第八十話『悪魔と親友』

 全てに方が付いた夜のこと。

 戦場の爪痕を残した街の隅に車を停めて、吹雪の跡形もなく晴れた満天の星空を、車内から椅子を倒してアリスは眺めていた。


 しゃべり相手は、後ろの席を陣取り寝袋の中で寝息を立てている。

 一部が今にも崩れそうな城の方は、死体の回収等々が難航しているらしく、手伝わされるのはごめんだ。


「眠い」


 アリスは、長く生きている。

 生死を問わないのであれば、知り合いは多い方だ。

 そして今日は、たくさんの知り合いにあってしまった。悲惨な現実を、目の当たりにしてドッと疲れが押し寄せてきた。


 過去に縋るつもりは毛頭ないが、今は過去と比べて冷淡無情に濁っているし、時間が経ってもこの現状は決して良くはならないだろう。

 だからあのころの夢をみることは、今のアリスにとっては悪夢だ。


 どれだけ幸せな過去でも、それが今の凄惨な現実に繋がっていると知ってしまったら。

 アリスに縋る過去はない、されどアリスは憎む過去を星の数だけ有している。


 星の数を数えようとするなんて愚行だ、数えているうちに消えて、また新しいのができる。

 理論的に有り得たとしても、星が消えることは無い。

 アリスは憎み続ける、くすみ続ける今という輝かしい過去を。




      〇




 昔の話。

 星空が、綺麗な日の事だった。

 室内は暖かく、外には雪が積もっていた。


「にしてもなぁ、この仕事してんだからさ、死体はともかく、せめて血には慣れたほうがいいんじゃねぇかなぁ」

「わ、わかってる……けど、怖いんだもん」


 フウラはヴァニタスの言葉に、ココアを飲むふりをして顔を隠した。


「うーん、どうしたもんかなぁ」

「おいおい、7歳をいじめるんじゃねぇよ、おっさん」

「いや、待て待て、いじめはしてないぞ、決して、絶対な」


 あたしは、いやえっと、アリスはコーヒーに入った氷を金色のスプーンでくるくると回しながら、フウラの座るソファーの隣に着いた。


「焦らなくていいぜ、そういうのは自然に慣れていくもんだからな」

「……うん、ありがとう、ございます」

「敬語はよせよ、友達だろ?」

「え!あ、はい」


 フウラはおどおどして、少し照れくさそうに下を向いた。

 いつの間にやら外では雪が降っていた、とても静かな雪だった。


「何歳差の友達だよ」

「そういうのに年齢は無関係だぞー」


 アリスの抗言に、フウラは同調して何度も頷く。

 ヴァニタスは、特に反応も見せずただコーヒーをズルズルと音を立てて啜った。


「まあ、なんだ、気負う必要はないってこったな」

「そうそう、悩みすぎるとシワが増えるぞ、見てみろよ、あたしなんか何百年も生きてんのにシワひとつねえだろ」

「さすが、なんも考えてないだけのことはあるな」


 瞬く間に、アリスに首をがっちり固定されるヴァニタス。「死ぬ死ぬ死ぬ死ぬっ」と首をあらぬ方向に曲げられそうになって、ヴァニタスも必死だ。

 そんなふたりを他所に、フウラはまたひとり暗い方へと思考を落とし込んでいた。


「私、もっと役に立ちたい、みんなに死んで欲しくない」

「死ぬのはしゃーないって」


 アリスはケラケラ笑いながら言った、ヴァニタスは乾いた笑いを上げながら首元をさすっている。


「みんなが死んじゃったら、また、ひとりになっちゃう」


 フウラはコップを机に置いて、椅子に足を上げ膝を抱えて俯いた。


「私には、居場所がここしかないの」

「うーん」


 アリスは窓を開けて夜空を眺めた、降り注ぐような星々が輝いているのに雪を纏った景色はとても静かだ。

 室内からの暖かな灯りが雪を照らして、底無しの暗闇を際立たせている。


「そうかしら」


 まるでオルゴールの金属棒を弾いたような声がして、アリスは振り向いた。

 そこには雪の着いたコートを、腕に提げた知り合いが居た。雪に降られていたようで、溶けた雪が髪を濡らし、ニット帽とマフラーを濃くしていた。

 そいつは、言葉を続ける。


「いいじゃない、フウラは十分、私たちの為になってくれてるから、もっと自信を持っていいんだよ」


 そいつはフウラの前にしゃがみこんで、猫の耳を可愛らしく動かした。


「それに、血になんか慣れない方がいいよ、フウラはあくまで薬剤師なんだから、普通の生活を送る道だってちゃんとあるんだから」


 そいつはフウラの頭を愛おしそうに、ゆっくりと撫でながらその紅い瞳を細めた。


「だから、フウラはもっと自分を大切にしてね、フウラは普通で、普通なのが良いんだから。私達みたいにならないで」


 そいつは首を傾げて、フウラに微笑んだ。

 そいつの、白橡つるばみ色の髪が揺れた。

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