第七十五話『姉妹』

「アイシクルランス」


 蜘蛛に向けて、氷の槍を降らせるけれど、蜘蛛はそれを大きな鉤爪を振るって打ち砕いた。

 私は、ピリリは魔法使い。魔学を扱う、魔学者。魔法を使うのが得意、そのおかげでここまで生きていられた。


「さすがぁだよぉ」


 鉤爪を振るった、その隙をついて懐に入り込み蜘蛛の身体を刀で切裂くミミ。

 訂正、切裂けはしなかったみたい、柔らかくて切るのが難しいのかな。


「ミミ、調子どう?」

「叩き切れないならぁ、叩き潰すのだぁ」


 ミミが言うのと同時に、持っていた刀は鋼を喰い、何度も重なって、槌へと姿を変えた。

 大きさ自体は刀とあまり変らず、かしらの部分が少し小さい。釘を打つのには大きすぎて不便そう、敵を叩き潰すのには少し小さいかもしれない。


「もうちょっと、大きく?した方がいいかも……?」

「んーと、こーおぉ?」


 槌は再び鋼を喰らい重ねて、大槌と呼べるような大きさにまで変化した。

 顔色ひとつ変えずに大槌を持っているけど、ミミの身体と大槌の大きさが不釣り合いなだけに違和感を感じる。

 もしかしたら意外にも軽いかもしれない、そう思わせるほどに平然としている。


「すばらし」

「ぐっとぉ」


 頭が痛くなるような、笑顔を見た。ただ見ただけなのに、心臓が煩く悲鳴をあげ始めた。

 胸をぐっと掴んで痛みに耐えた、そうしたら、全部が嫌になった。

 ここにはミミと私だけしかいない、他には誰もいない、聞こえない。

 ここは2人だけの世界だから、私達だけしかいらない、知らない。


「─────────!!!!」


 いらない、知らない、聞こえない、聞かない、許せない、許さない。

 ここには、ミミと私だけなのに。


「姉ね」

「……」


 呼ばれた、だから顔を見た。

 見えたのは後ろ姿だった、また置いていかれたような気がして。悲しくなった。

 ミミも、こんな気持ちだったのかな。

 あの時も、ミミには、私の背中が見えてたのかな。


「楽しもうよぉ、殺らなきゃ損だよぉ」

「もちろん、任せてギッタギタにするから」


 ミミが好き、大好き。

 今も昔も変わらない、ずっと好きなまま。

 誰のことよりも、ミミが大好き。


「────────?」


 聞こえない。

 なんて言っているか、見当もつかない、分からない。

 ミミの声しか、私の耳には届かないんだから。


「ミミたちは家族なのぉ」


 何か、熱いものがこみ上げてきた。

 それは胸から、喉元で外に逃げようとした。

 私はその熱をグッと飲み込んだ、けれど、熱はもう少し上まで昇ってきて。


「────────!」

「……っ、姉ね!!」


 目尻が熱い、焼けそうな程に、焦げそうな程に。焼け死んでしまいそうだ、脊髄が爛れているようだ。

 熱に浮かされている様な感覚の底に、ある感情がグツグツと煮えていた。

 その感情は、胃から込み上げてくる熱を呼んだ。その感情が、喉元でつっかえて、咳が止まらなくなった。


「ヘイル」


 ピリリがそう呟くと、空間が凍えた。

 無数の氷の粒は、肉を引き裂く弾丸となって、蜘蛛へと襲いかかった。

 蜘蛛の背後から大槌を振り上げ、潰すという明確な意志を持って振り下ろした。

 けれどそれを避け、蜘蛛は生き長らえた。

 床にヒビが入っていた、歴史的建造物を傷付けて怒られないのか心配。


「ぬぅ、動かないでよぉ」

「────────」


 話しかけるな、ミミは私の妹だ。

 ミミを振り向かせるな、ミミにこれ以上迷惑をかけるな。

 ミミは私が好きなんだから、私は。

 私は?

 私は、ミミが好きなのかな。

 私は、ミミを好きなのかな。

 私は、私はきっと、私は、私はいったい。私は、私は、私は絶対、私は、私は。

 私?


