第10話 貘


 お風呂場で、貘と遭遇した僕は、このまま貘から話を聞き出したい気持ちと、この優雅なひと時をもう少し味わいたいなどという身勝手な理由を背景に、少し熱っぽいことにして、学校を入学以来初めて休んだ。


 学校に連絡するのは母親だ。母はどうやら僕のズル休みを見抜き、その場で小言を一つ、いや五つぐらい僕へ言い放ったが、ちゃんと学校へは連絡してくれた。


 親に甘えれるのは今のうちだけだから、甘えれるうちはしっかり甘えておこうと思っているが、勿論その恩返し、親孝行は、せめて十倍ぐらいにはして返そうと思っている。

 疑っている奴はいないと思うが、この気持ちに嘘偽りなんてものは断じて無い。目の前の貘、偽りの神、偽物の神へ誓ってもいい……。


 さてと……。


 時間もできた(つくった)ことだし、湯船でも溜めようか。朝から湯船……、あぁ、これはこれはシャワー以上にまた贅沢で、その行いは至高といえる。

 夜、おそらく皆が入るだろう時間帯で、一日の疲れを癒すために入る者、或いは作業的に、機械的に、儀式的に、淡々と風呂に入る者、様々いるが、朝、学校をズル休みし、皆が不承不承に学校へ赴く中、湯船に肩まで浸かり、鼻唄なんか口ずさんでしまおうとしている者は、おそらく世界中探しても、そんなには居ないだろう。


 これを至高と言わず何と言えるだろうか。こうなれば冷蔵庫からキンキンに冷えたコーラでも持ってこようか、この微少で軽々とした背徳感を感じさせる時間が何とも心地良い……。


 ——湯船に湯が入った。


 「貘、遠慮するな、お前も入れよ。家族風呂といこうぜ」


 「…………では」


 そう言うと貘は、驚くことに童子の姿へと変わった。目の前の出来事は理解に難かったが、先程まで貘のいた所に、貘の面影を残した童子が立っていることから、これがおそらく貘なんだろうとは思った。


 ——ちゃぽん……。


 「ふぅ、ごく…らく……」


 「ちゃぽん……、はいいけどお前誰だよ!」


 「そちは、見た目に反してミジンコ並の脳みそじゃったかの?吾輩じゃ、分かるだろう?」


 「贋神ってのは、大っきくなったり、小っさくなったり、人間みたくなったり、何にでも成れるのかよ!」


 「うるさいのぉ、優雅な時間が台無しじゃ……。そちが、入れって言ったのじゃ、浸かりやすい姿になるのは当たり前じゃろ」


 「当たり前なんだ……」


 「へーんしん、シュピ!、変化へんげというやつじゃ!今が人の世である以上、我々贋神にとっても人とコミュニケーションをとる上で、人の態があった方が便利なのじゃよ。変化と言うより……、この場合変態かの」


 「変態?」

 

 「まぁ、でもそうなると字面如何わしいので、やっぱり変身ぐらいにしとこうか」


 「もう、なんでもいいよお前が何になろうが。よくよく考えてみれば、今更そんな驚くことでも無かったわ。それより、予知夢がどうとかって、詳しく教えてくれよ」


 「うむ……貘、と言えば一般的に夢を食べる存在として人々に認識されとると思うが、その実、夢を司る存在というのが正しい。吾輩が見た夢を他人にみせるなんて、朝飯前という訳じゃ。そちらからしたら正夢となるかの」


 「正夢であれば気づかないのも無理はないか。でも、それで言うと八重城は一ヶ月後には死んでしまうってことだよな」


 「そうじゃ。吾輩もそちにただ予知夢をみせた訳でない」


 「だろうな。つまり、助けろってか?」


 「おぉ!吾輩の気持ちが分かったか」


 「分かったも何も、この話の流れだとそうだろ?知ってしまった以上何もしないなんて、まぁ確かに僕には出来ないが、なんでお前は八重城にそんなこだわるんだ?」


 「不憫での……、それに」


 「それに?」


 「それに、吾輩、今あの娘からしたらタダ飯食らいじゃからの。代金はほら、払わんとまずいじゃろ?」


 「何言ってんだよ、お前が八重城の悪夢を食べてるおかげで、あの子は助かってるだろ」


 「それは、吾輩の好物がたまたま悪夢だったってだけで、利害が一致しておった……してしまっていただけじゃ」


 「…………」


 ただ助けたいだけなら素直にそう言えばいいのに、偽物の神様も威厳を保つために、行動一つとっても理由、体裁が一応必要だということなんだろう。

 貘が悪い奴じゃないというのは、最初からなんとなく分かってはいたが、ここまで会話してみて、そのなんとなくは確信に変わっていった。


 「それで?八重城は何で死ぬんだ?」


 「…………ぶくぶくぶく」


 貘は、顔半分を湯船に浸かり水遊びを始めた。

 どういうつもりだ……?

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