第七十四話『悪い魔の者、善い柔らかい者』
空は青空、昨日の雪が嘘のよう。けれど、爪痕はしっかりと残っていて、大地は白化粧をまとっている。
そんな真っ白な雪の地に私が呼ばれたのは、兵器の点検のため。
「生物兵器、発見」
「にゃ?」
振り返り、不思議そうにディアベルを見つめて、小首をかしげた。
不思議そうにしているのは、生物兵器と呼ばれたからではない、そんなわけがない。生物兵器と呼ばれて、自分のことだと理解してふりかえっているのだから。
だから、きっと、不思議そうにしている理由は。
「どこかで、見たことある気がするような気がしなくもないのにゃ」
「そりゃあね、何回も会ってるからよ」
こんなやり取りを、あと何回すれば、許されるのだろうか。
晴れた空を見上げて、兵器はぴくぴくと耳を動かした。
「空に何かあるの?」
「にゃあ、雪、降りそうにゃ」
「……雲ないわよ」
尻尾は小刻みに、早く揺れている。
ディアベルは辺りを見渡して、ベンチを見つけ、その兵器を引っ張ってベンチまで連れて来た。
ディアベルは髪をねじりながら、落ち着きの無い様子で耳をピクピクさせる兵器を睨んだ。
それでも、その兵器の眼中には映らないらしい。
昔は、ディアベルのことをしっかり見ていてくれたのに。
「ほら座って、早くしないと、始まるわよ」
「注射は嫌いにゃ」
尻尾を足の間に挟み、手でぎゅっと握る兵器の、頭を撫でてあげると、耳を倒し目を細める可愛らしい姿を見れた。
ディアベルは自分のコートについたほこりを払いながら、そんな兵器の姿を見て愛おしく思った。
「いい加減、なれなさいな」
そう言いながら、ディアベルはレザーのアタッシュケースを膝の上に置いて、兵器の腕をまくる。
注射器を取り出すと、兵器は針の先から視線を外さなくなってしまった。
あんまり見つめてくるものだから
「にゃ」
「大丈夫、もう、酷いことはしないから」
隙を突いて、注射を打った。
慎重に、少しずつ、黒い液体を注入していく。
尻尾を大きく振って、邪魔をする気なのかは知らないけれど、少し手に当たるせいでくすぐったい。
「怖いなら、目を瞑るといいわ」
それでも、怖がっているのは分かっているから、気休めの言葉を並べてあげるしかない。
ふと爪が伸びていることに気付き、兵器の顔色をうかがうと、開いた瞳孔で注射針を見つめていた。
「大丈夫、すぐ終わるから」
本当に、注射が怖いらしい。誰からも恐れられる最強の兵器が、実は注射が怖いだなんて世間が知ったら、どうなることやら。
とにかく今、ディアベルに出来ることは。
「もう、怖いものもないでしょ、死にもしないんだから、貴女は、ちゃんと、強くなったんだから」
その強さと引き換えに、多くのものを失ってしまった。失わせてしまった人間は、本当に無責任だと思う。
代償の内容を隠し、願いだけを叶え、大きすぎる代償を奪っていく。
そんなの、まるで……。
「はい、おしまい」
「にゃぁ、痛くなかったにゃ!」
「そりゃあね、貴女は大砲で撃たれても痛くないんだから」
天使のように、無邪気に跳ね回る兵器の姿を見ていると、いつかの思い出が蘇ってくる。
口の中に鉄の味が広がって、少しお腹がすいてきた。唇がヒリヒリする。
「さ、あとは質問して終わりよ、最近どこか痛むところはある?」
いつもと変わらない質問、そして返ってくる答えも、きっといつもと同じ。
「腕が痛いにゃ」
注射した場所を擦る兵器は、どこか嬉しそうにディアベルの目には映った。
ディアベルも自身の注射痕を、コートの上から確認するように触った。
「どんな痛み?オノマトペでどうぞ」
「ぐにゃんぐにゃん」
この前は、ぐざぐざと言っていた。
悪化したのか、それともすこしはましになったのか。
ディアベルは、前者だと判断した。特に理由がある訳でもないけれど。
「……なるほど?打つ位置を変えた方がいいのかしら」
雪の上に兵器は寝転がった、薄い服装なのに冷たくないのだろうかと少し心配に思いつつ。
早く、仕事を終わらせようと、アタッシュケースを閉じながら質問を続ける。
「ほかに何か、気になってることはある?」
「にゃー、最近忘れ物が多いのにゃ」
最後くらい、そばに居たいな。
完全に忘れ去られる前に、2人でどこかに行きたいな。
「……そう、お疲れ様、あとは自由よ」
ベンチから立ち上がって、深呼吸をした。
空気は冷えていて、突き刺されたような痛みが頭の奥を抜ける。
「それじゃ」
また、兵器は耳をぴくぴくと動かした。
花のような笑顔を見せる兵器から、目を背けて、ディアベルはゆっくりと後ずさりした。
「ばいばい」
小さく手を振って、兵器に背を向けて、雪の道を歩いた。
「にゃ……あ……フ………」
彼女の、声が聞こえたような気がして、足が止まった。止まった理由は?と自分で問い、目を擦って、また歩み始める。
ディアベルには、振り返る資格も、勇気もなかった。
メラメラと、暗い色の氷が、心の深い光の届かない場所で、燃えて。
白銀の世界の片隅で、お腹の鳴る音がした。
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