第21話 All I Do Is Dream of You
それから私は、無我夢中で油彩の練習をした。
スケッチブックと油彩セットを毎日持って帰り、家に帰ってからも適当なモチーフを選んで描き続けることにした。
芸術とは感情の全てを昇華させることだとどこかの映画監督が言ったそうだが、スケッチブックのページが少なくなるのと反比例して、絵が上手くなっていくのを自分でも実感した。
いつしかスケッチブックは2冊目に入り、例年より遅くやってきた梅雨の気配が雨音となって聞こえてきた。
「結奈、最近上手くなったよね!すごく練習してるもんね、私も頑張らないと!」
未怜も一緒になって真剣に美術部の活動に取り組んでいた。
「結奈、何か悩みでもあるの?たまに疲れた顔をしてるから。私でよければいつでも相談してね」
時々心配してくれることがあったが、私は自分の気持ちを、心を素直に誰かに開け放つことができなかった。
未怜に若干の罪悪感を感じながらも、私は笑顔を作って大丈夫と強がりを伝えた。
憂鬱な雨が続いて、蛍光灯の明かりだけが少し暗い美術室の中を照らしていた。
運動部の掛け声も梅雨のせいか聞こえて来ずに、雨音と、美術室の真上なのにはるか遠くから聞こえてくるような吹奏楽部の音だけがBGMとなっていた。
その中でコンダクターのように私たちの筆を動かす音が響いている。
哲司先輩はここのところほとんど部活に顔を出すことはなかった。
私はとにかく絵が上手くなりたくて、ひたすらに絵に没頭した。
パレットに絵の具を足そうと思った時に、いつの間にかホワイトの絵の具の残りが少なくなってきたのに気がつく。
(明日は土曜日だし、今日帰りに絵の具、買っておかないと)
振り続ける雨に嫌気がさしながらも、暗い顔をしていても天気のせいにできる気がしてこのまま梅雨が続けばいいのにと思った。
あの日以来、絵に打ち込むことで哲司先輩への気持ちを忘れられると信じてきたけど、絵を描けば描くほど、想いは強くなるばかりだった。
明莉先生と話をしていても、何だか嫉妬をしてしまう自分が嫌になってくる。
美術部に入って以来、絵を描くのが辛くなってきたのは初めてだった。
「結奈、明日さ、久しぶりに一緒に遊ばない?天気予報、珍しく降水確率10%だって!」
下校のベルが鳴り、片付けをしている最中に未怜がそう話しかけてくれた。
土日は家で絵を描こうと思っていたので少し悩んだが、きっと私を心配してくれてるんだなと分かって、二つ返事でオーケーした。
陰鬱な気分が続いていたので、少し気分転換になればいいなと思った。
(そうしたら、絵の具を買うのは未怜と一緒に行こう)
そう思って、今日は寄り道をせずに家に帰ることにした。
未怜との待ち合わせは、前と同じ小田急町田駅に10時に集合だった。
少し蒸し暑い車内を我慢して電車に揺られて改札を出ると、今日は未怜が先に到着していた。
「おはよー!今日は私の勝ちだね!」
ニコニコといつもの笑顔の未怜を見て、やっぱり来てよかったと心から思った。
未怜と話しているときは、嫌なことを考えなくて済む。
「おはよう。今日どうしよっか。未怜、今日私絵の具買いに行ってもいいかな?白が残り少なくなっちゃって」
「いいよ!白ってすぐ無くなっちゃうんだよねー。私も買い足ししよっと」
そんなことを話しながら、私たちは画材屋さんへ向かった。
いつもの画材屋さんは初めて来た時には物々しい雰囲気だったのに、今では行きつけのお店のようになっていて、学校の帰りに無駄に寄ってみたりしたこともあった。
階段を登り、油彩絵の具のコーナーに足を運ぶ。
(そういえば、フェルメールブルーまだ使ってないな)
ウルトラマリンブルーが目に入った途端に、芹ヶ谷公園での出来事を思い出してしまい、胸がズキンと痛くなる。
その痛みを未怜に悟られないように、目の前にあるのにホワイトの絵の具を探すふりをした。
目当ての絵の具を購入してから、私たちはブラブラとショッピングを楽しんだ。
未怜に連れられて雑貨屋さん、古着屋さん、駅ビルの中のCDショップなどをみて回る。
(ち、ち、ち、あった)
「小さな恋のメロディ」そう拙い字で書かれたジャケットの中にあの2人が写っている。
しばらくジャケットを眺めた後、哲司先輩に言われた私の鼻歌の曲のタイトルがジャケットの裏に書かれているのを見て、衝動的に購入してしまった。
今ではこの歌だけが、私と哲司先輩を繋ぎ止めてくれている気がして。
CDを買うのはすごく久しぶりだった。
レジではなぜかドキドキして、ビニール袋に入れたそのアルバムをすぐにカバンにしまい込む。
「あ、結奈、CD買ったの?」
未怜がすぐ後ろから声をかけてきたので、私はびくっと驚いてしまった。
「うん、これ買ったんだ」
そう言ってお店を出てからアルバムを取り出してみせた。
「小さな恋のメロディ?聞いたことないなぁ。映画なの?」
「うん、私のお父さんが好きなの。音楽もいいよって勧められたから買ってみたんだ」
未怜に一つ嘘をついてしまった。
「そうなんだ!古い映画なんだね。いい曲だったら、私にも今度聞かせて!」
肌の色で人を差別してはいけないのはみんなが分かっていても、着ている服や聴いている音楽でその人の人間性まで評価する人が多い中で、未怜のこういう素直なところが私は好きだった。
私たちはそれからファーストフード店でお昼を食べて、デパートの屋上でプラネタリウムを見た。
眠気を誘う暗い部屋と音楽とともに、部屋一面に夏の星座を映し出される。
真昼の星空は1時間ほどで幻の様に消え去り、私たちは仲見世商店街を抜けてすぐのカフェに入った。
通りに面した窓際の席で、何だかおしゃれな雰囲気で場違いな様に感じてしまったが、店員さんがとてもいい人で助かった。
2人で雑談をしながらパフェを食べて、ふと窓の外に見慣れた制服を見つけて目をやると、哲司先輩だった。
明莉先生も、一緒だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます