5F マシンダンサー 5

「ようこそ同志〜、あちきの城へ! 狭いけど入って入って! 椅子は、あぁ今作んから」


 昼休み。友人と昼食イベンツッ‼︎ 踊る心冷めやらず、ずみー氏に連れられ辿り着いた美術室。の横の準備室。鍵も掛けられていない扉が開け放たれたと共に鼻を擽る油絵具の匂いに少し食欲が失せた。


 四人目を手に入れ一先ず安心の放課後以上に楽しみであったのだが、これは酷い。絵具を乗せたパレットや筆、ペインティングナイフ、紙が至る所に散らばっており、椅子の上に置かれたパレットを手近の机の上に放り置くと、ずみー氏に椅子を渡されるので受け取り座って傍に三味線を置く。


「男子高校生のお客様第一号だぜ同志は! どうよあちきの城の居心地は!」

「絵具のプールに沈んでる気分ですな。昼食イベントは嬉しいですが、弁当は後で食べるとしましょうか」

「言うね〜」

「しかし第一号とは、他の美術部員の方々は来た事ないので?」

「あちき幽霊部員だから。時間足りねえ時だけ準備室の方借りてんの。それに他の部員あちきいる時は準備室には滅多な事じゃ入って来ないし……んでどうよ?」


 少し寂しそうな表情を浮かべたずみー氏に促され、今まさに絵を描いていましたとばかりにしっちゃかめっちゃかな準備室の窓際に置かれている画架イーゼルに固定された画布キャンバスを見る。


 鈍色を浮かべる重厚的な折り重なった城壁とそこから立ち昇る蒸気の狼煙。浮かぶ『雲舟』の群れ。描かれた城塞都市の中央に足された金色は琥珀色の姫を表しているのだろう。そんな都市を彩るように足された数多の色。宝石を散りばめたような風景画に思わず目を見開く。


「いやっ、これはちょっと想像以上で、凄いとしか言えそうにないのですが……」

「thanks! …………でも今あちきが欲しいのは賞賛じゃねえんだよねん。同志。あちきと感性近そうな同志なら多分すぐこの絵の欠点に気付く。遠慮なく言ってくれい」


 椅子に座りぶらぶら足を動かすずみー氏から目を外し、油絵具で描かれた城塞都市へと目を戻す。見事で鮮やか。一目見た感想は間違いなくそう。ただ、ずみー氏が『欠点』と言うからには、ずみー氏自身既に気付いている何かがある。それはきっと構図や描くと選んだ物などではない。


 絵を眺めて目を泳がせ、数多の色を瞳で掬い上げてポツリと。


「……これ、色が多過ぎますな」


 見事だ。それは間違いない。色使いのバランスもよく、城塞都市の重厚感も確かに感じられる。感じられるが弱いのだ。散らばる宝石達がどれも埋もれないように気を遣い過ぎていて、バランスはいいがどの色の強みも薄れている。城塞都市の重厚感も、姫君を表す銀色も、もっと鮮やかになるはずだ。


 ぷふぅっと強く一度息を吐き出し、ずみー氏は動かしていた足をぴたりと止めた。


「でしょ。色を減らした方が鮮烈な絵になるんだよ。城塞都市の鈍色。姫君の金色。それを覆う白色。隙間を埋める赤と青。でもね同志、それだと少し寂しいんだよね」


 大きく息を吸って息を吐く。口の中に滑り込んで来る油絵具とずみー氏の匂い。それだけ。この準備室にはきっとずみー氏が絵を描き始めてから、それがしが入るまで誰も立ち入っていない。


「……美術室と準備室に鍵が掛けられていないのは、来客を待っているんですかな?」

「まぁね」

「他の美術部員?」

「……まぁね〜」


 間延びした語尾と共にずみー氏は一度伸びをして、手近の机に置かれていたスケッチブックを取るとパラパラと捲りながら顎をしゃくってくる。


「同志、そろそろ三味線弾いてよ。頼むぜ」


 気分でも変えたいのか、スケッチブックにペンを走らせるずみー氏に目を細め、脇に置いていた三味線へと手を伸ばし包みを解いて共に包んでいたばちを握った。


 激しい曲は今は肌に合わない。後で誰かさんに怒られるの覚悟でばちで弦を弾く。押さえの手で弦を擦り揺らし、ばちを柔らかく掬い押さえる。ゆっくり、ゆっくり、水滴が滴り落ちるように。


「……入部してからすぐの頃はそこそこ来てくれたんだけどね〜、何度か絵を見せ合ってる内に相手の顔が引き攣ってるのに気付いたよ。血筋、才能、陰口は聞き飽きたけど、同じ絵描きなんだからもう少し語り合いたいじゃん?」


 チンチリレン、トテトテトッ。

 チンチリレン、トテトテトッ。

 トトン、チリリンッ。チリリ、チリリッ。


 震える弦の音にずみー氏の声が混じる。その声の残響を間延びさせるように擦り下げる。


 扉はいつも開かれているも、それを越えてやって来る者はなし。ずみー氏はいつも待っている。きっと始めから幽霊部員になっていた訳ではない。ただ、埋まらない絶対の差がずみー氏を遠去けた。血筋、才能、その溝を跳ばなくていい為の理由は多く転がっている。


