第8話 ムキムキマッチョの熊さんと私


目が覚めると枕元に置いてあるスマホで現在時刻を確認する。

私は何度もスヌーズ機能を使って、学校へ行くギリギリまで惰眠を貪るのだ。

干したばかりのふかふかのお布団。しっかりと頭を支えてくれる大き目の枕。

そして、


「はっ……!」


あんなにも目覚めの悪い私が、急に覚醒するみたいに起きた。

異様に心臓がドキドキする。

細く息を吐きながらゆっくりと呼吸を繰り返していると、ようやく現状が呑み込めてきた。


そうだ、私は異世界に召喚されてしまったんだ。

夢だったらどんなに良かっただろうか。

むしろ現実世界のことを夢として見ている時点で、なんだか世界の中心が真逆にひっくり返っちゃった気分なんですけど。


はぁ、と今度は大きめに息を吐いて、私はもぞもぞと身体を動かした。

その瞬間、全身を痺れるような痛みが走る。


「いっ、たー…これ筋肉痛?体中がバキバキする」


立ち仕事の私でも流石に8時間歩き続けるのは駄目だったみたい。

これは2日は引きずりそうな痛みだ、とほほ……。

とりあえず、頑張れば身体は動くから、少しずつ痛みに慣れていくしかない。

まだ!若いですし!


そんな風に自分に言い聞かせながら上半身をゆっくり起こした時、ふと私は自分の手元が赤いチェック柄のソファではなく、白いシーツであることに気付いた。


「あれ?私、ソファでふて寝したような」


はっとソファへ視線を向けた私が見たのは、フードを目深に被り、足を組むような姿勢でソファに眠るウィルの姿だった。

いつの間に帰ってきてたんだろう、全然気付かなかった……じゃなくて、なんで彼はソファに寝ているんだ?


昨日、あれだけ自分はベッドに眠るという強い意志で部屋を出ていったくせに……。


「もしかして、私がソファでヘバってたから、気を使ってベッドに運んでくれたのかな……」


ベッド側に沿うように置かれたローファーは夜見た時と変わらず傷だらけだったが、私の足は擦り傷らしい怪我もない。

思えば、 トータの街に向かっている最中、随分早足なんだなって思ってたけど、もしかして、あえて先を歩いていたの…?


そういえば、平原とは言っても、草の背が高い所がちらほらあった。

何か、やたらモゾモゾしてるな~って思ってたアレ、まさか私が歩きやすいように草を軽く踏みながら進んでくれていたのか!?


ベッドだって、私はソファで寝ているんだから、帰ってきてそのままベッドで眠れば良かったのに。


「良い人っぽさがわかりにくいよっ……!」


もっと素直に言ってくれたらいいのに!

足下気をつけろよ、とか。ベッド使っていいぞ、とか。


わかりにくい、わかりにくいよ!!


「でもまぁ……ありがとうございます。ウィルさん」


ベッドの上からウィルを眺める。

不器用な男の寝顔は、フードに隠れて残念ながら見ることはできなかった。



ウィルを起こさないように部屋を出た私は、廊下を軽く見渡した。

正確な時間は分からないけど、窓から入ってくる光の感じと体内時計の感覚で、多分朝の6時ぐらいかなぁ。

とはいえ、完全に目は覚めてしまったので、朝の支度をしたいわけだ。

早起きは三文の得って言うしね。


「顔洗う場所とかないかなぁ。ついでにお風呂とかもあれば最高なんだけど」


この世界の技術がどの程度発達しているのかさっぱり分からないから、あまり期待をするのもどうかと思うけど。


2階は客室オンリー。

1階は……フロントらしきカウンターがあったけど、他はどうだったかな。

怖そうな人がいっぱいいて、全然見る余裕がなかったよ。

少し昨日の恐怖を思い出しながら、私は階段の上の方からそっと1階をのぞき込んだ。


「誰もいない。ラッキー!」


夜はあんなに賑やかだったのに今は静かなもので、ちゅんちゅんと小鳥の鳴き声だけが響いている。

これなら、洗面台ぐらいは探せるかもしれない。

いやぁ、疲れに身を任せて眠った所為か、なんかこう身体中が埃っぽくて、顔もべたついているから、早くこの不快感から解放されたい!


