秋夜の逢瀬

きさらぎみやび

秋夜の逢瀬

 夜にジョギングを始めたのは、だんだんと気温も下がり涼しくなってきて走りやすいかな、とふと思ったからだった。別に深い理由があるわけでもない。


 勤務時間がゆるやかな今の会社は宵っ張りの僕にとってはありがたかった。加えてリモートワークで重要な会議の時以外は自分の好きなように勤務時間の調整ができたので、昼過ぎから仕事を始めて、パソコンを立ち下げるのは大体夜の11時を過ぎてから。一日に一回くらいは家を出ないと生活にメリハリも無くなってしまうと感じられたから、夜のジョギングはちょうどよい気分転換になりそうだった。


 宅配弁当の手軽な夕飯を済ませると、ハーフパンツとTシャツ姿に着替えて下駄箱にしまい込んだままになっていたランニングシューズを引っ張り出す。


 アパートを出て、さあどちらに向かおうかと思った時、僕の足が向いたのは町はずれの方角だった。進むほどに人の気配は消えていき、いつしかすれ違う人も車も見かけなくなった。


 たったったった。


 どこからか聞こえてくる秋の虫の囁き声を耳にしながら、誰もいない夜道をあてもなく走る。


 道端に立ちすくんでいる街路灯はメンテナンスがされていないのか、ときおり光を不規則にちらつかせて、まるで呼吸をしているようだった。


 世界に一人取り残されたような錯覚。それは決して悪くない感覚だった。


 さてどこまで走ろうか。行く手にこんもりとした林が見える。近づいてみるとそれは小さな神社だった。

 この辺りで折り返そうかな。

 息を整えながら鳥居をくぐり、常夜灯のぼんやりとした明かりを頼りに拝殿の前に立つ。


 財布を持ってこなかったので、賽銭も入れずに小さく柏手を打ってお参りする。


 背後に気配を感じた。


 振り向くと、常夜灯の脇に女性が一人佇んでいる。


 こちらに気がついたのか、小さく会釈をしてから「ごめんなさい、驚かせてしまったかしら」と告げる。僕は首を振りながら、「そうですね、こんな時間に人がいるとは思わなかったので少しびっくりしました」と答える。彼女は申し訳なさそうにこちらに告げた。


「ごめんなさいね。私は夜しか出歩けないものだから」

「なんですかそれ。吸血鬼かなんかですか」

「そうね。そうかもしれないわね」


 そう言って笑った口元には少し目立つ八重歯が覗いていて、本当に吸血鬼なんじゃないかと思わせる。黒目がちの瞳は月の光を反射して、ぬるりと光っていた。



 なにかの病気なのか、それとも他に事情があるのか、しかし僕は真実など別に知りたくもなかったから、それ以上彼女に尋ねることはしなかった。


 その日以来、僕が夜中にジョギングがてらに神社に行くと、決まってその女性が僕を待っていた。会ったところで深く話するわけでもない。ただ少し立ち話をするくらいだ。しかしいつしか僕はそれが楽しみになっていた。


 夜にだけ行われる逢瀬。


 秘密の儀式のようなそれは、静寂の支配する秋の夜長にこそふさわしい。


 魅入られているのかもしれないな。

 そう思いながらまた今日も僕は皓皓と月が照らす夜道を走る。

 あの神社まで。彼女のもとへ。

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