第4話 壁超え

◇ガイル◇


 アイザックが狼に向かって行ってしまった。


 ダメだ、行っちゃダメだ!

 動け、くそ、動け俺の体! しっかりしやがれ!


「ああ、アイザック! 行くな、アイザックゥゥゥ!」


 アイザックに狼の群れが飛び掛かる。

 その光景はやけにゆっくりに見えた。


 もしかしたら魔法のお陰でアイザックは死なないのかも知れない。


 でも、そんなことは関係ない。

 あいつは俺の子だ。


 子は親が守るもんだろうが!


 その気迫の故か、噛みつかれてボロボロのはず足が、動かなくなっていた足が不思議と前に出る。


 何だまだ動くじゃねぇか。

 俺はこの後どうなってもいい、今、動け! 動いてくれ!


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」


 気合で無理やり体を動かす。


 守れ!


 守るんだアイザックを!


 必死に駆け寄る。


 そしてアイザックに群がる狼どもに蹴りを入れ、拳を叩き込み、剣で薙ぎ払った。

 怒りに任せ、可能な限り力を込める。



 あ?

 何だこれ?



 あれ程翻弄されていたのに、狼たちの動きがひどく鈍く見える。それに脆い。


 ガイルの一撃ごとに狼は弾じけ飛び、貫かれ、断ち切られ、その命を断たれていた。


 瞬く間にアイザックを取り囲む狼達を屠る。 


 倒れているアイザックを抱きかかえる。

 アイザックの体は淡く光に包まれていた。


 良かった、生きてる。


「アイザック、大丈夫か?」

「うん……あれ、狼たちは……お父さんがやっつけたの?」


 残った何匹かの狼たちは既に逃げ去っていた。


「ああ、安心しろ、父さんがやっつけてやったぞ」

「すごい! お父さんは本当にすごいや! でも、やっぱり僕がいたからお父さんは力を出し切れなかったんだよね。ごめんなさい」


「あ、いや……」

 あの数の狼は一人ではどうにもならなかっただろう。

 アイザックが足を引っ張る云々以前の問題だ。


 さっきの火事場の馬鹿力のような力が出なければどうにもならなかった。


「アイザックが勇気を出してくれたおかげで、父さんにも力が湧いてきたんだ。ありがとな」

「そうなの? へへ、よかった」


 自分で言って気が付いたが、今も力が湧いているような感覚がある。

 さっきまでひどく重かった体が軽い。


 それに傷口も……いつの間にか塞がっている。


「でも、狩りはここまでだ。猪じゃなくて残念だが、狼を持って帰ろう」

「うん、お母さん喜ぶかな」


「そりゃ勿論さ。でも、川で血抜きをするついでに服も洗おうな。血だらけで帰ったらユーリが気絶しかねないからな」

「わかった」



 3時間後

「お母さーーーん、狼獲ったよーーー!」


 切り取った狼の足を掲げながらアイザックは母親の元へ駆けていった。

「ええ! スゴイじゃないアイザック! おかえりなさい。大丈夫だった?」

「うん」


 アイザックは戦利品のように狼の足を見せつける。

「良かった。大物が獲れたわね。じゃあ、それ家に持って行ってくれる?」

「わかった」

 アイザックは元気に家へと向かった。


