第3話 矢島辰幸の苦悩

『ユニオン リープル』


自由な結び付きと言えば聞こえは良いが、世間では事実婚、または内縁関係と呼ばれている。

矢島がかなでと暮らし始めてかれこれ5年の歳月が流れ、付き合い当初の意思は揺らぎ始めていた。

価値観ーそれとも世間体を気にしているのだろうか。今の矢島には答えは見つからない。

かなではよく。


「落ち着いたら籍を入れたらいいと思うの」


と言ってくれてはいるが、その時期がいったいいつ頃で、何がキッカケとなるのだろうか?


川越市駅から徒歩15分の賃貸マンション。

家賃は12万円と割高だ。

それでも3LDK、ルーフバルコニー付きの我が家に矢島は満足していた。

家賃はふたりで折半。勿論、光熱費も通信費も同じ様にしていた。

介護福祉士として働く前は、小劇場を中心に舞台俳優として活動していた矢島だが、その経験は現在も確実に活かされていた。

ホームで催しものがある度に、矢島は司会を任されて場を盛り立てた。

今でも思う事がある。


『もう少し、舞台やってたらなんとかなったのかな?』


と。

矢島は冷蔵庫を開けて厚揚げと水菜、それになめこのパックを取り出した。

時刻はすでに20時をまわっている。

夕刻にかなでから連絡は入っていた。

帰りが遅くなると。

我が家の決まりごとー夕食の担当は早くに帰宅した方が余り物でご飯をつくる。余計な物は買わない。外食は控えることーを守りながら、矢島の脳裏に幼馴染の涼子の言葉が浮かんだ。

数日前の同窓会での会話を思い出しながら、矢島は水菜となめこの味噌汁を作り始めた。


『あたしね、実は矢島君タイプだったんだから!』


酒に酔った涼子は、矢島の隣に座ると太腿を密着させながら笑っていた。


『結婚しないの? だってそれってただの内縁関係じゃない。なんか変だよ。もしかして奥さん、じゃなくて彼女? 他に男がいるんじゃない? だってココ日本だよ。あーあ。あたしだったらすぐに籍入れちゃうなあ。だって好きな人なんだもん』


矢島は厚揚げを炒めながら溜め息をついた。

パートナーと言う言葉が、こんなにも周りに理解されない現実がイヤでならなかった。

玄関の扉が開いて、かなでが謝りながら矢島に近付く。


「ただいま~」


ちょっとした罪悪感に苛まれ、矢島はかなでの顔を見れないでいた。

するとかなでは矢島に腕をからませながら言った。


「たっちゃん。厚揚げ焦げてるよ~」


かなではこのカウンターキッチンが大のお気に入りで、互いの仕事が休みの前日には、シェイカーを片手にカクテルを作ってくれた。

マタドールやグラスホッパー。

矢島はその味を忘れかけている事に淋しさを覚えていた。

かなでは矢島の手料理を「おいしい」と言いながら食べてくれる。

なめこと水菜の味噌汁。

焦げを落とした厚揚げの生姜焼き。

焼いただけのランチョンミート。

それらをペロリと平らげて後片付けを始める。

帰りが遅くなった方が皿洗い担当。これも決まりごとのひとつだった。

かなでは食器を洗いながら、テーブルでスマホをいじっている矢島に話しかけた。


「たっちゃん、あのさあ」


「ん?」


「新しい仕事もらったんだけど聞いてくれる?」


「うん。どんな仕事?」


かなでは一通り洗い物を終えると、矢島に一枚の企画書を見せた。

矢島は驚いた顔をして呟くように言った。


「重っ、大丈夫なの? これ?」


「もう引き受けちゃって」


「台本とかあんの?」


「もちろん」


「だよね」


かなではバックからUSBメモリーを取り出した。


「そんでね。これにお母さんが残した声が入ってるんだって。たっちゃん、一緒に聴こうよ」


矢島は乗り気ではなかったものの、今にも泣きそうなかなでの顔を見ると断れなくなってしまった。


「寝ながらでもいい?」


その一言に、かなでは笑顔で頷いていた。


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