第30話 Like silent raindrops fell
夜を拒むように輝く街灯の下で、私は人生にひたむきに向き合う人の美しさを知った。
それと同時に、初めてのキスの味も知った。
不思議と気持ちは落ち着いていて、驚いたというよりも安心した。
いったい何秒そうしていたかはわからないが、頭を撫でる哲司先輩の左手がとても心地よくて、私が猫なら喉を鳴らしていたと思う。
「…罰ゲームになってないですよ」
私が照れながらそう言うと、
「…そうだな」
哲司先輩も照れくさそうに笑った。
その日、哲司先輩と別れて電車に乗ると、窓ガラスからは町田の街並みのネオンが見えた。
雨の中光り輝くその色は、曇りガラス越しに柔らかくなっている。
人工的な光に暖かさを感じるのはとても不思議だが、人が作るからこそ宿る暖かさがあるのかもしれない。
窓ガラスには私の顔が映っていて、唇を見ると私はさっきまでのことを思い出して、そっとガラス越しの唇に触れてみた。
流れる夜の景色は雨に包まれてとても綺麗だった。
試験最終日が終わると、へろへろになった未怜と一緒に部室へと向かった。
重大な連絡があると連絡を受けていたのだ。
一体何だろうと思って美術室のドアを開けると、先輩たちはもうみんな揃っている。
「2人ともお疲れ様!試験どうだった?」
瑞季先輩は晴れ晴れとした表情で駆け寄ってきた。
「もう燃え尽きましたー。でもきっと大丈夫なはずです。結奈が結構教えてくれたので」
「みんな試験お疲れ。今日集まってもらったのは重大な話があって。うちの部の今後に関わる問題なんだけど…」
突然哲司先輩が真面目な顔をして声のトーンを落として話し始める。
「え?なんですか?」
祐一先輩が焦りながら尋ねると、哲司先輩は下を向いてしばらく黙り込むと、その間、誰も口を開かなかった。
「……夏休みのイベントについての相談。みんなでどっか行こう。春は未怜行けなかったから」
「もー、初めからそう言ってくださいよー。俺超ドキドキしましたよ」
「俺は普通に声かけたのに、瑞季が祐一に曲げて伝えたんだよ。だから俺は乗っかっただけ」
祐一先輩がすぐに瑞季先輩を睨むと、瑞季先輩はいつになく笑っていた。
「というわけで、あとは部長に任せるから。どうするか決めておいて。俺今日は忙しいから後よろしく!」
そう言って、哲司先輩はカバンを肩に背負った。
通りがけに私の肩を叩いて、
「お疲れ」
と小声で微笑んだ。
私もさっきまでの芝居に驚いていたので、ちゃんと対応ができなかった。
(今日は哲司先輩、絵画教室の日か)
そう思って私はお辞儀をした。
「やったー、春は行けなかったら私超楽しみです!去年はどこか行ったんですか?」
未怜は全身で喜びを表現しながらそう尋ねる。
「去年は哲司先輩の提案で河原でBBQをしたの。でもあれ大変だったよね、洗い物とか」
「俺は楽しかったけど。あれ、明莉先生が車出してくれたんだっけ。今年はもう全員乗らなくない?」
「え、去年って部員何人いたんですか?」
「哲司さんと、瑞季と俺の3人。哲司さんが1年の終わりに賞とったから、廃部にならなくて済んだって話だったかな。今年はお前らが増えたから、車は無理だな。BBQ食いたかったなぁ」
祐一先輩が残念そうにすると、
「もう、祐一君そういうこと言わない!」
と瑞季先輩にたしなめられた。
「そうしたら、みんなで行けて美味しいものが食べられるところがいいですよね!」
「そうね、8月頭ならみんな予定大丈夫?後半はお盆とか宿題とかでみんな忙しいから初めのうちに楽しんじゃわない?」
「花火とかいいんじゃないですか!?」
「おー未怜ナイス!それで行こう!」
祐一先輩のテンションが上がった。
「でも、花火大会って大体8月中旬からお盆が多くない?どこか近くでやってるところあるかな?」
私は試験で疲れた頭をフル回転させて考えて、今朝電車でみた広告をふと思い出した。
「あ、私の家の近くの花火大会、確か8月4日の土曜日だったと思います!私も小さい頃行ったきりですけど、結構大きな花火大会ですよ」
「結奈最高!どこの花火大会?」
「鮎まつりって言って、駅は本厚木で、相模川の花火大会です」
「何?鮎まつりって?鮎とか食べるの?」