「────────!!」


 蜘蛛が私、ピリリを貫こうと、その鉤爪で、襲い来る。

  が、頭を鉄棒に貫かれ蜘蛛は壁に打ち付けられた。ミミは大槌だった物を構えていた、今はボウガンに形を変えている。

 蜘蛛自体の動きは鈍いのに、鉤爪を振るう速度は放たれた氷の槍をも正確に砕くほど。


天牢てんろう


 そう、一言呟いただけでも、空気がガラリと変わったのが分かる。

 皮膚が痛みが、この場の温度が急激に下がっている事を警告している。

 警告なんかされなくたって、まずいことくらい分かる。ひょうが室内に吹き荒れて、部屋の中なのに風が強く嵐の様。

 雹が部屋を掻き乱している、吹雪く中の様で視界が悪い。


 そんな視界が悪い中、人影が見えた。私の魔法を危険だと察した蜘蛛が頭を壁から無理やり剥がし私を止めようとしている、そしてまた大槌を形成して蜘蛛から私を守ってくれるミミ。ピリリはミミをこのままいつまでも見ていたいと思った。


 けれど、言い終わらないと、何も終わらせることが出来ない。

 ピリリは魔学者、だから、きちんと詠唱は唱え終えなきゃ気分が悪い。

 ただでさえ、心臓が閉じ込められた誰かが死に物狂いでドアを叩くように逸って、頭がおかしくなりそうなのに。


「……氷獄ひょうごく


 ピリリは、白くなる視界の中、そう締め括った。



      〇




 真っ白な雪が積もった、晴れた夜のこと。

 月が綺麗だった。

 両手を上げてドアノブに体重をかけて、ドアを開ける。

 じゃないと、ピリリは扉を開けれない。

 椅子があれば別だけれど、ここは廊下。


「よっしょと」


 そして、廊下から入ったのは。


「いらっしゃい、姉ね」


 妹の部屋。

 部屋の主の妹は、白いベッドの上にチョコンと割座で乗って、無数の傷で濁ったガラスの玉の様な瞳でピリリを迎え入れてくれた。

 目は合わせないように、気をつけていた。

 見たらみんなの二の舞だし、それに。


「姉ね?」


 ────人の目を見ながら殺すなんて、ピリリには到底できることじゃなかった。

 体の大きさは余り変わらないけど、力は、ピリリの方が強い。


「!?」


 妹は、硝子の瞳をもって生まれた。悪魔に、魅入られたからだ。

 ピリリは、虹の瞳を持って生まれた。世界に、祝福されたからだ。


「……ね…ぇっ」


 妹が生まれた時、その瞳を見た先生は赤子のように泣き崩れて、そのまま精神に異常をきたしたまま治らなかったとか。

 ピリリが生まれた時、その瞳を見た先生は、綺麗ですね、と言ったとか何とか。

 別に私の瞳に何か力がある訳じゃないけれど、誰も不幸にしていないから。ピリリは妹より良い人間だ。


「……っ!!」


 ピリリは妹のことが嫌いだ。

 だから、目も合わせない。妹はピリリのことが気になるらしかった、けれどピリリはそれを嫌った。

 そうして、妹との距離は少しずつ離れていった。


「やっ……め…ねぇっ……」


 ピリリは勉強を沢山してる、だからみんなを助ける方法を知っている。

 呪いを解くためには、呪いを掛けた術者を殺せば、大抵の場合呪いは解けるって。

 だから、みんなを助けるために。

 みんなを助ければ、褒められるはず、ピリリの事だけを見てくれるはず。ピリリの事を愛してくれるはず。


「……っ」


 平等が不公平だと、ピリリは思っていた。

 ピリリは妹より勉強ができる、運動も、片付けも、チェスも、全部妹より上手にできる。

 妹より努力してるから、妹より才能があるから。

 それなのに、両親は。ピリリも妹も、平等に愛した。


 平等は、不公平である。


「…………」


 死から逃れようともがく妹の瞳の中に、ピリリが笑んでいた。

 とたんに、恐怖に襲われた。

 恐怖、暗闇の恐怖でもなく、お化けのいる恐怖でもなく、怒られる時の恐怖でもなくて。

 ────殺される。

 死に対する恐怖じゃない、明確な殺意に対する恐怖だ。


「ひゃっ……」

「っかはぁっ」


 苦しくなって、死に脅えて。ピリリは手を離した、えずく妹を他所にピリリは手元を見つめた。

 死の恐怖と、喉を締め付けられるような苦しさと、たった一人の姉妹への親愛がぐちゃぐちゃになって。


「けほっ、かはかっ……」


 涙が止まらない、鼻が詰まって息がしずらい、嗚咽が止まらない。

 裏切られた、けれど、まだ信じる心が残っていた。


「……ね」

「ひっ……」


 視界を手元から上にあげると、妹の背中が見えた。


「姉ね」

「……あぅ」


 振り返った妹は笑顔を見せた、頭が痛くなるような。独り、置いていかれたような気持ちになった。


「好き、だよ」


 心の深い所で、氷が砕け散る音を、ピリリは聞いた気がした。

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