第14話 国立西洋美術館
祐一先輩をなだめながら、瑞季先輩は私に近づいてそっと口を開いた。
「結奈ごめんね、でも許してあげて。哲司先輩、結奈が来ないってなって走って探しに行ったの。不忍改札の方から走っていったから、ここに来るまでに多分すごい勢いで走ったんだと思う。あんな哲司先輩、見るの初めて。かなり貴重だよ」
2人は哲司先輩に言われて先に美術館に向かっているように言われたのだそうだ。
ゆっくりと通行人の中の私を見逃さないように歩いてきて、公園改札で私たちを見つけたのでここで待っていたとのことだった。
「迷子になったのなんて、子供の時以来です。でも、瑞季先輩も来てくれて良かった」
実際、二人の姿をみて心からホッとした。
哲司先輩と二人きり。
そのつもりで今朝家を出たのだが、常にドキドキしていたので、横断歩道の向こうで2人を見つけて緊張の糸が一気にほぐれた。
にも関わらず、心のどこかで少しがっかりしている自分がいるのも分かっていたが努めて気がつかないことにした。
「よし、じゃあ全員そろったし、行くか!」
哲司先輩は祐一先輩にからかわれながら私たちの前を歩いていき、私は瑞季先輩と並んでその後ろをついていった。
ゴールデンウィークということもあって、上野公園は人でいっぱいだった。
幸い今日はそれほど暑くなく、日差しも柔らかで公園内を歩くには絶好の日だった。
小さい頃、家族で動物園に来た時の記憶を何となく思い出す。
(あー、あっちが動物園だ。何だか懐かしいな)
思い出にふけってると、瑞希先輩が日差しを手で遮りながら尋ねる。
「結奈は上野公園来たことある?」
「小さい頃に家族と動物園に行ったきりです。瑞季先輩はよく来るんですか?」
「私は結構来るよ。美術館とか、科博も好き。動物園もたまに行くかな。私、象が好きなんだよね」
そんなたわいもない話をしている間に、私たちはすぐに国立西洋美術館に着いた。
入り口までには長蛇の列ができていて、仕方なく最後尾に並ぶ。
「哲司さんの力で優先的に入れたりしないんですかー?内閣総理大臣なのに」
祐一先輩がさっきまでかぶっていたキャップをうちわ代わりにして仰ぎながら言うと、
「いや、そもそも総理じゃないし、さすがに無理だろ」
哲司先輩が笑いながら答えた。
祐一先輩は瑞季先輩にも風を送ってあげているようだった。
哲司先輩は紺色のラインが袖に入った白のポロシャツの裾をパタパタとめくって涼んでいた。
額には汗が浮かんでいて、きっと一生懸命走ってくれたんだなと思い、鞄からハンカチを出して哲司先輩に手渡した。
「これ、よかったら使ってください。私2枚持ってるので」
「あぁ、じゃあありがたく使わせてもらうよ。結奈、サンキューな」
哲司先輩はそう言いながらハンカチで額の汗を拭った。
厳しい彫刻が並ぶ前庭を通り、少しずつ美術館入口へと近づいていく。
直線的なコンクリート造りのモダンな印象の建物は、いかにも美術館といった装いで期待がどんどん増していった。
列の進みは意外にも早く、私たちは美術館の中に入ることができた。
美術館の中はとても涼しくて、列で並んでいる間日に照らされた肌を心地よく鎮めてくれた。
ミュージアムショップを横目に、学生証を提示して入場する。
(美術館、何だか緊張するなぁ)
何だか落ち着かない私を置いて、先輩たちの顔から笑顔が消えた。
いきなり真面目な顔に切り替わって、私は置いて行かれたような気分だったが、私も気がつけば無口で絵に吸い込まれるように鑑賞していた。
常設展は美術館の所蔵する作品が展示してあって、1人の作家に絞ったものではなく様々な年代、作風の作品が並んでいた。
