第5話 贋神


 ——八重城よなが。


 髪色が紺がかっていて、肌は白く、瞳は透き通っている。睫毛は長く、鼻の筋がはっきりしていて、唇は薄い……。客観的に見て、顔立ちはとても綺麗だ。

 また、儚げで、透明で、貧弱そうで、孤独で……、近寄り難く、近くとコワく、果てに、近づかない。


 ——八重城よなが。


 今、僕の目の前に現れた女。思えば、という名前も、よろしくイメージ通りの女だった。

 まるで、明けることのない暗闇に囚われているような、深い夜を永遠と彷徨い、隣を誰かが通り過ぎたとしても、暗闇のせいでその存在に気付いていないような、それほどまでに周りに無関心を感じさせる女。


 何故、八重城はあそこまで、孤独に拘るんだろうか。聞けば、中学生時代、八重城は今ほど孤独でなかったそうだ。友達も一定数存在し、所謂、普通の女子中学生だったらしい。

 だが、八重城と同じ中学生だった人が言うには、彼女もまた僕と同じように、友達と高校で別れ、今高校で彼女と近かった人物はいないというのだ。

 その点において言えば、僕にも気持ちは分かる。今でこそ、見ル野という友人が出来たおかげで、それなりに楽しい毎日を送っているが、高校入学の事実に対して、それはそれは憂鬱な想いをしたものだ。


 それでも、そういった背景があったにせよ、客観的に見れば、八重城の変わり様は、不気味なほどだという。

 入学式以降、友達もいないのにあんな態度でいれば、孤独になるのも至極当然、火を見るより明らかである。


 ただ……、それだけの、同じクラスで、綺麗で、コワイ奴なだけなら、僕はそこまで八重城のことを気に止めていないだろう。

 否、それだけではないのだ。僕にとっては衝撃的な入学式の出来事、そこに居たはずの女、八重城よなが。

 その八重城が、今僕の前方を塞ぐように立ち塞がっている。


 ずっしりとまとわりついていた枷のせいで、重くなっていたはずの僕の両の足は、嘘のように軽くなっていた。

 これは、目の前に現れた八重城の影響によるものだろう。僕の意識は完全に彼女へ向けられてしまい、先程まであった病院への不安、恐怖が、頭からすっかり飛んでしまったことによるものに他ならない。


 僕は、一歩、一歩と、八重城へと距離を詰めていく。距離にして約十メートルに迫った時だった。

 そこにきて初めて僕は、八重城の後ろに立つモノの存在に気づき、頭が真っ白になった。


 ——文字通り、真っ白。


 だって、さっきまで居なかった。だからそこに居るはずもない。

 それに……それだけじゃないのだ。それはまさしく、居るはずも、視えるはずもないモノ。少なくとも僕が住んでいるこの世界には、居るはずのないモノ。


 僕は、八重城の後ろに存在する成人男性の背丈の四倍はありそうな大きなモノを、この世に存在するとは思えないモノを、この目で捉えていた。


 「そちよ」


 その巨体から発せられた言葉に、全身が震えた。


 「……喋るのかこれは」


 「……とは何とも無礼な奴じゃ。吾輩が視えているのじゃろ?驚かんでも良い、吾輩は唯の贋神がんしんにして、ばくであるのじゃから……、敬われることはあっても、呼ばわりされる覚えはないの」


 「がんしん……?何なんだ一体」


 「無論、吾輩はこの世界に古くから存在し、人々が伝え、敬い、畏れ、信じ、嘆き、想い、尊み、卑しみ、望み、絶望し、信仰たらしめ、そしてまた伝えられていったモノ。人々の心に巣食うているモノ。ゆえに、贋たる神にして神非るモノ。まぁ……この世界と共に歴史を紡いできたモノ……と、言えばイメージ湧くか?」


 「……分からん、でもとりあえず分かったことにする。この場合そうしないと次に進まなそうだし。じゃあ、教えてくれないか?なぜ貘は僕の目の前に現れたんだ?なぜ八重城と一緒にいるんだ?」


