第228話 吸って吐いて~
「椎名君!おかえり!」
「犬堂さんっ!」
餃子の材料を急いで買い揃えてからホテルへ戻ってくると、聞き慣れた声が私達を出迎えてくれた。
飛んでくるって言葉が正しいぐらいに玄関までやってきた犬堂さんは、両手を大きく広げてにこにこと笑う。
「目が覚めて本当に良かった!心配したんだよ。あぁでも、ベッドで昏々と眠り続ける椎名君は雫ちゃんとの絆イベント『私、うっかり屋さんで』を彷彿とさせて、僕個人としてはずっと見ていられる神聖さだったね。このイベントはどうしても他者と一線引いてしまう雫ちゃんが他人に頼るきっかけになるイベントだけど……勿論!椎名君の身に異常がないと分かっている状況下で楽しんでいるだけだから!」
「け、犬堂さん犬堂さん!」
あぁあ、これは帰って早々、久しぶりの雫ちゃんモードな犬堂さんですね。
って、犬堂さん私のこと、本当に心配してました!?
雫ちゃんのことになると、周りが見えなくなっていくんだから……って憤りを感じてる場合じゃない。
いつもみたいに大暴走していると、余計なボロが出ちゃいますよ!
だって今日は私達だけじゃないんですから!
「え?雫ちゃんのことをもっと知りたい?」
「いえ、そうじゃなくて……」
「……お世話になっております」
私の背後で居心地が悪そうに苦笑を浮かべているコリンさん。
そう、実は銅像の話が終わった後、コリンさんに「みなさんでランチでも」って誘われたんだよね。
ただ私が完全に餃子の口だったので、これはもうコリンさんも一緒に!ってことで、餃子パーティーにお誘いしちゃったのです。
犬堂さんはコリンさんの姿を確認するなり、ピタリと動きを止めて、わかりやすく深呼吸を繰り返した。
吸って吸って吐いて~。
そうして、戻ってきた犬堂さんは、落ち着いてエレガントな所作と優雅な笑顔の犬堂さんになっていた。
「やぁ、コリン。お仕事ご苦労様、お茶でも入れようか」
「いや、その切り替えはどう見ても無理だろ」
うん、この時ばかりはウィルの突っ込みが正論すぎて深く頷くしかない。
コリンさんみたいな顔見知りには貴族然とした姿じゃなくて、いつもの犬堂さんを見せることもあるけれど、流石に雫ちゃんモードは私の前でしか出さないもんね。
微妙な空気を読んだのか、コリンさんが軽く咳き込んだ。
「ここで見たことを忘れろと言うのであれば忘れますよ。仕事柄慣れていますので」
「気を利かせてくれてありがとう。うん、気にしないで」
「はぁ。若旦那がそう仰るのなら」
そっと犬堂さんが私の後ろに隠れるように立つ。
隠れるって言っても私の背丈じゃ、ほぼ丸見えでいっそ手に持たれた盾って感じ。
何でもないって顔をしているけれど、これは珍しく犬堂さんがちょっと動揺しているのでは。
「犬堂さん、そう落ち込まないでください。流石に雫ちゃんって言われ続けるのは困りますけど、その一面も犬堂さんの一部ですし。私は良いと思います」
「し、雫ちゃん……」
きゅんっと効果音が出そうな程に胸の前で手を握りしめる犬堂さん。
「それに、今から餃子を作りますから。それを食べて元気出してくださいっ!」
「え、餃子?餃子って中華料理の……?」
「はいっ!」
そう言って私はリークさんとウィルが持つ沢山の食材を指さした。
私とウィルが元々買っていたのも含め、目利きの効くリークさんとそれを通常の3割引きで値切ってくれるコリンさんのおかげもあって、それはもう豪華な量になっている。
デザート用にフルーツも買っちゃったし、ランチだけど超ごちそうになりそうな予感です。
「そんなわけで、さっそく餃子を作るのでウィルとリークさんは手伝ってね!犬堂さんは食器を用意して貰えると助かります!」
「いいぜ、任せてくれ」
「まぁ。手伝うぐらいなら……」
リークさんは新しい料理を体験するのに興味津々でウィルは美味しい物を食べられるなら手伝うって感じかな。
本当なら私が1人で作って餃子をふるいたい所ではあるんだけど、この食材の量だと1人で頑張るのは無理だと判断しました。
なので、みんなで一緒に作れば早いのです!
食材をキッチンに運んでもらって、意気揚々と始めようとした所でコリンさんが声を掛けてくる。
「あの、私は何をすればいいでしょう。だいたいの事は出来ると思いますので、何でも仰ってくだされば」
「コリンさんは餃子が出来るまでソファに座って寛いでいてください!」
「し、しかし。流石に私だけ手伝わないのも……」
「いいんです。むしろお腹を空かせて待っているのが、今のコリンさんにお願いすることです。だって、コリンさんもこの3日間、ウォールの為に沢山頑張ってくれたんですから!」
「いえ、それは仕事ですし」
「そう、だからお仕事お疲れ様の意味もあるのです。それに、私の為に会議で色々な人と交渉したって言ってましたよね?だから、そのお礼をさせてください」
コリンさんには何だか色々お世話になった気がするんですから!
私の為に難しい事を全部引き受けて、けど、それを表には出さない気がするんだよね。
「最高に美味しい餃子を作るので、待っていてくださいね!」
胸をどんと叩いて私はコリンさんに満面の笑みを向けた。
コリンさんは少しぽかんとした表情で私を見た後、目を優しく細める。
そして微笑みながら「はい」と小さく返事をしてくれた。
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