第5話 インプリンティング・フォレスト 刷り込みの森

銀河鉄道異世線を走るDD51は、機関車と豪華客車を合わせた7両編成で運行されています。最強線という愛称で親しまれる列車の動力源は未だに謎で、機関室内部を見た者は誰もいませんでした。

しかし、コムソは先祖代々から伝わる教訓として『暗黒点最高エネルギー原子核』の存在を信じていました。

全世界発生の黒点は同時期に1千万世界を創造したとされ、超加速で拡大し生命の営みを作り上げたとされています。

銀河鉄道に関わる者として、いつかは原点世界を見つけたいという願望も、すっぽり被った編み笠で隠していたのでした。

発車を待つ間、コムソは1号車のドアの前でぼんやりと考えていました。

今から旅立つ乗客の行く末えを。


破壊された感覚の世界。


その場所からの帰還者は心を閉ざして戻ってきます。

笑わなくなったり泣いてばかりだったり。

喋らなくなったり耳を塞ぎっ放しだったりと様々です。

旅人となるスカーレットの、はち切れんばかりの生命力は黄金色に見えていました。コムソはその色をとても羨ましく感じて。


『ふふふふ』


と笑ってしまいました。


黒を基調とした客車には所々に黄金の蝶々がデザインされて、先導する機関車とはいささか不釣り合いだと専門家は言っていました。しかし、恋万里はそのギャップがたまらなく『萌え』だったのです。

内装も同じく『萌え』で、漆黒の床・天井・ひじ掛け・荷物棚や全室寝台個室の純白の扉も、ラウンジカーのシャンデリアやピカピカの純銀のキッチンも愛していました。

運転席に戻ってワイパーで気持ち悪い汚れを落とした後、バックミラーで旅人と見送る者を眺めながら思います。


『なんだろ・・・思い出せない・・・』


恋万里の記憶は、曖昧な記録でしかなかったのです。





スカーレットの心境は複雑でした。

自ら望んだ異世界旅行がひとり旅だと知らされたからです。

レットも同行してくれるものと考えていただけに、不安と淋しさで胸がおしつぶされそうになっていました。

仮病を使ってみようかしら、

お城を抜け出したことをパパやママに何と言えば良いのかしら。

レットも一緒に怒られてくれるのかしら等々頭を悩ませていると、レットが微笑みながら言いました。


『君は震えているのかな。もう少し勇敢なお姫様だと思っていたが、どうやら言葉だけのようだね。ずっと平穏なくだらない毎日を過ごすのも、荒れた土地を開拓するように未来を自分の手で切り開いていくのも自由なんだよスカーレット。だが私は一緒には行けない』


スカーレットはレットを睨みました。

意地悪をして楽しんでいると思ったからです。

それに、いつも子ども扱いされるのがたまらなく嫌だったのです。


『レット様は何か勘違いをされてるわ』


『勘違い?』


『ええ、勘違い』


『というのは?』


『私は貴方に認められたいわけでも何でもないのよ。みんなが出来ない経験をしたいだけ。時間だけが悲しく過ぎていく世界なんてまっぴらごめんだわ。レット様はこの世界で年老いていけばいいのよ。私はいやよ』


