第2話

他校の制服を着た彼は目を逸らす隙も与えないくらい、眼鏡の奥から真っ直ぐにこっちを見ていた。


 その子の目はお人形の目みたいに温度を感じさせなかった。あたしに対する好奇も好意もまったく感じ取れない。

  

 それなのにものすごい圧力でこっちを見ている。その目にあるのは軽蔑なのかもしれない。そんな気がして、ものすごく居心地が悪くなった。


 スクールバックを肩に提げてこっちをむいたまま彼は微動だにしなかった。左手に軽く握りしめてる文庫本は、まるで手のひらから生えているみたい。


 黒いマフラーに顎まで埋めている立ち姿はやけに寒そうで、目を細めて訝しげにこっちを見てるのが少し苛立っているふうにも見えた。


 彼の強い眼力からやっとのことで目を逸らしたと思ったのに、こちらを向いていた彼の爪先はそのまま前方へと歩き出した。


 せっかく並んでいた列から抜け出して、彼はあたしの目の前で足を止めた。


「やめろよ」


 まさか声を掛けられると思わなかったから、虚を突かれて返す言葉を探せなかった。


 背の高い男の子。あたしは恐る恐る彼の顔を見上げる。


 離れた場所からでは冷たい印象を受けたその目は、近くで見るととても綺麗だった。その清らかな眼差しが、汚ならしいものでも見るかのように、あたしを見下ろしていた。


「俺、人身事故現場に居合わせたことがあるんだ」


 その第一声は、あたしを動揺させるには充分だった。でも、そんなのハッタリに決まってる。そう思うと落ち着きを取り戻すことができた。


「……なんの話ですか?」


 平然としらばっくれる。他人に対してこんな失礼な態度をとったことは今までない。先がないと思うと人間は本性が出るらしい。


「なんでマスク外すんだよ? これから帰宅ラッシュの電車に乗るやつが」


 不審人物として、あたしのことをずっと見ていたんだろうか。いろいろ思いめぐらしたけど、結局あたしはその言葉を無視して遠くの景色を眺めた。


「俺しばらくここにいるから」

「それ、横入りじゃないですか」

「あんたの自由にされたら迷惑だから。これでも気を遣って遠回しに言ってるんだけど」


 彼の声は冷淡だった。


「どのへんが遠回しなんですか? 思い込み激しくないです?」


 あたしもたぶん彼と同じように、相手の存在自体に少々苛立ってしまっていた。


「地獄絵図になるんだよこのホームの全てが一瞬でなにもかも。肉片と嘔吐物と悪臭に溢れかえってパニックになるしみんなメンタルクリニック行きだし。後片付けする側のこと考えたことあんの? 大勢の人の足にも影響が出るし、あんたの家族の負担を想像してみろ、ほんとにそれでいいと思う?」


あたしの身を案じているわけじゃない。社会のどこにでもいる迷惑なやつにうっぷんを吐き出しているだけだ。そんな口振りに心底腹が立った。


「なにそれ。勝手に決めつけないでよ。説教とかあり得ないんだけど」

「それはこっちの台詞」

「とにかくほっといて。もう快速来ちゃうから」

「なんで停まらない快速を待ってるわけ?」

「あ……」


 うっかり喋りすぎてしまった。


「あのさ、君がミンチになるのは自由だけどそれ明日にしてくんない」

「は?」

「もしくはひとつ後のにするとか。俺次の電車にどうしても乗らなきゃならないんだよ」


 呆れた。彼は本気で言ってるんだ。自分さえ巻き込まれなければ他はどうでもいいって。


「なんなんですかあなた」

「見たまんま通りすがりの高校生だけど」

「なんか……ムカつく」


腹が立って思ったままを口にしてしまう。


「あんたに常識が欠けてると思ったから声かけただけじゃん」

「……優等生?」

「は?」

「優等生ってあたし大っ嫌い」


 彼がそうだった。すごく優しい人だったから、誰を傷付けることも選べなかったんだと思う。あたしをフッてくれればそれでよかったのに。多くの失恋がそうであるように、あたしだって普通に惨めにフラれたかった。


「じゃ嫌われついでに言うけどさ、スマホの中身とか整理した? SNSとか大丈夫? 最近じゃそう匿名性もないし友達にアカウントも知られてるだろ? 

 あれってさ、事故とか事件とかに巻き込まれると生前の生活スタイルとかアホ面なんかがニュースで勝手に流されるじゃん。それってどうなの? 死んだら羞恥心もなんもないけど身内の恥部垂れ流される遺族はたまったもんじゃないよね」


 早口で捲し立てるようにそう言われて、ハッとした。


 消せないまま大事に残してある甘ったるいやり取りとかくすぐったい思い出の曲とか、親にはとても見せられない写真の色々とか。インスタに撮りためたもの、励まされたいいねの数。フェイスブックにそのままの友達との旅行の思い出とか、中学時代好きだった人と繋がれてちょっとときめいたこととか。


 そんな思い出も一緒に向こう側に持って行くつもりだったのに、それは無理ってことなの?


「スマホなんて真っ先に粉々でしょ?」

「スマホ自体はそうだろうけど、電車に飛び込むくらいで情報まで粉々にできるのかどうか俺は知らない」


その言葉に固唾を飲んだ。


「あれ、もしかして?」

「なっ、なに?」


 何動揺してんだろあたし。動悸が耳のそばで聞こえる。


「ちょっと不安になってきたとか」


 男の子は初めてあたしに柔和な表情を見せた。


 

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