「……ギャル氏やクララ様もそうなんですかね」


 圧倒的な技量、圧倒的な才能。素人目から見ても分かる差。いつも待っているのだ。ずみー氏が描いた絵のように多くの宝石達を。例え色が薄まる事になろうと。ギャル氏は多分、一度それを諦めた。クララ様は、未だ諦められないのだろう。ずみー氏もまだ諦めてはいない。


「……あちき同志の三味線好きだな。理屈っぽいのに音は蒸気のように掴み所がなくて。才能あんじゃね?」

「……それがしのこれは逃避の為の努力ですからなぁ。痛いのは嫌で楽器に逃げた」

「異世界ではバリバリ戦ってたじゃん。笑えるぜ。自分の為には戦えない?」

「そのようで。己が懸かった戦いには利を見出せずどうにも体が動かない。誰かに己を賭けた方がそれがしは動けるらしい」

「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたりってか?」


 ずみー氏の言葉に小さく笑い、一度強く弦を弾く。


 肥前国佐賀鍋島藩士、山本常朝が口述し、後にそれが筆録された『葉隠』の有名な一節。『武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり』。


 自己を中心とした利害に基づく判断からの行動は、結局のところ誤った行動となってしまう。そのため、本当に最良の行動ができる心境とは、自己を捨てたところにあると言う。


 どれだけ望んでいなかろうが、爺様や親父殿に叩き込まれた教えは、どうにも治せない口癖と同じくそれがしの血肉となって強く精神に結び付いているらしい。おかげで侍になる気はないが、異世界で騎士称号なぞを貰ってしまった。親父殿に言ったら笑うだろうか? いや、「騎士ではなく侍になれ」と言うだろうなぁ。


 自嘲しながら弦をもう一度強く弾けば、「できたぜ」と小さく呟いてずみー氏がスケッチブックをそれがしの方へと向けて来る。


 描かれているそれは、歯車の詰まった人の頭と、同じく関節部分にある大きな歯車。細い線(弦だろうか?)が歯車同士を繋いでおり、胸の部分だけががらんどう。『ソレガシ』と掲げられた代目を見つめて弦を弾いていたばちの手を止める。


「あちきから見た同志はこう。理路整然と頭と体を動かしてんけど、心がどこにあるのかは分からねえや。体を動かす為の筋肉も心の臓器と同じで蒸気のように掴み所がない。同志の音とおんなじだぜ」


 ずみー氏からスケッチブックを受け取り、一度指で描かれた絡繰人間の空っぽな胸を指で撫ぜる。何色も感じさせない透明な色を。


「そうか……これがそれがしの『芯』か」

「あちきには同志の心は分かんねえけど、セイレーンには分かるかな? ちっと悔しいけど」

「かもしれませんなっ、ぷししっ、でも今この瞬間だけはきっと、ずみー氏の方が分かるでしょうよ!」


 スケッチブックをずみー氏に返し、ばちを握り直して素早く激しく弦を叩く。誰かの耳に拾われて人が寄って来ようが気にせずに。

 

 チチチチチリトンッ。

 トテトトチリトトチリトテチンッ。


 寧ろ来い誰か。


 入柿いりがきすみかの城。ずみー氏だけが居座る城の寂しさを埋める為に音を並べる。心が何色にも染まっていないなら、きっと何色にも染められる。染める事が、塗り重ねる事ができる。他でもない友人の目から見ても透明であるのなら、そんな友人の望む色を、それがしの望む色を塗り重ねよう。


 今この時間はずみー氏の友人として、放課後になれば、今はギャル氏が頼ってくれる機械仕掛けの踊り子マシンダンサーとして。


 芯は得た。動く為に必要な心は欲しいものを当て嵌める。ばちで強く弦を叩き、抑えの手で弦の振動を掴み抑えた。


 演奏は終わり。


 ずみー氏の気遣いのおかげで今一度心は決まった。楽しむだけでは足りない。本気も本気。ずみー氏はきっとある言葉を欲している。友人の為に。


「絵を見せてくれて感謝ですぞ同志。『絶対』勝ちましょうともクララ様の為に。だから心配せずに心置きなく絵を描いてください」

「ん。あちきには無理だからさ。頼りにしてるぜ同志!あちきも絵で『絶対』世界一を目指すぜ!……んで? なんでシーズーがクララ様?」

「…………べんべん」


 笑うずみー氏と真顔で向き合い、いそいそと三味線を片付ける。弁当を手に美術室を後にした。さあ待つのは放課後、ダンスの時間だ。背に引っ付いて来るずみー氏を引き摺りながら教室を目指す。


「同志〜、なんでシーズーがクララ様なんだぜ〜?」


 昼休み、弁当は食い損ねた。

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