第七十九話『終劇』

 いつから眠っていたのか、どれくらいの間眠ってしまっていたのか。ふと目が覚めたその時には、自分がどこにいるのかすらも分からなかった。

 けど、次第に脳にかかった霧が晴れて、現状を理解し始めた。


 結衣さんは倒れている、ヴァニタスさんはそれを救出している。蜘蛛は居ない。天井には大きな穴が空いて、雪が室内に注がれている。

 雪とともに、膨大な魔力が外から押し寄せている。


「……あ」


 視界の隅に、黒いものが見えた。肉片だ、蜘蛛の。まだ、終わっていない。早く動かないと、どうにかしないと。とにかく、起きないと。


「姉ね」

「ん、ミミ」


 うまく立つことのできないピリリに、ミミが肩を貸してくれた。

 立たないと、うまく荒れた魔力を扱えない。魔力は高いところを好む。

 生きている人間を巻き込む訳にはいかない、細かい操作が必要だ。

 下手したら、ヴァニタスさんも結衣さんも、私の隣に居るミミも、みんな。


「姉ねなら、大丈夫だよぉ」


 私なら、やれる。ピリリは魔法使い、魔法を使うのが得意だから。

 蜘蛛を、部屋に散らばる肉片を全て焼き尽くす。生存者の範囲は炎に変えず、炎が生存者に届かない範囲で。


烈火れっか……」


 これだけの魔力があれば、十分。

 これで、おしまい。


焼尽しょうじん





      〇




 空は晴れているけれど、黒い雲が少しづつ拡がっている。もう少しすると、雪が降りそうだ。

 兵器の調整が終わり、お腹も膨れたディアベルは、気まぐれに雪の森を歩いていた。


 ディアベルは足元にひしゃげた蜘蛛があることに気がついた、足元だけじゃなく雪の森にたくさん散らばっている。


「はい、それダウト」

「……ざんねーん!ほんとに9でしたっ!いやあ、僕のポーカーフェイスが唸るぜ!」

「マスクしてんじゃん!ずるだろ!レッドカード!レッドカード!」


 見慣れた顔を見かけて、ディアベルは歩みを止めた。

 顔と言っても、2人のうち1人は黒鳥を被り素顔は見えない。それでもその横暴な態度と心底楽しそうに嗤う声は、ディアベルのよく知るカラスのものだった。


「あ、ディアベル、やっほ」

「おお、また会ったな」

「何してるの?」


 レジャーシートを敷いて、トランプで暇を潰しているようだ。

 ひとりはカラスと言って本名は誰も知らない、ディアベルの得意客。そしてあとひとりの方は、気の強そうな黒髪の女性。たしか、そう、ディアベルはこの女性を知っている。

 アリスだ、親友の。


「ダウトだよ」

「こいつマスクしてるから表情分かんねぇんだよ」

「……いやそうじゃなくて、えっとね、さっきまで何してたのってこと」


 ディアベルとカラスの会話は、噛み合わないことが多い。

 けれどそれを互いになんとも思っていないため、いつまでも修正されることはなく、ただ毎回のように問答を繰り返す羽目になるのだ。


 ひとつ問うとふたつ答えが返ってくるのが、ディアベルにとっての彼であり。

 ひとつ答えると必ずまたひとつ問いを投げかけてくるのが、彼にとってのディアベルであった。


「ババ抜きしてたけど、2人じゃつまんないからやめたよ」

「蜘蛛がめちゃくちゃ待機してたから殲滅戦せんめつせんしてた」


 アリスの答えに満足気に頷くよりも、カラスの答えに顔をしかめてしまったディアベル。

 足にポンと当たったアタッシュケースを腹いせに蹴り飛ばしてみようかと一瞬考えて、それよりも大切なことを思い出し握った左手から人差し指を上げた。


「そうだ、ちょうど良かったわ、カラスに今月分の処方しておくわね」

「なあ、百人一首とか持ってない?」

「持ってないね」


 真っ白な地面に座り込んで、ディアベルは革製のアタッシュケースを開けた。

 たくさんの薬品が色鮮やかに並んで、美しく異常な程に几帳面に揃えられている。


