第13話 上野駅公園口

 芹が谷公園での一件から今日までの間、私はせっかくの休みだと言うのにそわそわしてしまって落ち着かなかった。


 家に戻ってから朝ごはんをあげるとトロが戻してしまった。

 昨日私が夜の間デッサンに付き合わせたのがいけなかったのかもしれない。

 私は心配だったがトロはけろっと元気そうにしているので、母にその旨を伝えて軽く朝ごはんを食べて出かけることにした。

 母には美術館に行ってくるとだけ伝えて、誰と行くかまでは伝えなかった。

 何だか隠し事をしているみたいで気が引けたが、何となく伝える勇気が出なかった。

 


 昨日調べた時刻表通りの電車に乗り込み、発車ベルが鳴る。

 美術館なんて今までの私には全くと言っていいほど縁のない場所だったのに、哲司先輩と一緒だなんて、まだちょっと信じられずにドキドキしている。

 いや、それよりも上野駅の改札がいくつもあることを昨日知った。

 上野は小さい頃動物園に行ったきりで、改札がいくつあるかも分からなくて今日は待ち合わせより少し早く着くように家を出た。

 一体どこの改札に行けば良いのか分からないまま結局今日を迎えてしまったのだ。


 私の家から上野までは思いの外遠く、1時間半ほど電車に揺られてようやくJR上野駅に到着した。

 昔の歌にも歌われた巨大な駅は目眩がするほどの人だかりで、昨夜散々悩んで決めたお気に入りのワンピースが人混みに揉まれて早くもシワができてしまった。

 それでも負けずとコンコースを進み、構内案内図を見ながら9時45分に何とか公園改札にたどり着いた。

 国立西洋美術館に行くなら、ここが一番近いのできっとここで待ち合わせのはず。

 まだ少し待ち合わせには早かったのか、哲司先輩の姿は見えなかった。


(あれ、もしかしてここじゃないのかな。いや、まだ来てないだけかも)


 改札の前は次々と待ち人と合流したカップルたちが上野公園へと歩いていく。


(私たちも、カップルにみられるかな。でも、斎藤先生という人がいながら、哲司先輩、何考えてるんだろう)


 溢れかえる人達の中でそんなことを考えていると、15分はあっという間に過ぎた。

 山手線や京浜東北線が到着するたびに、改札内からは次々と人が現れて消えていく。

 ふと左手の時計に目をやると、もう10時14分だった。

 一人の時間を過ごすのは苦ではないが、一人で来ないかもしれない人を待ちながら過ごす時間はとても苦しい。

 そもそも待ち合わせがこの改札とも限らない。

 電車が到着するたびに期待が高まり、少しするとがっかりする。

 そのリズムが私の胸の奥でズキズキと痛む。


(もしかして別の改札かも、やっぱり移動した方がいいかな)


 俯いた顔を上げると、横断歩道の向かいで哲司先輩が手を振っていた。

 信号が青になると同時に駆け寄ってくる。

 沢山の人が行き交う雑踏の中で、その姿だけが鮮明に感じられた。


「悪い、待った?結奈こっちにいたのか、公園改札は混むから、パンダ像の前って言わなかったっけ?入谷改札」


 少し息を荒げて、哲司先輩は私の肩に手を置きながら必死に謝っていた。

 肩に置かれた手、たったそれだけでさっきまでの不安感が嘘のように消えていき、代わりに、会えて良かった安堵感が心の中から湧き上がってくる。


「もう、改札、聞いてませんでしたよー。でも、会えて良かったです」


 私は少しだけ声を尖らせて、でも出来る限りの笑顔を作った。

 まだ肩に置かれた手はとても熱く額は少し汗ばんでいて、私を必死で探してくれたのだとすぐに分かったので許すことにしたのだ。


「ごめん、ごめん、よし、じゃあ行こう。みんなあそこで待ってる」


「え、みんな?」


 私は虚を突かれてきっとすごく間抜けな顔になっていたと思う。


「そう、瑞季と祐一。未怜は田舎に帰ってて都合合わないって」


 哲司先輩の指差す方向に目をやると、横断歩道の向こうには瑞季先輩と祐一先輩がいて、瑞季先輩はこっちを向いて手を振っている。

 祐一先輩はすぐそばの木陰に腰掛けていた。


「やばい!ほら、行くぞ!」


 青信号が点滅し始めると、哲司先輩は私の手を掴んで引っ張りながら横断歩道を渡った。

 突然の駆け足と、哲司先輩の手の熱さが気になって上手く走れず、私は躓きそうになりながらも何とか渡りきることができた。


「結奈、おはよう。待った?」


 つばの広い帽子の下の優しい眼差しで瑞季先輩が尋ねる。


「ていうか、哲司さん、待ち合わせ場所伝えてなかったんですか?頼みますよーかわいそうでしょ」


 祐一先輩が哲司先輩を責めるような口調でそう言った。


「いや、いつもパンダ像前集合だからさ、そういえば結奈は1年だったよな。本当悪かったよ」


 繋いだ手を離して、哲司先輩は再び謝る。


「いいですいいです。私もちゃんと確認しなかったのが悪いし、それにこうして会えましたし」


 実際、もう不安感は吹き飛んでいた。

 代わりに心臓がドキドキしていたのは、この短い横断歩道を走って渡ったせいだけではなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る