第2話 望月かなでの苦悩
結婚式の司会を終えると、必ず甘いものが食べたくなる。
これは昔から変わらない。
『声優タレント』として活躍ーといっても望月かなでという名前を知っているのは一部のファンだけで、タレント名鑑に掲載されていた時期も数年だったのだがー当時も渋谷のスタジオ近くの喫茶店で、チョコバナナクレープを頬張るのが仕事終わりの日課だった。
レギュラー番組なし。
あたり役もなし。
オーディションに受かってもガヤばかりでの出演。
注目されるのは売り出し中の若手声優。
かなではアイドル志望ではなく、純粋に『声優』という職業に憧れていた。
声だけで、姿を見せないその様がとにかくカッコイイと感じていたのだ。
新宿の声優養成所を経て、事務所に所属してはみたものの10年足らずで辞めてしまった。
現在は川越の小さなイベント事務所で、司会業やナレーションの仕事を細々とこなしている。
こちらの方が遥かにやり甲斐があった。
川越の駅前の和菓子屋さんでみたらし団子を頬張っている時に、かなでのスマートフォンに事務所から連絡が入った。
『帰宅するついでに事務所に来れる?』
と。
いつもながらの遠回しなメールに腹をたてながらも返信する。
『わかりました』
ついでではなかった。
事務所は自宅と正反対の川越市駅まで行かなくてはならない。
その面倒臭さに、かなでは溜息をついていた。
こじんまりとした事務所の応接室は煙草の煙がもうもうと立ち込めていて、灰皿にはPEACEの吸い殻が山の様に積み上がっていた。
だからここへ来るのはイヤなんだ。
かなではそう思いながらも、社長の野沢の表情を観察しながら話を聞いていた。
「望月さあ。今年で幾つになった?」
「三十路過ぎましたよ」
「そっかそっか」
白髪の野沢の右の口角だけがあがっていた。
この表情の時はいつも面倒な仕事の話だ。
「あんのね」
野沢はかなでの顔を覗き込んだ。
ベテラン声優として名高いその声は、スピーカー越しには聞き惚れてしまう程美しいものであっても、日常ではただのボソボソかすれ気味ボイスだった。
かなでは自分から話を切り出した。
「なんですか? あまり乗り気じゃないみたいですけど」
「いやいやいや、そっかい?」
「顔に出てますよ」
野沢は豪快に笑うと、一枚の企画書をかなでに差し出した。
その内容にかなでは驚いた。
『亡くなった母親の声を、息子に聞かせて下さい』
野沢は煙草をふかしながら言った。
「やり甲斐はあると思うんだがね。どっかな?」
「あたしがやるんですか?」
「だってご指名だもん」
「なんで!?」
かなでは思わず咳き込んでしまった。
野沢は煙草を消しながら淡々と話しはじめた。
「ほら、スーパーミヨシ。やったろ? あそこのオーナーとは古い付き合いなんだよ。望月の声が死んだ嫁の声に似てんだって客がいてね。んで、店長からオーナー、んでココって訳」
かなでは言葉が見つからなかった。
荷が重過ぎるのではないかと不安になっていた。
「アフレコでいいんだと。クリスマスイヴにさ、サンタさんのプレゼントってな具合にさ! やらない? 手当もつけるからさ」
野沢の笑い声が響き渡る。
かなではイヤとは言えなかった。
家計の足しに少しでもなれば良いではないか。
夫婦共働きの現実は、やじろべえみたいに不安定なのだから。
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