第5話 役作り
12月。
かなでは白紙のノートに様々な台詞を書き記していた。
あの声はタブレット端末にインストールして、電車の中や入浴剤中でも聴いていた。
『ママ』のスマートフォンも預かって、動画や写真の声や、生きていた景色も頭に叩き込んだ。
しかし、のめり込む程にかなでは憂鬱になり、疑問や不安が睡眠時間を奪っていく。
単なる声真似。
それではいけないと感じながらも、かなでは術を知らなかった。
一方、矢島はとても協力的だった。
稽古には嫌な顔もせずに付き合ってくれた。
言葉使いやイントネーションの指摘。
『あははー』と笑う彼女の癖や、言葉の区切りで軽く息を吸い込むわずかの間等々を、演出家さながらに指導してくれた。
それでもかなでの不安は募って、ある時とうとう泣き出してしまった。
矢島の胸に顔を埋めると、逞しい鼓動が肌に伝わって、不思議と『生』を実感した。
その日の夜はぐっすりと眠りにつくことが出来た。
翌日。
ノートを片手に、かなでは野沢の元を訪れていた。
心の闇を聞いて欲しい。それだけの一心でー。
「はい~銀杏お待ちどおさま~」
炭火とタバコの煙の充満する焼き鳥屋のカウンターに、かなではちょこんと座らされていた。
野沢に相談しようと事務所を訪ねてすぐさま、強引に連れて来られた店内は年末とあって客でごった返していた。
野沢は相変わらず煙草を吹かしながら。
「カワとカシラ、塩でお願い。あ、あとホッピー」
と、上機嫌に注文をしていく。
かなでの目の前には山盛りの焼き鳥がまだ残っていた。
「で、なんだっけ?」
野沢は生ビールを飲み干して言った。
かなでは持参したノートを取り出しながら。
「ですから、ちょっと行き詰まってるんです」
と、それを野沢に差し出した。
「行き詰まっちゃったの?」
野沢はノートをパラパラとめくりながら呟いた。
かなでも生ビールを飲み干した。久々のアルコールでからだが火照っている。
帰ったら矢島に謝らなくちゃいけないと、自分の決断を少し後悔していた。
「はいっ」
野沢はノートをかなでに返して銀杏を頬張っている。かなでは頭に来て。
「見てないですよね!?」
と冷たく言った。
野沢は豪快に笑った。
客が一斉にこちらを振り返る。
無理もない。アニメでよく耳にする笑い声と全く同じなのだから。
かなでは前から野沢に聞いてみたかった質問を、酒の力を借りてぶつけた。
「野沢さんは、なんで声優を引退しちゃったんですか?」
「俺?」
「他に誰もいないですよね」
野沢は愉快そうにまた笑った。
こうしたやり取りは久方振りで、かなでは嬉しくなった。
「あんのねえ」
「はい」
「俺、声優じゃないんだよね」
「はい?」
「俺さ、あんのさあ」
かなでは笑った。
頬を赤らめた野沢の口ぶりがやけに面白かった。
ホッピーがカウンターに差し出されると、ふたりでもう一度乾杯をして飲み始めた。焼き鳥はすっかり冷めていたが気にはならなかった。
ほろ酔いの野沢は深呼吸をして語り出した。
「あんのね望月。俺、声優である前に役者なんだなあ。俳優って言えばカッコイイけどさあ。ああ、役者ってよりもアレだな。舞台人ってヤツかい?」
「舞台人?」
「そ、そ、そ、良いこと言う!」
「野沢さんが言ったんですよ」
「ああっ! そっかい?」
野沢はまた笑った。
かなでも一緒に笑った。
客の目は気にならなくなっていた。
「んでな望月! 声っうのはな。バレやすいんだぞ。上っ面てのがな、すんぐに出ちまう。分かるだろ? うん。望月なら分かる!」
かなでは自分の心を見透かされているような気になった。
野沢はかなでの肩を抱いて声を張り上げた。
「声優である前に役者であれっ!!」
店内は一瞬静まり返ったものの、一部の酔った客からは拍手喝采が湧き起こっていた。
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