五、 転生




 露見したがゆえ、という訳でもあるまいが、地につける脚をもたぬ体は、すそを引きずることもめた様子であった。

 目と耳が腐れ落ちた首と、両臂りょううで両脚りょうあしそして陽根を失った胴のみの体が、徐々に闇に浮いてゆく。


「刃を握る儈子手しょけいかんさえも色を失い、八太刀たち目を振るったときには太刀筋がはずれる始末でございました。


 私の首をり落とすはずであった刃は、わずかにれてくびの骨を砕く有様。

 それでもくびこわれ、襤褸ぼろ布のごとく無様ぶざまに伸びたその先にぶらさがる頭が、いまだに目を剥き、悲鳴を上げ続けているのを目にして――。

 さしもの儈子手も、圍観やじうまどもの後を追うように遁走とんそうしたものでございました。


 皮と筋とのみで胴とつながった首がぶらりぶらりと揺れるあのながめを。骨を砕かれ肉の千切ちぎれる頚の痛みが、血とともに首へと流れ注ぐあの苦しみを。

 どう言い表せばよいものでございましょうか」



 くつくつと笑う首が、長く伸びてゆく。

 否、中身の潰れ、かろうじて残った首の皮が、下へと伸びてゆく。

 三尺も伸びたあたりか、古革を引きちぎるのによく似た音が響き、胴体は床へと落下する。

 崩れた肉と朽ちた骨がつぶれる音が響き、床からは濃密な腐臭と屍臭とが立ちのぼってくる。



「しかれど、如何いかなる外道げどうの理が働いたものでございましょうか。

 それとも、人の体が死に染まる時は、皆このような感覚をるものでございましょうか。


 首の千切れゆく痛み、切りがれた胴の痛み、ち落とされた膝の痛み。

 否、胴より削り落とされた肉片の痛み、いまだ血溜ちだまりにのたうつ脚の痛み。

 それどころか腐れ落ちた両腕・両眼・両耳の痛みまでもが。

 全身をおかし、魂魄こんぱくをもむしばむ苦しみが――。

 徐々に熱気へと変じ、それがさらに酒精のごとき酔いへと転じたかと思えば、裂かれた肉とこぼれゆく血をき立たせる快楽となったのでございます。


 骨肉を刻みさいなんだ斬傷が、この世ならざる精気と化して、むくろにも等しきはずの身をうごめかせたかのように。

 この快楽は、かつて幼き日、あの廟の中にて、聖なる鎌で『浄身チァンシェン』されたときに味わった感覚であると思い出しながら、魂すらも溶けてゆきました」



 先ほど、その話をしたときと同じく、宦官かんがんは、醜悪にくねった。

 首から下はすでに無いが、暗闇に浮かぶ首が、まるで柔らかいまりのようにぐねぐねと蠢いているのだった。


目醒めざめたときには、このびょうのなかにおりました。


 菜市口ツァイシーコウ法場けいじょうから、都の北端に位置するこの廟まで、どこをどうして、この有様で辿たどり着いたものやらは、しかとは知れませぬが。

 刻限もまた今と同じく、このような夜中でしたが、破れた戸口からは秋の風が吹きこみ、ひどく冷える夜にございました。


 しかし、首の下からは、熱酒でもきあがるかのような熱気と、ともに立ちのぼるあの快楽が、床に転がるこのしなびた頭をおかしてゆくのでございます。

 その奔流にあおられもてあそばれるかのように、首は、否、私は冷たい床から離れ、花の薫りに誘われる羽虫のごとくに、廟の奥へ、奥へと宙を舞ってゆくのでございました」



 その有様を実演するかのように、小さな首は、蠢き揺らぎながら、闇の奥へと漂ってゆく。


 どこまでゆくのか。この小さな廃廟、もう奥の奥まで辿たどり着いていても

おかしくないほどに進んできたはずだが。

 飛ぶ首を見失うまいとして、灯りを掲げたとき、周囲の闇の異様さに気づく。


 小さな馬燈カンテラの光は、私の手元を照らし、先を飛ぶ首をおぼろに伺わせているだけだった。

 天井はおろか、廟の壁も、壁面を埋めていた鎌の刃も、足元の床すら、虚空のごとき暗黒に呑まれていた。



「その熱気と快楽の奔流はこの、本堂の奥にて渦巻いていたのでございます」


 不意に、首はゆるやかにその動きを留め、くるりとこちらに面を向けた。

 虚ろな眼窩が、そして口腔がわらっている。

 そのあなのごとき口のなかで、舌がちろり、ちろりと踊っている。

 あたかも蛇のそれのように。

 細く、長く、尖り、そして毒にれた舌。



「そこにおわした女神様の御姿おすがたは、あの時と寸分たがわぬ威容と、そして美貌を保っておられました。

 大河に流れる一葉のごとくに、私はただその濤波おおなみの前にひしがれ、震えることしかできなかったものでございました」


 より多くを語ろうと務めるように、舌はますます激しく踊る。

 幾本も、幾本も。

 増えてゆく舌の中には、眼窩からおどり出るもの、耳道から伸びているとおぼしいものすらも見受けられる。



「女神様は、そのような私に手を伸ばし、嬰児に慈悲をあたえる観音のごとくに、私めを抱擁してくださったのでございます」 



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