第七十六話『急劇』

 氷の砕け散る音で、混濁していた意識がはっきりした。

 ミミが大槌で氷漬けになった蜘蛛を打ち砕いたのだ、それはもう粉々に。

 肉片は粘土のようで、とても生き物の欠片だとは思えない。


「やったぁ!」

「殺ってない!ミミ!後ろ!」


 肉片が蛆のように動きだし、蜘蛛がいた場所に集まり始めた。

 鋭く弾丸のように飛来する肉片もあり、それがミミのすぐ横をかすめた。


「死ハ、救済ヲ」


 意外に、老紳士のような素敵な声をしていることに、ピリリは驚いた。

 今更になって、ピリリの耳に、蜘蛛の声が届いた。先程まで、動揺しすぎていたのを自覚して、反省した。

 反省は、次に活かす。


「我ラにハ、熱イ血も、脈打ツ鼓動モ、存在をセン」

「アイシクルランス!」


 完全に再生し切る前に、氷の槍を撃ち込む。

 効果はあったみたいで、形が崩れて再生が遅くなった。このままごり押せばいけるかも。

 ミミも同じように考えたみたいで、間髪入れずに蜘蛛を潰しにかかる。


「何故拒ム、生を」


 蜘蛛が形を変えた、形の変わったそれはもう蜘蛛と形容すべきものじゃなくなった。

 蜘蛛というよりも、これは。


「サイかな」

「蜘蛛のほーが好きなのにぃ」


 好き、ね。

 たしかに、今の見た目はピリリも好きじゃない。

 サイっていうには少し細いし、肉はツギハギ、サイのような草食動物には無い獰猛な爪を持った生き物の様になっている。


 サイに似た部分と言えば、四足歩行になっている点、そして頭に角のように鉤爪が固定されている点くらい。

 うん、角だけを見てサイって言った。


「生ヲ」


 角を突き出し突進する蜘蛛、蜘蛛?蜘蛛を避けて氷の槍をまた撃ち込む。

 壁に角が突き刺さり、一瞬の隙ができた。

 アイシクルランスが、効かない。


「ヘイル!」


 氷に耐性ができたのかな、効果が無さすぎる。

 変わったのは見た目だけじゃないみたい、動きも明らかに速くなってる。


「方針変えるよ、ミミ」

「わかったぁ!」


 ミミは剣を持った、剣にしては細長い、刃が片側にしかない変な形だけど。刃の芯に赤く燃える鉱石が使われている強そうな剣だ。


「フレイム!」


 冷えきった空気が、高まってきた心と共に熱く燃え滾った。

 炎は有効だったみたい、ツギハギの肉はピリリの炎に包まれてドロドロに。そして刃を受け付けなかったぶよぶよの肉は、ミミの剣で簡単に切断された。


「……生ヲ、恥ズ者達よ」


 最初から、炎が弱点だったのかな。

 だとしたら時間と魔力を、かなり無駄にしてしまったことになる。

 いや、きっと形態が変わったから弱点が炎になったに違いない。


「ミミっ!ゴリ押すよ!」

「わかったぁ」


 いくら広いとは言っても、ここは城内。あの巨体で、暴れ回られると困る。

 ……あれ。

 蜘蛛、こんなに、大きかったかな?


「……我ラに生キル、鼓動は無イ、たダ、静寂を望ムばカリ」

「ならっ、じっとしててよぉ」


 えっと、さっきの蜘蛛が粘土1個分の大きさとして。えっと、うーん、粘土4個分くらいになったかな。


 ちがう!そうだ、分かった!いや、そうだそうだ!この人達は城が目的なんじゃなくて、あの剣が目的なんだ。

 だとしたら、なぜ城を壊さなかったのか。壊せなかったからだ、きっと。壊せてない、ピリリが魔法を使っても、蜘蛛が壁に突進しても、壁に傷が残っていない。

 ……。

 それが分かったから、なんなのか。


烈火れっか!」

「己ガ抱えタ……生ニ、ゲるな」 


 炎が、実らない。

 この空間の魔力が足りてない、おかしい。魔力は空気中に常に漂っているものだ、もちろん魔力が薄い場所もあるけど。

 先程まで使えていて、急に使えなくなるのはおかしい。


 たしかに、環境に反する魔法を使う時、通常より多くの魔力が必要にはなる。

 砂漠で氷を出したり、寒い場所で炎を出したりしにくいというのが例。

 けど、ピリリなら簡単に使える。

 ピリリ自身の、空気中の魔力に干渉する為の魔力、はまだある。


「この部屋の魔力が足りない!」

「おけ」


 この部屋、何かに閉ざされてる。

 ピリリは結界師じゃない、結界のことは分からない。けど、可能性として、何らかの結界による効果だという線が濃厚だ。

 結界の勉強、ずっと昔にしたような気がするけど。今はもう、勉強をしたということしか覚えていない。


「────ッ!」

「あっ、ミ……」


 よそ見していたせいで、カバーが遅れた。

 ミミの腕を、大きな針に変化した蜘蛛の肉片が貫いた。けど、致命傷は避けているのが幸い……。


「ミミ……?」


 ……どうして。

 どうして、腕を切り落としたの?


「いたぃ」


 剣の形になったそれで、ミミは自らの腕を切り落とした。掛けていたマフラーが床に落ちるように、力無く左腕が落ちた。

 針が邪魔だった?でも切り落とすくらいなら、無理やりにでも抜いた方がマシだったんじゃないのかな。


 ミミは私の視線を気にせず、もしくは気づかないまま。残った右手で小瓶を取り出して、左手の代わりに口で栓を開けて、左の切り口に液体を振りかけた。


「スゥ、なるほどね」


 落ちた腕が、ぐちゃぐちゃに溶けて、蛆の様になった。ピリリはそれを見て、目の前の敵の恐ろしさを今初めて知った。


 今更知ったことに、さらに恐怖が上乗せされた。今までという理由だけで何となくで攻撃を避けていた。その気まぐれが、無知という憎むべき死への片道切符を切らずに済ませたわけだ。

 もしピリリが、という信念を元に動いていたなら……。


「ミミさん!!」


 ピリリの声でもなく、もちろんミミの声でもない声が、部屋の外から響いた。

 聞いたことの無い声、いやもしかしたら聞いていたのかも。えっと、誰だったかな。

 顔は思い浮かぶけれど、名前が出てこなくて語るに語れない。


「きゃっちぃ」


 ストっともとあるべき場所にハマったように拳銃を受け取ったミミ、そして拳銃が飛んできた方向からさっき別れた人達が駆けているのが見える。

 興味がなくなって、またミミの方に視線を移した。


「ミミ!ちゃんと前見て!」


 見てって、見えてないのに。

 見えてないからこそ、前から来てるのは感じているはず。

 なら、言う必要はなかったのかも。


「ん……」


 手に取った拳銃になにか付着していたのか、ズボンで拳銃を拭っていたミミも顔を上げ。

 蜘蛛は、大きく飛躍した。


「逃げルナッあぁ!!!!」

「……てるみっと」


 ミミは唱えながら拳銃の引き金を、小さな指で引いた。

 拳銃から放たれた、熱線は、跳ねていた蜘蛛の巨躯を、灯火ともしびのように吹き消した。

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