出来ない。恐怖心は消えないが、すり減った精神は回復してしまうからである。そのため夜の間は延々と暗闇の恐怖と向き合わなければならなかった。



 あ、もうすぐ来る……



 しかし、そんなアイザックにも僅かに安らぐ時間があった。

 たまに【命の息吹】が発動し、淡い光に包まれるとき、短い時間ではあるが暗闇が退くのである。

 そして、何度も【命の息吹】の発動を経験したアイザックは、発動する際の独特の感覚を認識するようになっていた。



——ポウ——


 あぁ……。明るい。


 あ……もう消えちゃった。

 すぐ消えちゃうんだよなぁ。


 もっと光ってくれないかなぁ……。



 眠れないビビリのアイザックが暗闇の中、この淡い光を求めるのは当然の流れであった。

 そして、ふと気づく。



 ん?


 そう言えば、森から帰ってくるときは結構光るペースが早かったような……。

 もしかして……運動して疲れたりすると光るのかな?



 両親の睡眠を妨げないように、物音を立てることは出来ない。

 静かに出来る運動ということで、アイザックは取り敢えず腕立て伏せをやってみた。



 あ、やっぱり! これはもうすぐ光るぞ!



 そして案の定、光るタイミングは単に横になっている時よりも圧倒的に早くなった。



——ポウ——


 よし! もっと、もっと!


——ポウ——


 よし! もっと、もっと!



 【命の息吹】の効果で疲労は溜まらない。そのため何回でも腕立て伏せをすることが出来た。


 そして、脳の回復と同様のことが筋肉の回復でも起きていた。腕の曲げ伸ばしによる僅かな筋線維の断裂を幾つか積み重ねると【命の息吹】は発動した。そしてその運動により本来はもっと後に得るはずの超回復の効果を瞬時に得ていたのである。


 つまり、運動したそばから肉体が改造されていったのである。


 勿論、アイザックはスポーツ学の知識も医学の知識も持ち合わせていない。

 しかし、より大きく体を動かす方が、より負荷の大きい方が、より動作を複雑にして脳も使う方が、短い間隔で【命の息吹】を発動できるということにアイザックが気づくまでそう時間はかからなかった。


 そしてアイザックは体を動かすことがどんどん好きになっていった。


 運動に没頭することで暗闇の恐怖から逃避できるという側面もあったからであるが、努力に応じて光が得られること、そして力が増していくこと、体の操作が上手くなっていくこと、そういった自分の成長を感じられることが楽しかったのである。



「アイザック!! お前……今日も寝なかったのか?」

「あ、お父さんゴメン。起こしちゃった?」



 まだ夜も明けきらぬ薄暗い闇の中、淡く光を放つアイザックが太い丸太(テーブル代わりに使っている)を腕に抱えてスクワットしているのを目撃し、ガイルは絶句した。


 その丸太はとても6歳児が持ち上げていい重量ではなかった。妻のユーリでも持ち上げることは難しいだろう。



「お前、一晩中運動してたのか?」

「うん、楽しくなってきちゃって……」


 これ持って運動するとピカピカ光るからいいんだよね。



 アイザックが無邪気に笑うのを見て、ガイルは戦慄が走るのを禁じえなかった。

 そして、ふとある考えがよぎる。


「アイザック……寝れないなら俺の剣を振ってみろ」

「えっ? いいの?」


 やったー!

 今まで剣は危ないから触っちゃダメだって言われてたのに……


「ああ、そのテーブルを持ち上げる腕力があるなら剣に振り回されることもないだろう。それに、いざって時のために剣を扱えるようになっておいた方がいい」


 

 ガイルはアイザックに剣を差し出す。

 アイザックはその剣を恐る恐る受け取る。


 剣といってもピカピカの剣ではない。

 所々錆もあるし、刃こぼれもある。


 切れ味は大分失われているといってもいい。


 それでも剣は剣。

 アイザックの表情は輝いた。

 


 うわー…剣だ…。うわー……


「まずは両手で握って振ってみろ。大きく振りかぶって思い切り振り下ろす。振り下ろしたときに剣がピタッと止まるようにするんだ。とりあえず細かいことはいいからそれだけ心がけてやってみろ」

「うん、わかった」


――ビュン――


 

 アイザックの剣は空気を切り裂いて振り下ろされ。

 ピタッと止まった。


 それを見たガイルは安心する。


「うん。なかなかいい。ちゃんと振れてるな。これなら大丈夫そうだ。俺はもう少し寝るぞ。好きなだけ素振りしろ」

「うん」


 やった!

 褒められた!


 それに剣を持ってると何だか安心するなぁ。



 剣は丸太のテーブルよりも大分軽いため光を発するペースは落ちる。

 しかし、武器を持っているというだけでアイザックの恐怖は少し和らいだ。


 剣を振るのは楽しく、アイザックは夢中で剣を振った。


 そうしてアイザックは朝まで剣を振り続けるのだった。

 より負荷をかけ、より光るように工夫しながら。


 両親が目を覚ますと、笑みを浮かべながら片手で剣を持ち、目にも止まらぬ速度で剣をふるうアイザックの姿がそこにあった。


 


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