「ユーリ、今帰った。こいつを捌いてくれ。夕飯は狼肉だな」

 ガイルは肩に担いでいた狼をドサッと地面に置く。


「あなた、……狼ってどういうこと? 危険のないようにするって言ってたじゃない」

 胸の前で両腕を組む妻が怒っているのは明白だった。


「ああ、すまん。説教は後でいくらでも聞く。でも今はダンとロイドに知らせなきゃならんことがある」

 しかし夫の服がボロボロなのに気づきユーリの顔が蒼白になる。


「あなた、大丈夫なの?」

「ああ、大丈夫だ。怪我はない。説明するからユーリも一緒に来てくれ」


 二人は村長であるダンと奥さんのニイナ、もう一家族の隣人であるロイドとサラを集めた。


「みんな忙しいところすまない。今朝、俺とアイザックは狩りに出かけたんだが、ここから川沿いを半刻ほど上っていったところで狼の群れが出た」

 「群れ」という言葉を聞いてユーリは眩暈がした。

 ニイナとサラは狼と聞いて「ひぃ」と息を飲んでいる。


「ガイル、良く無事に帰って来てくれた。気づかれなかったのか?」

 ダンは事の重大さを理解しガイルを気遣った。


「いや、足跡を見つけてすぐに逃げようとしたんだが、気づいたら既に囲まれていた」

「え、それならどうやって切り抜けたんだ?」

 ロイドが信じられないといった表情で尋ねる。


「俺も必死だったからよく覚えてないんだが、最初は狼どもに一方的にやられて、正直死を覚悟していたんだ。でも、アイザックを守らなきゃって一心で、最後の最後に自分でも信じられない力が出てな。気が付けば狼どもを殺しまくってた。何匹かは逃がしちまったが……」


 にわかには受け入れがたい話に皆一様に驚く。


 少しの沈黙の後、ダンが口を開く。

「『壁超え』ってやつか?」


 強い獣や魔物を倒したり、厳しい修練を乗り越えると稀に身体能力が飛躍する現象が起きる。それを『壁超え』と言う。

 ただ、『壁超え』が起きるのは稀であり、『壁超え』を経験することなく一生を終える者が大半を占める。


「かもしれない。……でも、何か違う気もするんだよな。ほら、見てくれ。俺の服ボロボロだろ? 血もいっぱい出てたんだよ。でも……傷が治っちまってるんだ。『壁越え』で傷まで治るなんて聞いたことないだろ?」


「それって、アイザックが関係してるかもしれないってことか?」

 アイザックが教皇に癒されたことは村の全員が知っている。この小さな村でそんな大事件が知れ渡らないはずがない。当然、アイザックが怪我がすぐ治る不思議な体質になったことも知れ渡っている。


 この質問を投げかけたロイドだけではない。

 基本的に農奴に学はない。故に理屈は脇に置き直感で物事を紐づける。

 皆ガイルの身に起きた不思議なことがアイザックと関係ないとは思えなかった。


「ああ。それにな、アイザックは病気が治ってから何か絶好調すぎるんだよ」

「それって……何か問題あるのか?」

 ダンが半眼でガイルを見やる。


「何か、急に成長したっていうか……別に背が伸びたわけじゃないんだが、病み上がりなのに森を歩き回っても平気な顔してるんだよ。しかも狼の片足をずっと持ったままな」


「「「「「えっ?」」」」」

 