『そう。それでいい』


『偉そうにしないで、私はー』


スカーレットは何も言えなくなりました。

口元をレットの唇が塞いでしまったのです。

恋焦がれ、憧れていた夢が砕かれてしまいました。

その反面嬉しくもありました。

ところがういうわけか、スカーレットは身体を引き離してレットの頬を平手で殴ってしまったのです。

それでもレットはひるみませんでした。

にっこり笑って。


『それが君だよ。スカーレット』


と言うと、きびすを返して駅から出て行ってしまいました。

スカーレットは床に転がったマカロンや、テーブルにあったきんつばをその背中目がけて投げつけましたが届きませんでした。


法王はあわあわもごもごと何かを言おうとしましたが、気の利いた言葉が見つかりませんでした。

足元の端っこ駅で繰り広げられたラヴストーリーを見ながら、どうにか威厳を保てないかと尻尾をプルプルさせると、紅志乃の心の声が聞こえました。

そうなのです。

尻尾プルプルはテレパシー発動の合図でもあったのです。


『法王様、スカーレットのきんちゃくの中身はひねもすとタマオちゃんです』


『なんとな!!』


『内緒で連れてくつもりだったんでしょう』


『そ。そ。それは無賃乗車だがや。まったくもっての、おてんばじゃじゃ馬娘にゃたまらん言うてたレットの気持ちがわかるんだがやあ』


『そうでなくて』


『え?』


『ひとりじゃないよと声をかけて。法王様の威厳が保てるし乙女心につけ込んだ優しさも披露できます』


『つけこんだって・・・おみゃあさん・・・』


『いいから!』


『はい・・・』


法王は深呼吸をしました。

端っこ駅のホームにポツンと残されたスカーレット。

出発を待つDD51の車両。

踊り始めるダンシングフラワーとお月様の明かり。

天空に散りばめられた星々。

全てが法王たる威厳を後押ししてくれているように感じました。


『スカーレット・・・』


プレッシャーにめっぽう弱い法王の声は上ずったまんまでした。

あからさまに緊張しきった法王の口ぶりに、スカーレットは返事をする気力もありませんでした。去ってしまったレットの面影が、唇に熱く残っていたからです。

卑怯な男だと心の中で罵ったところで、もやもやした気持ちは晴れませんでした。

胸元に抱いたきんちゃく袋がもぞもぞと動いています。

きっとひねもすかタマオちゃんが寝返りをうっているのでしょう。

ほんのりと温かい感触に泣きそうになったスカーレットに、紅志乃が近付いて言いました。


『あの。法王様がさっきからお話ししてます』


『え?あ・・・はい・・・』


スカーレットの耳はずっと、片道一方通行のトンネルみたいになっていたのでした。

歯切れの悪いただのパンダの駅長さん。

スカーレットの法王に対する見方は『威厳』とはかけ離れてしまいました。

そんな法王は尻尾をプルプルさせ続けています。

テレパシーでスカーレットの心の中を読み取っていたのです。


『法王様っていうけど、もうただの大きすぎるただのパンダの駅長さんじゃないの。言葉も洗練されていないしさっきから何言ってるのか判らないわ。私の心を少しも癒してくれないのね。表情だって判らないわ。黒い縁取りが邪魔なのよ。残念だわ・・・法王様・・・』


見上げるスカーレットの瞳の奥に見える本音を知った法王は、急にしょんぼりとしてうな垂れてしまいました。

理由を知らないスカーレットは感謝の言葉を述べ始めました。


『お見苦しいところをお見せしてしまって、敬愛なる法王様の前でなんてはしたないことを。私はまだ子供ですわね法王様』


『え・・・あ・・・う、うん・・・』


『法王様?』


法王のげんなり度数満杯を感じ取った紅志乃は、眼鏡の位置をシャンと整えてゆっくりと話し始めました。秘書である以上、雇い主に恥はかかせたくなかったのです。

しかしその言葉は的確でした。


『スカーレット様』


『はい』


『貴方は迷っていらっしゃるの?ひとりが恐いの?』


と言いながら、まるで値踏みするかのように自分の背後に回る紅志乃に、スカーレットは戸惑いを隠せませんでした。


『恐くなんかないわ。私には勇気と希望があります。この土地で腐って終わるなんてまっぴらよ」


スカーレットは自信ありげにきっぱりと言い切りました。

けれどそれは本心ではありませんでした。

見知らぬ世界に放り出されようとしているのです。こうなったのは自分のせいだとはわかっていても、やはり不安で仕方がありませんでした。

紅志乃の眼鏡が光りました。


『スカーレット、貴方はひとりじゃないわ。決してひとりじゃないの」


紅志乃の指さした先には、もぞもぞと動くきんちゃく袋がありました。

スカーレットは思わず。


『あっ!』


と叫んで、両腕でとても大事そうにそれを隠したのでした。

紅志乃は微笑ましくなって静かに笑いました。


『お供も連れてゆくといいわ。法王様もご承知よ」


スカーレットが恐る恐る見上げると、法王はおいおい泣きながら耳をくるんと回転させて言ったのです。


『きんちゃく袋からじゃきつかろうて。おみゃーさんにこれあげるっしょ』


スカーレットの目の前に可愛い雲が出現して、ポンっと弾けました。

すると、中から立派な鳥かごが現れたのです。

中にはちゃんとお姫様ベットもついていて、お風呂用のカップもふたつありました。


『わあ。素敵な魔法』


喜ぶスカーレットに紅志乃はすかさず。


『魔術だから』


と訂正しました。

如何なる時もしっかりと仕事をこなす。

それが紅志乃の揺るぎない信条だったのです。

全てを悟った法王は泣き止みました。

年端もいかない小娘に『ただのパンダ』と思われたのが悲しくてやりきれなかったのです。

しかし、紅志乃の機転のお陰もあってか心の傷は癒えていました。


『今こそ威厳を!』


紅志乃がテレパシーで伝えています。

スカーレットはむにゃむにゃ眠るひねもすとタマオちゃんをきんちゃく袋からすくいあげて、鳥かごの中のお姫様ベットに寝かせてあげました。その姿はおもちみたいにまん丸でした。