「ねえ、カラス」

「んー?」


 気の抜けた、と言うよりは何も気にしていないような声で返事するカラスに、ディアベルは冷たく深い、ため息をついてカラスを見つめた。


「そろそろ、不可色に本当のこと伝えた方がいいんじゃないかしら」


 心配と、それと同じ後悔はして欲しくないという善の押し売り。ただのエゴイズム。

 まだ、ディアベルは自分自身が1番大切なだけの自己中心的な人物である。人物と、表すことももう少しで出来なくなってしまうかもしれないけど。


 自分のためだけに行動して、唯一無二の大親友を無くして。

 自分のためだけに行動して、自分自身を無くして。

 もう、無くすモノすら無くしてしまって。


 自分の無いエゴだけが残って、いったい何をしようと言うのか。


「つぎあれやろーぜ、あれ、神経衰弱しんけいすいじゃく

「いいよ、ディアベルもする?」


 神経が衰弱してるのはこっちだよ、なんて言ってみても良かったのかもしれない。

 そうディアベルは思ったけど、言うには少し遅すぎて言葉を飲み込んだ。


「貴方に渡しているのは試作品よ、完成しないの、カラス、あなたが今生きているのは奇跡なのよ」

「だね」


 何を、言っているんだろう。

 試作品を永遠に売り続けているなんて、間違っても客に言っていい事じゃない。

 けど、カラスはそれを最初からわかっていたみたいに同調してみせた。トランプを、並べながら。


「たぶん薬は完成しないわ、魂を肉体に押えておくなんて、薬でどうにかなる問題じゃないのよ」

「まてまてまてまて、いくら何でも最初から揃えすぎだ」

「僕がイカサマでもしてるって?んー?」

「うわ、うっざ」


 トランプを裏に返しながら、カラスはからから笑った。

 話を聞いているかも分からないけど、ディアベルは一方的に、子供に読み聞かせるように話を続けた。


「大切な人なんでしょ、きちんと伝えるべきよ」

「ねぇ」

「なに?」

「ディアベル、何かあった?」


 突然に、突拍子もなく、前触れもなく、遠慮もなく、カラスは切り返した。

 それを受けてディアベルはほんの一瞬戸惑いを見せ、糸が切れたように思考が飛んで。


「ああぁ!!うっさい!死ね!」


 ただ怒った。

 年相応か、それ以下の怒り方で。ただ意味のない罵声を考えなしに大声で浴びせるだけの方法で。

 それはまるで怒りと言うより、駄々を捏ねている子供のそれだった。


「まあまあ、落ち着きなよディアベル」

「おかしい、絶対おかしい、透視かなんかしてるに違いない」

「アリスもね」


 カラスは、今にも噛み殺さんとするディアベルと、頭から湯気が出そうな程に沸騰しているアリスのふたりを宥めた。

 さすが、手馴れている。


「……もう行くわ」

「トランプしないの?」


 落ち着きを取り戻したディアベルは、立ち上がりコートの雪を払った。

 カラスは暇つぶしにディアベルを引き込もうとしているが、極寒の中でピクニックを楽しむ趣味は彼女には無かった。


「遠慮しておくわ」

「残念」

「ん、じゃあなぁ、ディアベル」


 カラスはしょんぼりとした素振りを、アリスはトランプを睨みながら別れの言葉だけを告げた。


「あ、それから」


 ひとつ、言い忘れたことを思い出して。

 また、足を止めて。誰に向けた訳でもない言葉の頭を口から零して。


「袖からトランプ見えてるわよ、カラス」


 ディアベルはそう、火種に油を注いでから。再び雪に足跡を残し始めた。


「ぬわわぁっと」

「なぁ、おい、ちょいちょい、全然怒ってねぇからさ、とりあえず、なんだ。くちばし、へし折っていい?」


 きっといい感じに、雪が火を消化してくれるでしょう。そう信じて。

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