第六十一話『忘却』

 よお、あたしの名前はアリス。

 あたしには、嫌いな種類の人間がふたついる。


 ひとつは、自身の卑下を押し付ける人間。

 自分はこれが出来ないからダメだ、だからお前に任せる。到底自分にはこんなことは出来ないだろうお前はすごい、だから何も出来ない自分は必要ない。自分なんて全然ダメダメで何にもできない。


 知るかってんだ、黙れよ!

 出来ないから任せるだぁ?できねぇなら教えてやるよ!手伝ってやるよ!けど自分ですることを諦めんじゃねえよ!


 自分に出来なくて相手ができるからすごいなんて当たりめぇだろ!あたしだって殴るのは得意だが数学とか全然ぜんぜん出来ねぇわ!

 誰かにできて自分に出来ねぇことがあんのはあたりめぇだ、できる部分を才能ってんだよ、誰しもが才能ってのをそれぞれの形で持ってんだよ。だから、自分の出来ることから、自分の才能から逃げるなよ。

 最後のは以下同文!めんどくせぇ!


 んで!1番嫌ぇなのは、それをわざとやってる奴だよ。だからあたしは、あの殺戮野郎のクソガキは嫌いだね。

 


 そんでもうひとつはな。

 自分が人間ってぇのを忘れちまってる奴だ。

 それが今、あたしの隣に居る。




      〇




 暇になって、古城を出て、外で適当に徘徊してたら、そいつにたまたま会ったんだ。どうやら道に迷っているらしい。

 それで、あたしも気がついたんだ。


「やべ、帰り方わかんね」

「返して、私の期待を返して、利子をつけてね」

「知らねぇよ、フウラが勝手に期待してたんだろうがよぉ」

「ディアベルね」

「ディアベル」


 焦げ茶色のくせ毛を肩まで伸ばしてて、死んだ魚の目が発酵したみたいな青緑色の瞳が、よくわからんが輝いているように見えて不気味。

 んで、ロングコートを着て、レザーのアタッシュケースを両手で提げてる。


「そのケースの中に地図とか入ってねーの?」

「見てみるわね、あれま、思った通り地図はないわね、あったらとっくに見てるけどね」

「……たしかに」


 開かれたアタッシュケースの中には、薬品と注射器が几帳面に並べられ、カラフルな液体がキラキラと太陽に照らされている。

 その中には白い皿とナイフとフォーク、真空パックに詰められた赤い肉もあるが。ほとんどは今言った薬品だの注射器だのが多い。


「んお、これすげー」

「雪だるま?」

「くっそでけぇな」

「良いわね、雪だるま、よし、私も作るか」

「まじで?」


 言うが早いか、ディアベルは雪玉を転がして体を作り始めた。

 辺りを見ると、見つけた大きい雪だるま以外にも、様々な雪だるまがそこら辺に放置されている。

 あたしは、「これ借りるな」と返事が返ってこないのをいい事にアタッシュケースを敷いて木にもたれかかって煙草に火をつけた。


「あのさ」

「なに?」

「フウラってさ」

「ディアベル」

「ディアベルってさ、猫と仲直りしたわけ?」

「……?」


 ディアベルは微笑んで、首を傾げた。瞳は輝いていた。

 森の木々も白く、地面も眩しい程の白に覆われて。

 瞳が輝いている。輝きは零れ落ちそうな程に、笑みは崩れ落ちそうな様に。


「……いや、やっぱ何でもねぇわ」

「じゃあ、聞きたいことは無いのね」

「んっとな、あの薬、まだ使ってんのか」

「……必要な時だけね」

「あれってさ、黒灰と関係ねぇの?」

「ないでしょ、黒灰は自然の産物なんでしょ?私に作れるのは、お薬だけだから」


 ディアベルは、既存の薬品であれば、必ず再現ができる。彼女は、用途に合った薬を、必要に応じて作り出すことが出来る。

 もちろん、材料があればの話。


「そっか、ともかく、もうあんま使わねぇようにしとけよ、お前もあの猫みてぇになるぞ、もう成ってるかもしれねぇけど」

「そうかしら?私は至って普通だと思うんだけど」

「あっそ」


 と、ディアベルの身体の半分くらいの大きさになった雪玉に、一匹の兎が近づいてきた。

 人に慣れているようだ、こちらを警戒している様子はない。

 それを、その信頼を裏切るように、ディアベルは兎を片手で掴んだ。


「良いわね、うさぎの肉も、私は好きよ?」

「生のまま食おうとすんなよ」

「美味しいわよ?兎の踊り食い」

「んな、魚みたいな」

「魚はいいのに、うさぎはダメなのね」


 兎は擦り付けられる狂気に、白い吐息にまじる生血に、肉を食いちぎる為の八重歯に。ようやく、死を知覚して。

 必死にもがいた。そんな姿が、哀れに思えて。


「ほら、あれだぞ、ここでディアベルが食うと、せっかく白いのに赤くなるぞ」

「たしかに、それはダメね、……ほら行きなさい、もう捕まっちゃダメよー」


 文字通り魔の手から開放された兎は、一目散に茂みへと消えていった。


「捕まえたのお前だけどな」

「てへぺろ」

「うっざ」


 まだ、忘れていないようで少し安心した。

 けど、時間の問題だと思う。

 その時まで、あたしは。

 こいつの友で居てやろうと思う。

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