第七十二話『戦場開始』

「ふっ、僕に攻撃が全く当たりませんね」

「俺が引き付けてるからなぁ!?」


 とまあ、そんな訳で。

 アブラナさんによる猛攻で、フェンリルは足元をちょこまかする僕に構っている暇がないようだが。

 この巨体、狙わずともうっかりみたいな感覚で踏み潰されそうだ。

 さてそんな僕は一体今何をしているでしょうか、はい答えは待ちません。答えは『迅雷の置き土産』を周りに設置していました。


 地面に触れた円状のそれらは鉄足を出して、しっかりその場に固定され並大抵の事じゃ位置がズレないようになる。

 ただ、今回は雪が積もっているから少し不安だ。


「ざっけんなよっ!」


 ひたすらの猛攻でフェンリルに攻撃の余地を与えなかったアブラナさんだったが、フェンリルは攻撃を一度あえて受け、そのままアブラナさんを押し返したようだ。

 犬は賢いって言うのは本当だったらしい、だとするとカラスも本当に賢い動物なのかも。


「アブラナさん!手を休めないでください!」

「わかってる!」


 ボロボロの肢体を叩き起して、斧を掴み、またフェンリルに飛び掛った。


「撒き終えました!手筈通りにお願いします!」

「オーケー!」


 何回かまた斬撃を与え、フェンリルの攻撃を逆手に取り大きく跳躍することに成功したアブラナさん。

「衝動っ!」とまた例の技を出す構えを見せた、そして見せられたフェンリルはまた咆哮を放つため脚を開いて。


「ウォワォォォアゥッワゥァッ!!」


 罠にかかってくれた、それはもう思い描いていたとおりに。踏んだ者に高圧電流を流す罠だ、よろけてその次の足でまた罠を踏んで聞いたことも無い鳴き声を上げた。

 雪が、ハラハラと降ってきた。

 気付けば空はどんよりとした灰色に、染まりつつあった。


「感電するほどに刺激的ってね……やめよ、やめとこう僕のキャラじゃない」


 ちょっと格好つけようとしたけれど、恥ずかしくなってやめた。

 別に僕が考えたわけじゃなくて知り合いの決まり文句みたいなものだから言ってみただけで別に僕が考えた訳じゃあない、そこだけは勘違いしないでもらいたい。ほんとに。

 それはともかく、ともかくだ、フェンリルの親玉を倒すなんて伝説になってもいいくらいだ。

 ほとんどアブラナさんが戦っていたわけだけれども、僕の罠、正確にはカラスが作った罠をたまたま持っていた僕が居たおかげで……。


 ……いや、まだ死んでいない。でもそこまでは想定内だ、あのフェンリルが電気ショックで簡単に死ぬわけが無い。

 取らぬフェンリルの皮算用はよそうか。


「しゃあねえ!ここで決めるか!」


 アブラナさんは声を張り上げて、手に持っいる斧の刃に付けられたかせを外した。

 枷の外された斧は異形な姿で、例えるならなんだろう。少し難しいな。


 えっと、細かい模様のような線が入った蝶の羽、あれが刃になって、その刃が大剣のような形になった物……。

 伝わったかな、心配だ。

 ところでフェンリルの皮って、何に加工するんだろうか。


「衝動!壊閃ッッ!!」


 トドメ。

 本当の本当に最後の一撃を、アブラナさんは、フェンリルの首を目掛けて叩き込んだ。

 斧の枷、外して振るうとその切れ味が最大限にまで引き出される。しかしながら、枷を外すと、その形を長く保つことは出来なくなる。

 そんな、カラス製の厄介な武器。


 呆気なく、というには少し演出が大きすぎたけれど。フェンリルの太い首は、白い雪に鈍い音を立てて落ちた。


「あーあ、この斧お気に入りだったのにな…」


 雪がぱらぱらと、降ってきた。

 太陽はもう出ていない。


「アブラナさん、決めゼリフどうぞ」

「え?」


 まだ昼くらいのはず。

 最近、暗い空ばかり見ている気がする。


「どうぞ」

「いや、どうぞじゃなくて」

「どうぞ」


 雪がばらばらと、降り始めた。

 目に入って、鬱陶しい。


「……フェンリル討ち取ったり!」


 そうだ、ばらまいた罠を回収しないと。

 一般市民が気づかずに踏んだら、とんでもなく怒られるだろうからなあ。


「罠回収しましょうかね、間違えて踏まないように気をつけてください」

「お前、後で覚えとけよ」

「忘れるまで覚えておきますよ」


 地面が揺れた。

 こんな時、地面が突然揺れたら、まず初めに目をやるのは。


「ァォァア、ァオォアァァア」


 フェンリルの首から、黒い液体がドロドロと流れている。

 ドロドロなんてものじゃない、ダラダラと、ドボドボと吹き出していて。


「来ますよ!アブラナさん!」

「見たらわかる」


 液体が、鋭く、たくさんの触手が命を得たようにかたどった。

 命を新たに得たように、のっそりと身体を起こした抜け殻は、魂の代わりに黒い殺意を詰め込んだようだ。


「じゃあな!斧が使い物にならなくなった今!俺は逃げるしかできないからな!サラダバー!」


 そう言って走りさろうとする薄情者もといアブラナさんもといやっぱり薄情者。

 その薄情者の前に、白い雪から黒い触手が突き出してきた。

 命を狙って。

 雪から次々と姿を現す黒い触手。頭を亡くしたフェンリルの身体に、取ってつけたような黒い触手がうねっている。

 逃げ場が無い。


「これは、まずいでしょう」

「冗談はさておき、ホントに冗談じゃねぇよな」


 最初から最後まで。

 逃げ場が、無い。



      〇




 奥の部屋まで、もう少し。


