第六十二話『雲行き』
雪の森、普段なら観光客で賑わっているここも。
今は静かに雪だるまが陳列するのみだった。
雪だるま、そして、誰かの大きな像。きっとどこかのすごい人なのだろう。
どうやら違ったらしい。
「は?お前かよ、最悪、あたし帰るわ、帰り方わかんねぇんだった」
「えっと、僕たちが来た方向を真っ直ぐ行けば、普通に帰れますよ」
「古城に?」
「出れば古城も見えますよ」
「ご丁寧にどうも」
最後皮肉ったようなセリフを吐いて、アリスさんは振り返らずに手を振って僕たちが来た方向の道を歩んで行った。
どうやら、僕はアリスさんに良く思われていないらしい。会う度にこれだ、僕だってほんの少し傷付く。
「僕、アリスさんに何かしましたっけ」
「久しぶりね、志東」
「ディアベルさん、どうも」
「相変わらずのアホ面ね」
「鏡でも見てます?」
ディアベルさん。
前あった時より一層、瞳に瘴気が宿っているようで。その笑顔から、一切の正気が感じ取れなくなって見えた。
こうやって、まともな人間が少なくなっていくんだなぁと、少し悲しくなった。
「はぁ!志東の顔がアホ面って言ってんの!志東程のアホ面、わたし見た事ないわ」
「鏡を見たことがないと」
「んぁぁあぁぁああぁ!!!!うっさいっ!」
叫んで急に顔を殴ろうとしてきたので、避けようと。
したのだけれど、僕の反射神経では少し無理があったらしい顔を正面から殴られた。
されど僕の頭蓋骨は砕かれずに済んだのは、ディアベルさんが普段服用している薬を切らしていたからか。
「……ディアベルさんの方がうるさくなかったですか、今」
「よし、とりあえず一発ぶん殴るから、こっち来いや!」
既に一度、殴られてるんだよなあ。
さっきのはもしかすると殴った判定に入っていないのかもしれない。なるほど、だから僕はこうして脳みそがはみ出ずに済んでいるわけかな。
「2人ともストップ!私だけ置いてけぼりだよ!可哀想!志東さん!何してるの!」
六体目の雪だるまを作成していたモルに諭されてしまった。
「いや、すみません」
「ふっふーん、ちゃんと謝ったから許してあげるわ」
いつの間に僕は、ディアベルさんに謝ったんですかね。
モルに謝ったつもりが、……まあ、許して貰えたらならそれでいいか。
それが何であれ、僕は他人に許されることが好きな
「ディアベルさん、初めまして、私はモル」
「ほいほい、初めましてね、モル」
「モル、人見知りじゃなかったんですか」
「うーん、だってこの人、頭おかしそうだから」
「失礼ね、私は至って普通よ」
普通、ね。
彼女が彼女自身のことをそういうのなら、そうなのだろう。
他人のふつうを否定できるほど、僕は素晴らしい人間じゃない。
「あら、兎さん」
「……ディアベルさん、ストップ、今噛みちぎった分は飲み込んでもらって構わないので、逃がしてあげてください」
「あっと、いけない」
捕まえて、確認して、食むまでの流れが早すぎて。止めようとした時には、彼女とその足元の雪は赤く滲んでいた。
彼女の笑みは、やはり正気の沙汰じゃなく。あまりにも凶悪だった。
「ダメね、薬打つわ」とその場に座り込んでアタッシュケースを開き、中から何かを取り出すディアベルさん。
モルはまた雪玉を転がし始めて、そんな平和な光景に異様な感覚を覚えつつ僕は欠伸をかみ殺した。
「それ注射器なんですね」
「ええ、腕に押すだけで簡単に服用できるのよ、スタンプみたいなイメージね」
そう言いながらそれを見せてくれるディアベルさんは、華やかに笑っていて。そして、その注射器を好奇の目で見つめるモルを僕は不安に思いながら眺めていた。
欲しいとか言い出さないだろうか、今のうちに断る理由を考えようか。
と、注射器を見つめていたモルが何かに気づいたようだ。
「その
「これを作ってる会社のロゴね、作ってるのは武器だけだと思ってたんだけどね、他にもいろいろやってるみたい」
「武器?」
「見たことない?結構メジャーなはずなんだけど」
「僕らが使ってるのは大抵がカラス製の武器ですからね」
「へぇー」
一通り話終えたディアベルさんは、注射器を自らの腕に打った。
依然として笑を浮かべるディアベルさんの青緑色の目は赤く充血していて、ゆっくりと呼吸が遅く、深くなっていって。僕の腕を掴み引き寄せて。
そのまま。
僕の首を、噛みちぎっ────
「やめて」
「……あっと、いっけない、危なかったわ」
とっさの判断で剣を抜き、僕の首の代わりに刃をディアベルさんに噛ませたモルのおかげで。なんとか事なきを得た。
どうやら、薬の症状が前あった時よりも酷くなっているらしい。
先程、僕がかみ殺してしまったあくびが祟ったのだろうか。
何はともあれ僕は殺されなかったし、いい教訓も得た。
ああいう怪しい薬は、やっぱり使うもんじゃあないな。
何を思ってかは自分でも分からないが、僕はディアベルさんを、見つめていた。
「なに?志東もいる?」
「ちなみに、何の薬ですか」
「私が普段使ってるやつよ、灰結晶の」
「じゃあ、丁重にお断りさせていただきます」
「なんか腹立つわ」
ディアベルさんは注射器をアタッシュケースの中に戻して、両手を口に近づけて温めるように息を吹きかけた。
異常な状態の人間が、そういった普通の動作をしているのを見ると、なんだか不安になる。
不安というよりかは、不気味に思う。一緒かな。
「そういえば、なぜこんな所に」
「古城に行きたいんだけど、道に迷ったの」
「なら、こっち方向、僕たちがさっき来た方向を真っ直ぐ行けば、大丈夫だと思いますよ」
「志東は、帰らないのね」
「雪だるま、作らないとなので」
「この子で19体目!」
青い空に、雲がかかった。
冷たい風が、首筋を撫でた。
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