 当たり前の疑問だ。だんだんこの異様な光景にも慣れてきた。さっきから、僕と貘は、八重城の頭上を越えるように会話している。当の本人には、変わらず表情が無い。


 「まず一つ、この状況を整理するにあって、そちに言っておかねばならないことがある。それは、この娘の”言霊の加護”についてじゃ」


 あーーーったく。

 贋神やら、貘やら、言霊やら、普段の会話において登場することが無さそうなレアワードを次から次へと……、まぁでもこの貘は、これから話を整理すると言っているんだ。ここは素直に、話の腰を折らずに聞いておこうか。


 「……話は遡ること千五百年ほど前」


 「——待て待てストップ。……えーと、その話は、何年刻みで現在へ近づいてくるんでしょうね?こちらの都合で、大変恐縮なんだけれども、もう少し端的かつ簡潔に話してもらえると助かりますが……」


 「そうか。どうにも、時間を有限だとするそちらと違って、そこのとこ疎くての」


 ——貘は話を続けた。


 僕は、貘から聞いた八重城の過去について、少しの解釈を入れて整理することにした。


 〓


 八重城よながは、一般的な共働き夫婦の間に一人娘として生まれた。しかし、実はこの夫婦の先祖を辿っていくと、遠い昔に存在していた八重城神社の家系にいきあたる。

 神社自体は後継問題に決着が着かず、既に無くなってしまったらしいが、行き場を無くした永劫依代よりしろを求めて彷徨い続けたそうだ。


 それから、二百年と少し経った頃、

 ——がこの世に生を受けた。


 八重城は、偶然にも、突然変異の如くからの影響を受けやすい体質として生まれたらしい。

 現代においては、すっかり神職の補佐役へと役割が変化していった巫女だが、彼女は本来の意味で巫女の器を持って生まれてきたということになる。

 実際、ただそれだけのことであれば、依代となり得るだけのことであれば、普通に暮らし、とも深く関わることが無かったのだが、齢十五にして、ある事件が起きてしまったのだ。


 ——それは、八重城が中学の卒業式を終えてから、三日ほどが経った日のことだった。彼女は、友達と遊んだ帰り道、ささいなことから友達との口喧嘩へと発展してしまった。


 ——これが問題だったのだ。


 その際、友達へ向かって吐いた言葉は、「顔も見たくない」だった。

 その発言の次の瞬間…つまり、瞼を閉じ、そして開けた時、目の前にはもうその子はいなかった。ただ、その場から消えてしまったのだ。自宅の他にも心当たりのある場所をいくつか探してみたが、その子が見つかることはなかった。


 幸い、二日後に現地より十km程離れた山の中で、山道をドライブしていた人により偶然その子は見つかり、大事にはならなかったのだが、その子は何故自分が山の中にいたのかを答えられなかったという。

 また、八重城の目の前から消えた前後の記憶についても全くと言っていいほど覚えていなかったのだ。


 それからというもの、不定期ではあるが、八重城の発言は良いも悪いも、その言葉の通りに作用したそうだ。

 事象の積み重ねは、八重城が持つ、いやと共鳴したばっかりに持ってしまった言霊の力を、彼女自身が認識するに十分であった。

 八重城がその力を認識しだしたのと同じ頃、家族、友達、近所の住人からの態度も一変した。

 八重城と時を同じくして、周りの人間も彼女が持つ言葉の力に気づき、怯えていたのだ。


 次第に八重城の口数は減り、遂には話すことしなくなり、彼女自身で周りを遠ざけていくようになった。

 人との会話の中で、安易な発言をすれば、いつどこで言霊の力が及び、意図しない結果をもたらしてしまうかと考えると、言葉を口に乗せるという行動自体が恐ろしくなるのも無理はなかった。

 そして、そんな八重城を助けようとする者もまた、いなかったという。


 ——八重城は、僕や周りの皆をシカトしていたのではなく、僕たちの身を案じ、安易な会話を避けていたということになる……。

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