「ねえ、ミミ」

ねえね、なーにぃ」


 いつかみたいに、二人で広い廊下を歩いていた。

 ピリリはそれを懐かしく思った、ミミはピリリに目もくれず窓の外を執拗に気にしているようだった。


 ミミにとって、この城での思い出はあまりいいものではなかったのかも。

 あの頃の思い出は、忘れたくなるようなものばかりだったのはず。

 思い出さないようにしているのか、それとも、本当に忘れてしまったのか。


「あのね、ミミはこれからどうするの?」

「これからぁ?」

「うん、わたしはね、田舎で暮らそうかなって。ほら、最近スローライフっていうの流行ってるでしょ?」

「知らなぁい」


 ミミの声が、空っぽに感じた。

 ピリリも外の方を見てみた、青く澄んでいた空は黒い雲が覆って、今にも雪が降りだしそうだ。


「ミミはね、ずっとここに居るよぉ、ここがミミの居場所だもん、さっきもミミ言ったのにぃ」

「あ、ごめん、でもそうじゃなくって、言い方間違えた」


 考えずに、すぐに口に出してしまうのがピリリの悪い癖。ちゃんと、直さないと。

 言わなくていいことも、言わない方がいいことも、空気も読めずに言ってしまう悪い癖。

 直さないと、ミミに嫌われないように。


「あのね、ミミはいつか戦えなくなる時がくるんだよ。ミミは怪我しない訳でもないし、歳を取らない訳でもないんだから」

「うぅむ」

「だからね、もしそういった時に、なんにも決まってなかったら、メイドちゃんと私の所においで」

「うぅん、どーしよぉかなぁ」

「また、考えておいてね」

「ううん」


 また、空っぽなミミの返事。

 何を言っても上の空、その空も雪がはらはらと降り始めて、どんよりとした雲が青い空を隠した。

 ピリリも空を見た、そのまま特に会話もなく暗い廊下を歩いて。

 奥の部屋に着いた。

 壁や天井に美しい絵が描かれていて、そして広い。


「さて、ミミに問題」

「問題なんてらくしょぉだよぉ」

「扉はどこにあるでしょう」


 明るく話しかけると、ミミも多少なりとも明るく返してくれた。

 ピリリが、自身で気づかないうちに暗い顔をしていたのかもしれない。

 だから、ミミは気を使ってくれたのかも。


「そこぉ」

「それは今入ってきた扉、あ、扉だけどそうじゃなくて、次に進むための扉はどーこだって話」

「んーとぉ」


 そんな訳ないって、ピリリはわかっていたけど。

 どう思おうが、個人の自由だから。

 ミミは、良い子だから。ミミは、私の事、まだ嫌いじゃないはずだから。


「答えは、ここ」

「壁の絵が扉パターンかぁ」

「そうなの」


 一番奥の壁の、明らかに周りと空気の違う壁画。

 そこが扉、王族の血統のみが知っている、秘密の部屋への入口。

 危険なモノには、決して教えることの出来ない。秘密が眠っている部屋。


 部屋に入れるのは王族の人間、それを悪用しないような人間にのみ教えられる。

 ピリリとミミは王族、名前は、ディオハーデース。

 とある魔王に、滅ぼされた(正確にはまだ滅びてはいないけれど)名前の一欠片。


 ピリリがこういった裏側の人たちと、関わりを持つにつれて、名前に意味があることを知った。

 真名は、取り消すことも、その運命を変えることすらも出来ないと知ってしまった。

 真名を持つ者は、その名前に運命を決められている。


「どうやって開けるのぉ?」

「普通にだよ、押して、開けるの」

「どうしてぇバレなかったの」

「この扉は、私とミミじゃないと、誰にも開けられない……から」


 振り返ると、紳士服に身を包んだ身長の高い覆面をつけた蜘蛛のような男が、扉の上枠を掴み、頭をかがめて侵入してきた。

 ピリリとミミだけの、場所に、そいつが。


「うぅん、ちょっと遅かったねぇ、鉤爪は両手じゃなかったのぉ」

「あア、残念ナ事ニな、ひとツ、無クシた」


 そう言って、右手を顔の前に持ってきて、凶器の様な爪をカチカチと鳴らした。


 距離はとっている、いきなり飛びかかってきたとしても余裕で避けれる。

 それに、あれほど大きな鉤爪を片手とはいえつけているのだ、素早く動けるはずがない。

 ……なんて言ったら、意外と早く動いたりするかもなので、油断はしないでおく。

 内ポケットの杖に、手を掛けておく。


「もうお城は占拠したも同然よ、えっと、あの、ねぇミミこの人名前なんていうの」

「蜘蛛さんだよぉ、片手だけで戦うなんてぇ、舐められちゃったぁ」

「いエいえ、貴女ノ強サは十分ニ、理解してイますカらね、こチらとしてモ万全の状態デ来たかッたノデすが、事情あリマしテ」


 仲がいいのかな、ピリリより?そんなわけない、あるはずがない、あっていあわけがない。ミミの1番はピリリだけだから、他に誰も入ることも出来ないくらいに親密な関係なんだから、蛆虫ごときが入ってこようとするんじゃない。蛆虫っていうか蜘蛛っぽいけど、蜘蛛なの?もしかして蜘蛛なの?

 どうでもいい、ピリリとミミの間に割り込もうとする者は全てぶち殺してやる。


「そうなんだぁ、じゃぁ、ようやく、決着かなぁ」

「ミミ、一応聞くんだけど、この人、人?人かどうか怪しいけど、蜘蛛さんって敵なの?」

「そうだよぉ」

「なら殺しちゃおう」


 殺そう。

 敵だ、ピリリとミミの平穏と愛を邪魔する害虫だ。


「亡骸デ、そコの扉は開クか、試そウか」

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