そうしているうちに発車のベルが鳴って、ダンシングフラワーたちは元気いっぱいに踊り始めまたのです。


禁断の谷に響き渡る聡明な歌声は、讃美歌のようでもありました。

ダンシングフラワーたちは唄も歌えるのです。

揃って同じ方向に揺れながら、やさしい風にそよそよ吹かれるお花畑。

その中央に、ピンクと深紅の四つ葉の花を咲かせたグレモンの大木が、にょきにょきと伸び始めてきました。

さっきまで夜だと思っていた空が山吹色へと染まります。

遠い雲たちの陰影は、端っこ駅を神秘的に照らしたり隠したりと大忙しです。

風が吹き抜けていきます。

スカーレットの髪を、紅志乃の眼鏡を、法王のお腹を、コムサの編み笠を、恋万里の心を、グレモンの花吹雪とダンシングフラワーたちの歌声が癒してくれています。

法王とスカーレットは完全にその世界に浸ってしまいました。


『スカーレット、おみゃあさんにかなう男はいないっぺ』


法王は言いました。


『法王様の魔術の腕は流石ですわ』


スカーレットは笑いました。

ダンシングフラワーたちの歌声が軽快な曲へと変わります。

うきうきわくわくするような、とても楽しいリズムです。


『おみゃあさん、盗み見をしおったな。法王は勝手に御法度の魔法を使ったと、父さん母さんに告げ口するつもりでにゃあかい?』


『そんな卑怯なことなんかするもんですか。でも、心の中を盗み見るのは罪よ』


『おみゃあさんの指図はうけんよ。痛むのはわしの心とからだだがねえ』


『・・・ここへはレット様もよく来られるの?』


『なぜそげなこと気にするのけえ?』


法王の問いにスカーレットは口ごもってしまいましたが、直ぐに話題を変えました。


『別に・・・さ、私は行かなきゃ』


『レットがおみゃあさんをたぶらかしたのか?いやあ、そりゃあありえにゃあことだがまあいいとして・・・わしゃあ旅の無事を祈っとるぞスカーレット。この故郷はおみゃあさんの帰る場所だでえ』


『こんな世界に意味はないわ』


ダンシングフラワーたちの歌声が一層大きくなります。

ゆるやかでやさしく。それでいて気骨あふれるリズム。

ふと見るとDD51の屋根の上で、紅志乃がタクトを振っています。

彼女にしてみたらこれも立派な仕事なのでした。


法王は魔法使いの世界をとても愛していましたから、スカーレットの頑なな態度を悲しく思っていました。

若さではすまされないこの土地への憎しみを感じてしまったのです。


『わしらにとっては、故郷の土地は母親と同じだぎゃあ。おみゃあさんもいつか、いんや、この旅が終わるころにゃあ故郷の愛に目覚めるがねえ。魔法使いである限りはのお・・・』


禁断の谷・端っこ駅で繰り広げられる世界はまるで、映画のワンシーンさながらに美しい光の幻影に包まれています。

発車のベルが静かにフェードアウトして、それに覆いかぶさるように聞こえるダンシングフラワー混声合唱団による美しい歌声。

スカーレットの情熱と希望、そして法王の潔き悟りは、見事に山吹色と赤茶色に染まる広大な空に表現されていきました。

グレモンの花吹雪が舞い上がり、端っこ駅を包み込んでいきます。

その巨木は、遠くから旅人を見守ってくれているかのように穏やかです。

コムソが警笛を鳴らします。

運転席の恋万里が指さし確認をします。

上空に控えめに見える信号星は『青・青』です。

胸の刺さる短刀の鈴が『ちりん』と揺れると、恋万里は逆転把握を握って。


『素敵な世界へ』


と呟きました。

車両に乗り込んだスカーレットは微笑んでいます。

DD51の天井にいた紅志乃は、ホームへ下り立ってテレパシーで法王に伝えました。感動しましたと。

扉が閉まります。

スカーレットは鳥かごを車窓にかざしながら、おもちみたいに眠るひねもすとタマオちゃんを見て無邪気に笑っていました。

法王も別れの光景を目に焼き付けたくて、巨体をずらしたり持ち上げたりしましたが、列車の中の様子を見ることは出来ませんでした。

しかし奇跡は起こりました。

恋万里は上空へと飛び立つDD51の車体を、法王の目線の高さですこし傾けてくれたのです。

手を振るスカーレットを見て法王が言いました。


『行ってしまっただぎゃあ・・・』


紅志乃も天空へ消えるDD51を眺めながら言いました。


『風と共に・・・』


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