「おっと、モタモタしてる間に誰か来たらまずいし、早く探そっと」


私は忍者のような俊敏さで階段を音もなく降りると、1階にやってきた。

しんと静まりかえった受付辺りは、人がいないから何倍も広く見える。

壁に掛かっている大きな地図だったりとか、昨日はその存在に全く気付かなかった本棚だとか、気になる物は沢山あるけど、後で。今は洗面台を……。


「おはよう、嬢ちゃん」


「ぴゃー!!」


ビクッと身体が飛び上がる。

口から心臓が出たんじゃないかと思って、慌てて押さえた所で、私は声のした方向を振り返った。


「悪いな。脅かすつもりはなかったんだ」


カウンターの内側に、いつの間にか男の人が立っている。

昨日、ウィルに鍵を渡していた、眼帯にスキンヘッドにムキムキマッチョの人。

うわぁ、明るい所で見ても威圧感が凄い。

大きいってレベルじゃなくて、なんかこう自動販売機がドンと目の前に立ちふさがるような。


「い、いえ。私もびっくりして大きな声を出しちゃって、すみません」


あはは、と乾いた笑い声を漏らしつつ、とりあえず謝罪する。

クレームじゃなくても、謝罪は大事。うんうん。


ビクビクしながら上目遣いに目をやると、威圧感自動販売機……もといムキムキマッチョの人はニッ、と口角を大きく持ち上げて笑った。

その様子が愛嬌のある熊のキャラクターのようで、何だかかわいく感じて、少し緊張感が和らいだ。

ギャップって凄い。


「嬢ちゃんは初めてみる顔だな。俺はアネス。ここトータの街で宿屋やってる。よろしくな」


「鏑木椎名です。どうぞよろしくお願いします」


「カブラ、ギ?変わった名前だな。他の大陸出身か?…いや、悪い、詮索はあまりしないにこしたことねぇな」


「はは、まぁ。そんな所なんで気にしないでください」


やっぱり鏑木椎名って名前はこの世界では変わってるんだな。

そりゃ今まで出会った人はだいたい、外国人みたいな名前だったし。

今度からは簡単にシーナって名乗ったほうが良さそうだ。


「んで、嬢ちゃん。朝っぱらからどうした、腹減ったか?」


そうそう、アネスさんにびっくりして1階に来た理由を忘れちゃう所だった。


「顔を洗いたくて。ついでにお風呂とかあったら嬉しいなぁ~とか」


「洗面台ならこの突き当たり奥に行った所にある。風呂もそこにあるぞ」


「本当ですか!」


やったー!!お風呂がある!!!

正直、濡れタオルで身体を拭いたりする最低限なものになるかもしれないと腹を括ってたから、これは嬉しい誤算だ。

やっぱりお風呂入りたいもんね、だって女の子だもん!!


「うちは混浴だから入ったら女湯の札を入り口に下げときな。まぁ、あいつ等はこんな朝早くに起きてこねぇから、大丈夫だとは思うがな」


「わかりました。ご丁寧にありがとうございます!」


アネスさんに向かって勢いよくお辞儀をする。

あんなに怖く感じていたアネスさんが、今は森の可愛い熊さんに見えるよ。

あぁ~、身体を洗えることがこんなにも幸せだとは思わなかった。


今にもルンルンとスキップで駆け出しそうな気持ちをぐっと押さえ、教えて貰った通路へ向かう。

赤い色の扉に、見慣れた湯気のマークが掘られていた。

お風呂をこの表記にしてしまうのは、古今東西、世界が違えど同じなのね。


それにしても身体の節々が痛い……。

これお風呂に入ったら念入りに揉まないと。こんなに激しい筋肉痛は初めてだよ。


「おい、嬢ちゃん」


筋肉痛マッサージを色々と考えていると、アネスさんに呼び止められて、振り返る。


「嬢ちゃんはウィルのコレか?」


カウンターから身を乗り出すアネスさんはニッとまた笑い、太くてごつごつした小指を持ち上げた。


コレ、とは。


一瞬理解が追いつかず、すべての感情を無にした薄っぺらい顔になる。

コレって、コレ?そのまんまの意味????

こい……。


「ち、ちちちちちち違いますよ!!!!!私とウィルさんはそんな関係じゃなくて!!」


「なんだ違うのか?ウィルがクレア以外の女連れとは珍しいからな、気になっちまってよ。同じ部屋に連れ込んでるなんて情熱的じゃねぇか」


「ーーーーーーー!!!」


違う、全く持って違う!

一緒の部屋なのは金銭的な理由だし、そもそも1部屋しかないって言って貸したのはアネスさんだし、ついさっき客の詮索はしないって言ったばかりじゃん!忘れちゃったの!!


混乱するとうまく言葉が出ないのは私の悪い所だ。

動揺のしすぎで口だけパクパク動く様に、アネスさんがケラケラ笑ってる。

これはからかわれている奴では……って気付いた時には、醜態をさらした後だった。


「風呂上がってきたら朝飯サービスしてやらぁ。ついでに彼氏も起こしてこい」


「彼氏じゃないですぅーー!!」


会話をぶったぎる為に、風呂場へと走りながら逃げる。

バーンと力任せに閉じた扉が悲惨な音を出したけど、もう知らない、何も知らない。

お風呂に入って、全ッ部忘れてやる!!!


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