 アイザックが持ち歩いていた狼の足は5キロ以上はある。

 6歳の子供にとって決して軽いものではない。それを手に持ったまま1時間以上森を歩くというのは普通のことではない。

 皆が驚くのも無理はなかった。


「そう言えば……あの子、昨日全然寝てないのよ……」

「何!? そうだったのか?」


 ユーリの突然の言葉にガイルが驚く。


「てっきり、狩りに行くのが楽しみで興奮してるだけだと思ったんだけど……あの子大丈夫かしら……」


「ま、ガイルが子作りしにくくなる以外、アイザックのことは問題ないだろう。原因は教皇様の魔法だろうからな」


 ガイルが「それは大問題だろう」とツッコむがダンは軽やかにスルーし言葉を続ける。


「それよりも、狼がこの付近に現れるようになったことのほうが問題だ。ガイルのお陰で数は減っているが、村までやってくる可能性もあるかもしれん」


 この小さな村においては、人の命はもちろん、家畜の命も村の存亡に直結する。

 この開拓村は国の北端に位置し、冬は厳しく長い。その冬を生き延びるためにどの家畜を食料とし、どの家畜を生かすか、慎重に考えつくした上で判断する。

 とてもではないが、家畜とて狼にくれてやる余裕はないのである。


 冬に向けてやるべきことは沢山ある。

 それでも、狼の脅威を取り除く重要度は高かった。

 そこで話し合いにより、ダン、ガイル、ロイドの3人で狼狩りをすることが決まった。


 一時間後

 男3人は森に来ていた。

「ここが俺とアイザックが狼に襲われた現場だな」


「これ、お前の血か?」

「ガイル……よく生きてたな……」

 ダンとロイドはあまりの血の跡に唖然とした。

 そして、そのような状況を生き抜いた友人を誇らしく思ったのだった。


「ああ、自分でもビックリだよ。……で、こっちだ」


 すでに日は傾き始めている。

 何故、こんな時間に森に来たのかというと、それには訳がある。


「おお」

「はは、すごいな」


 ガイルは川に二人を案内する。

 川の中にはガイル一人では持ち帰ることができなかった狼が沈められていた。


 獣を仕留めたら血抜きをする必要がある。それは血から細菌が繁殖するからだ。

 そして肉を悪くする。もちろん。血抜きをしなくても焼けば食べられないことはないが、その肉は臭くなり味も悪くなってしまう。

 同様に、ガイルは肉を川に沈めて保冷することで細菌の繁殖を抑え、肉の鮮度を維持した。

 ガイル達に細菌に関する知識は全くないが、先祖から受け継がれた生活の知恵として肉を長持ちさせる方法を知っていたのである。


 川に沈めた狼は全部で8匹。1匹あたり40キロくらいの体重がある。とても一人で持ち帰れる量ではなかった。


 そしてほかの狼よりも一回り体の大きい狼がいた。その狼は他の狼と比べても体の損傷がほとんどない。片足がないことを除けば、きれいな死体だった。毛皮も大きくきれいなものが採れるだろう。

「でけぇな。群れのボスか?」

「きれいに仕留めてやがる」


 当然、肉の量も多い。ダンとロイドは興奮した。

 困ったときはお互い様で助け合う。逆に、恵まれたときも分かち合うのが村の常だ。狼は村の皆で分かち合うことになっている。


「このデカいのは俺が仕留めたんじゃない」


 ガイルの言葉に友人二人は絶句した。


「アイザックが短剣で仕留めたんだよ。さすがにユーリには言えなかったがな」


 どう見てもアイザックの2倍、いや3倍は体重差があるだろう。

 そんな狼に襲われながら6歳の子供がどうやって仕留めたというのだろうか。


「おい、冗談だろ?」

「そんなこと有り得るのか……?」


「実は、アイザックな。俺がボロボロになったら一人で狼に向かっていったんだよ。自分は教皇様の魔法があるから大丈夫だって言ってな……。で、狼に向かっていったんだが囲まれちまってな。その時だ、急に世界がゆっくり動くように見えて、俺だけ速く動けるようになってた。んで気が付いたら狼を殺しまくってた。一発で片が付くから、俺が仕留めたやつはいろいろ吹っ飛んでたり、ぶった切りになってたりするんだが、こいつはきれいだろ。アイザックは喉を短剣で突いたんだよ。体中狼に噛まれながらな……」


「偶然……ってことはないか?」

 ロイドはアイザックが意図的に仕留めたとは思えなかった。


「そういや教皇様が言ってたな……アイザックには何か為すべき務めがあるんだろうって……。だから多分、……偶然じゃないと俺は思う」

 ダンは教皇の言葉を思い起こしていた。アイザックには自分たちの常識では測れない何かがあるんだろう。そう確信した。


「頼む、二人とも。これからもアイザックを温かく見守ってやってくれ」

 ガイルは二人に頭を下げる。


「ばか野郎、頭なんか下げるな」

「俺らは全員家族みてぇなもんじゃねぇか、当たり前だろ」

 ダンとロイドはガイルの話を聞いてもアイザックのことを気味悪がったりはしない。

 それがガイルには嬉しかった。


「それに今んとこ一番気味が悪いのは、お前の身体能力の方だからな」

「ははは、違いない」


 そんな冗談を言い合いつつ、背負子に仕留めた狼の約半分を積む。

 思いがけない肉を得たことで、荷の重さに反比例し3人の心と足取りは軽かった。

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