第七十話『響く咆哮、ひとり彷徨』
銃が効かない。
効果が薄いのは予想していたが、思っていたより酷い。
当たってもかすり傷程度、やつを仕留めるためにはアブラナさんの斧で首を切るほか手段がないのだが。
「衝動!壊───」
アブラナさんが振り下ろす直前、フェンリルは耳が引きちぎれんばかりの咆哮を放った。
アブラナさんは、そのまま僕がいる所まで吹き飛んできた。
しまった、シャッターチャンスだって言うのにカメラを持ってない。惜しいことをしたな。
「アブラナさん、大丈夫ですか」
「くっそ、耳痛ぇ」
耳に水が入ったみたいに、トントンっと耳を叩いている。
僕はそれより、壁に叩き付けられて何本か折れたであろう骨の方を心配した方がいいと、アドバイスをあげるべきなのだろうか。
僕は少し考えたあと小さく首を横に振って、耳を気にしているアブラナさんを他所に、銃声を響かせた。
この破裂音と硝煙の匂いが、僕は好きだ。
「耳死ぬて」
「うーん、困りましたね、銃も効きませんし、唯一の有効打もあれで防がれる」
「大丈夫?聞こえてる?もしかしてお前も鼓膜破れた?」
爆風と見紛う程の衝撃波と轟音。
雷鳴のような轟くその音は、衝撃波によって発生した音なのか、単純にフェンリルの咆哮なのか、判断が難しいところだ。
いや、そんなことを考えている場合ではない。
町は半壊、僕達は瓦礫に隠れるようにして
フェンリルは、もちろんこちらに気づいている。
あまりゆっくりしていられない。
「お前なあ、なんか持ってねぇのかよ!もっとなんか強かったイメージあるんだけど!お前!」
「そう言われましても、ねえ」
そう声を荒らげるアブラナさんは、少し勘違いをしているようで。
今まで僕が強かったことなんてない、僕が使ったカラスお手製の武器が強かっただけだ。
過去に猛威を奮っていた『迅雷の置き土産』も、かなり前にミミさんとの仕事の時にどこかに忘れてきてしまっている。
……。
いや、待てよ。
たしか……。
そうだ、と思い出した僕はポーチを開いて中を探ろうとしてみた。
探る必要なんてなかった。
それは薄っぺらくて、透明なDVDデスクみたいな容器に敷き詰められているから一目見れば分かる。
「あ、これ」
「なんかあった時の反応きた」
「あいつ、電気とか効きますかね」
「何か知らんが、やれることはやってくれ」
「了解」
懐かしいな、これに触るのはいつぶりだろう。
いや、一応列車の時にも見たのか。だから1番初めに頭に浮かんだわけだ。
むしろよくこれを忘れていられたな、夜に適当に弄りながら懐かしむ予定だったのだが。
どうして忘れていたんだ。
「じゃあ、僕も前出るんで、引き付けておいてもらって」
「なんて言った、ごめんもう1回言って」
「フェンリルを引き付けておいてください」
「……おう、任せろ」
〇
「いやーん、ご馳走がいっぱい、嬉しいなぁ」
脳が詰まっているであろう、連なる頭をひとつひとつ人差し指でつついていくディアベル。
この脳を全て自分一人で食すことが出来ると考えると、ヨダレが
「馳せり走ると書いてご馳走」
モルちゃんから逃げている愉快なご馳走達を見て、なかなか上手いことを言ってみた。
口から溢れたヨダレを袖で拭って、重たくなくなってきた
「殺そうとするなら、殺される覚悟をしておいて」
モルちゃんがそんな当たり前なことをご馳走に言って、ナイフを振り下ろした。
小さなナイフでよくこんな大きな生き物を真っ二つに切断できるものだなあって、感心した。
「愉快よ愉快、馳せるや走るや、言葉通りなのね、文字通りなのね」
ディアベルは国語は得意だけど数学は苦手、数学ができる人は普通じゃないと、そう思う。
きっとモルちゃんは普通じゃない類なんだと思う、喋り方が数学出来そう。
そんなモルちゃん、いつの間にやらご馳走を追っているうちに囲まれたらしい。
ご馳走達の口から大きく鋭利な舌が突き刺すように、敵を狙って発射される。
モルちゃんはうまく避けているけど、床や壁に刺さった舌が深く刺さっているのを見ると、ひとつでも刺さると抜けなくなって残りの頭からも刺されてリンチで終わりかな。
「……っ!」
なんて考えていたら、モルちゃんのナイフが舌に弾かれたみたい。
あの囲まれた状況で、完璧に全部避けるのは難しそうだもんね。
武器が無くなったのをいいことに、次々飛び掛るご馳走達。この場合、ご馳走はモルちゃんの方だけど。
「ほい」
ディアベルが持っていたメスを、モルちゃんへ向けて放ってあげた。
ディアベルのコントロールが良いのもあるけれど、やっぱりモルちゃんの動き方が上手い。
ご馳走を避けて、踏みつけて、モルちゃんの使っていたナイフよりさらに小さなメスでご馳走達を切り刻んでいった。
「……ありがと」
「こちらこそありがとう、あなた料理人だったのね、活け造りは好きよ?安心した?」
これだと、ミンチみたいなものだけれど、別にミンチも嫌いじゃない。
それに、私に気を利かせて頭と身体を綺麗に切り分けた個体も残してくれている。
シェフの粋な計らいに感謝ね。
「……行こ」
「私は残るわ、デザートを食べなきゃ」
「これ、借りるね」
さあさあ、お待ちかねのデザートタイム。
メスなんてなくても、手があれば事足りるじゃない。
頭をぶどうみたいにひとつもいで、骨をかち割って美味しい実の部分を開いて。
「右脳左脳、どちらから食べるか右往左往、どちらが吉か神様の言う通り」
神は本当に存在するのか。
神なんて、もしかするとこの世界にはもう居ないんじゃないのか。
もし、神なんてものが本当にいても。きっと頭が普通じゃないんだと思う。
「左ね、ふふふ、神が私を従えるかしら」
まあ、けれど。
こんなご馳走を生み出してくれた神様には、感謝してもしきれない。
「あ、ああぁぁあ!!!!!」
ディアベルが、食べようと。右脳を、口に運ぼうと、していたのに。
次の瞬間、それが灰になって。
それどころか、ご馳走が全部灰になって、空気に溶けていって。
「もうっ!やってらんない!」
神なんて嫌い!
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