第07回 自身の、「正しさ」を求める根っこはどこにあるか
前回の「正しさ」ってなんぞ、という話の続きと言えば続きです。
私は別段自分のことを「正しい」とも「誠実」とも「立派」とも思っていません。
それでも「正しさ」を求めてしまいがち。
何故か。
色々考えてみると、ウン十年前、小学校や中学校の頃まで遡ります。
私は分類するなら「いい子」の方に属するタイプの子供ではありましたが、子供なりの「残酷さ」や「冷徹さ」、あるいは「排斥されることへの恐れ」を持ち合わせた「ズルい」子供でした。
いじめられていた、と書きましたが、逆にいじめ(クラス総出のヤツ)に加担したこともありますし、親友――だと思っていた。向こうがどうかは知りません――が中学の時にいじめられていた時、自分に矛先が向くことを怖れて、何もしなかったこともあります。彼は必然の流れでもって登校拒否になりました。私なんかよりずっと賢く、利発だった彼に、私はファミコンのソフトを借りっぱなしで返しに行くこともできずにいます。
だから――、なのかどうかはわかりません。
今頃になって回想して、ただ理由をこじつけているだけなのかもしれません。
自分が「正しく」あろうとするのは、過去の自分が「正しくなかった」からなのかも知れないなあ、と思った。というか、思いこもうとしている? そんな話でした。
オチが無いどころか、ただただ暗いだけ。げんなりしますね。
次は明るい話をしたいです(できるとは言っていない)。
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