「鮎のつかみ取りとかあるみたいですよ。小学生だけですけど」
「マジかーつかみ取りたかったー。でも出店もあるんだろ?」
「お店たくさん出てますよ!」
「よし、じゃあ鮎まつりで決定でいい人―?」
瑞季先輩もノリノリで決を取り、全員一致で鮎まつりに行くことが決まった。
「よし、じゃあ全員浴衣な。哲司さんには俺から言っておくから」
「浴衣―!楽しみ!明莉先生も一緒ですよね?」
「後で来るから誘おう!楽しみー!」
みんな試験終了の開放感でテンションが高かった。
私も自分の意見でこんなにみんなが喜んでくれると嬉しかった。
それから1週間、次々と返却される期末試験の結果は私なりに満足のいく形で、未怜も苦手な数学が平均点を取れていたので一安心といったところだった。
終業式までの間、私たちは学園祭の打ち合わせを行っていた。
「毎年1人1作品は展示しているの。美術室に作品を飾って、あとは喫茶店みたいに軽くコーヒーとかを飲めるようにしてるかな。高校生国際美術コンクールの締め切りが11月末だから、それに出品する作品を展示するようになるかな」
「コンクールですか?みんな出すんですか?」
私はコンクールと聞いて過剰に反応してしまった。
哲司先輩が内閣総理大臣賞をとったコンクール。
私も作品を応募してみたかった。
「そうね、私たちは出すつもりだよ。結奈も未怜も、せっかくだから応募してみるといいよ。目標があるとモチベーションもあがるしね」
「コンクールか、ねぇ結奈、私たちも出してみようよ!」
「うん、私も、やってみたい!」
興奮冷めやまぬ未怜に負けず、私も胸が高鳴るのを感じていた。
哲司先輩との距離が縮まるとか、そういうことではなくて、きっと純粋に絵を描くことが好きになっていたのだ。
「瑞季は去年、賞とったんだよ。全国高等学校美術工芸教育研究会賞。俺は佳作だったから、今年は何か賞を狙いたいんだけどな」
「えー!瑞季先輩すごい!その時の作品みたいです!」
「えへへ、ありがとう。なんだか恥ずかしいから家にあるんだけど、今度持ってくるよ」
「哲司さんと瑞季のおかげでうちは廃部になってないみたいなものだからな」
「え?それってどういうことですか?」
「哲司さんが1年で入った時は結構部員がいたらしいんだけど、先輩たちもタメもみんな1年の終わりでやめちゃったらしいんだよ。だから人数的には廃部だったんだけど、内閣総理大臣賞をとったのに廃部なんておかしいってことになったらしいよ。去年は瑞季も賞とったし。まぁ今年は部員の数が足りてるんだけど」
(知らなかった。哲司先輩はみんなが辞めていくのをみてどう思ったのだろう。それで部室では絵を描いてないのかな)
私の知らない哲司先輩の姿はまだまだ沢山ある。
「祐一先輩も賞狙ってるんですか?」
「まぁ出すからには取りたいじゃん?俺、デザイナーになりたいから賞とっとくと箔もつくし」
「デザイナーですか?かっこいいなぁ、瑞季先輩は進路決めてるんですか?」
私が遠慮して聞けないことを未怜は気にせずに質問する。
「うん、私は芸大目指してるんだ。もっともっと絵を勉強してみたくて。祐一君も一緒だよ。夏も講習受けるからあまり時間がないんだ」
2人とも将来の夢が決まっていているのか。
未怜も、芸大に行きたいと言っていた。
(じゃあ、私は?)
哲司先輩にも明確な将来の夢がある。
(じゃあ、私は?)
高校生活の3年間で将来の夢を決めるなんて不可能だと思っていたのに、私の周りには将来のことを考えて、自分のやりたいことが見つかっている人がこんなにいる。
私は一体何がしたいのか、答えが分からないなぞなぞみたい。
誰かが答えを教えてくれればすっきりするのに。
人生と向き合うには私はまだあまりにも子供すぎた。
「それじゃあ、9月に入ったら本格的に制作活動に入るから、自分が何を描くか、夏休みの間に構想を練っておいてね。文化祭の書類とかは私がやっておくから。じゃあ鮎まつり、夕方四時に本厚木駅集合ね」
その声と同時に夏休みに突入した。「夏」休みとは名ばかりで例年より長い梅雨はまだまだ終わりそうになかった。
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