モネの作品も多く、残念ながら「かささぎ」はなかったが、「雪のアルジャントゥイユ」「睡蓮」「ポプラ並木」などかなり多くの作品が展示されており、初めて生で見る本物のモネの絵に私は言葉に詰まってしまった。
いつまでもここに留まっていたいのに、押し寄せる人の流れの中で一つの絵をじっと見ていられないのが残念だった。
ふと見ると、先輩たちは3人ともそれぞれ手帳に鉛筆で何かを書き込んでいる。
最初は心地よい空調だったが美術館の中は思ったよりも寒く、半袖のワンピースのみだった私は腕を前で組んで少し震えながら絵を眺めていた。
「ウォータールー橋」の前で私が佇んでいると、瑞季先輩がストールを肩から羽織らせてくれた。
(瑞季先輩、本当に優しいな。祐一先輩も私のために哲司先輩を怒ってくれてたし、みんないい人で良かった)
全ての作品を見終わって、少し薄暗い館内から外に出るといつのまにか強くなった日差しが目を刺した。
絵画と実物の違いはこういうところにあるのかもしれない。
目を細めて徐々に明るさに慣らし、ようやく普段通りに目を開けられるようになった。
朝の柔らかい日差しとは打って変わって、5月だというのにもう夏はそこまで来ているような暑さで、セミが鳴いていれば8月と勘違いしそうだった。
「よし、じゃあ昼にするか!」
哲司先輩が背伸びをしながら提案した。
「ちょっと暑いけど、日陰にいけば涼しいしどっかで買ってきて外で食べません?」
「いいね、じゃあそうしよう」
瑞季先輩の提案に、哲司先輩がすぐに賛成した。
祐一先輩も賛成らしく、私も同意見だったので満場一致で可決された。
その後、私たちはファーストフード店でそれぞれ昼食を買い、国立科学博物館に近い木陰に座って昼食をとることとした。
ふと見上げると巨大なシロナガスクジラのオブジェがセルリアンブルーの空の下、公園の木々の中を泳いでいるようだった。
「結奈、どうだった?美術館」
「ちょっと緊張しちゃいましたけど、すごく良かったです。生の絵って教科書からは伝わらない空気感があるっていうか。そうだ、瑞季先輩、ストールありがとうございました」
すっかり肌に馴染んだストールを返すのを忘れていて、慌てて瑞季先輩に手渡す。
「あはは、どういたしまして!美術館の中って結構寒いから、夏場でも何か羽織れるものを持ってくるといいよ。特に女子はね」
そう言いながら瑞季先輩はハンバーガーを一口かじった。
「やっぱり、実物を見るのは違うよなぁ、俺、去年来た時とはまた違った感想っていうか、新たな発見?っていうんですか?めちゃくちゃ勉強になりましたよ」
祐一先輩がハンバーガーの包み紙を乱暴に丸めながら言う。
「そうだろ。だから誘ったんだよ。去年もこの時期だったろ。うちの部の恒例行事にしといてよ。来年は俺いないからさ」
哲司先輩は目を細めて、白い歯を少しだけ覗かせて笑った。
「そんな寂しいこと言わないでくださいよー」
「まぁ俺が一年の頃はこういうのなかったから。今回が第2回だな。第2回景星高校美術部新入部員歓迎国立西洋美術館常設展巡り」
「長っ!」
祐一先輩もコーラを飲みながら笑った。
「未怜には悪いことしたな。やるならさっさと決めておけば良かった。電話越しに残念がってたよ。結奈、来年は未怜と新入部員を案内してやってよ」
「は、はい!頑張ります!」
突然話を振られ驚きながらも私は答えた。
「待ち合わせ場所はちゃんと伝えてあげてね」
瑞季先輩がからかうように笑う。
「だから悪かったって。」
哲司先輩もバツが悪そうに笑うと、つられてみんなも笑った。
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