第4話 またこれだ


 ——9月29日火曜日16時48分、再びそれは起こった。


 クラスのお助け隊こと小鳥遊祭と、校門近くで会話を終えた僕と見ル野は、いつものごとく明治駄菓子店へ向かい歩いていた。

 ただでさえ月末で手持ちが僅少だったことに加え、月の初旬で散財してしまっていた僕は、次の小遣い日までの残数を逆算し、購入する駄菓子のシミュレーションをぐるぐると頭に巡らせていた。

 僕と違い、上等な財布を使っている見ル野は、いつもどの駄菓子にするかなんて迷うことはなく、その場の気分で、あまり深く考えず購入している。

 あの様子だと僕の三倍、いや五倍はありそうな小遣いから、たまには奢ってもくれるかなぁ、なんて淡い期待を抱き、目で訴えかける日もあるが、「僕たちの友情に、お金が入る隙を作りたくない」だのと言い、実際に奢ってもらったことはただの一度もない。


 「お、まいど。今日もゆっくりしてきなね」


 いつもと変わらない店主の挨拶だった。いつもと変わらない駄菓子の陳列、いつもと変わらない僕達の特等席。

 店前に乱雑に置かれた椅子の左から一つ目、二つ目……と、席が空いている日は決まってそこに座る。今日もお供を購入し、そこに座って放課後のひと時を満喫するはずだった。


 ——そのはずだった。

 

 椅子に座り、駄菓子の袋を開けようと、手元に目をやる。しかし、手にもっていたのは、シャープペンシルである。

 思えば、周りの雰囲気もおかしい。


 入学式の日の記憶が甦る……。


 僕の髪を靡く風は気持ちいぐらいに涼しさを感じさせた。時間は夕時前ぐらい、六限、或いは七限ぐらいか?

 先ほどまで、見ル野と一緒に明治駄菓子店で一服しようとしていた僕は、何故だか学校の教室で授業を受けているようだった。

 というのは、要するに自分でもこの状況の理解に苦しむ訳で……、言える事といえば、あの日の感覚に似ている、ぐらいなことだった。


 そうだ。見ル野、あいつは……あいつはどこに——。


 見ル野の席がある後ろ側へ、振り向き、存在を確認した。

 そこには、いつもと変わらない見ル野の姿があった。そして、僕の視線に気づいた彼は軽い変顔で返しをくれた。


 あの様子……、別に普通だな。僕がおかしいのか?僕だけが……。

 僕の視線は、見ル野から黒板に移すわけでも、手元のノートへ移す訳でもなく、無意識に、無自覚に、その視線は八重城へ向けられていた。

 そこで、僕はまた不気味な感覚に見舞われる。

 八重城が……、八重城もまたこちらを見ていたのだ。それは、こちらの視線に感づいたことにものによるものなのか、この状況を知ってのことなのか……、ただ、その瞳は、あいも変わらず透明で、僕のすべてを見透かしているようだった。


 ——授業の終わりを告げるチャイムが鳴る。


 〓


 「なあ、見ル野、お前どう思う?」


 放課後、僕は見ル野へ、駄菓子屋から時間が飛び、次の瞬間学校の教室にいた事について聞いてみた。

 当然、あの場には見ル野もいた訳で、二人で同様の体験をしたと思ったからだ。


 「どう思うって、何を?」


 「何を?って、え?」


 え?……である。見ル野もあの場にいた訳で……当事者であった訳で……同じ体験を……え?


 「え?じゃないよ。恋、人に質問する時は、その人にちゃんと答えて欲しいことが伝わるようにしないと駄目ないんだぜ。じゃないと、その人も困っちゃうからな、今の俺のように。はい、もう一度どうぞ」


 見ル野は分からないんだ。さすがに冗談で言っているようには見えない。


 「あ、ごめんごめん。この前、校門近くで、祭に会った日、帰りに駄菓子屋行ったじゃん?あの駄菓子屋で、何か変わったことあったか?」


 質問を少し変えてみた。


 「あー、三日前の。別に何にもなかったけど……普通に少しダラっとして帰ったじゃん。ん、いや、あったわ。帰り道にちょっとエッチな本落ちてたじゃん。あれ、お前ん家だろ今?あの時のジャンケン、恋、後出しっぽかったよなあ、今度見せろよ。ははは」


 「三日前?それ本当か?」


 「嘘つかないよ。恋、大丈夫か?ちょっと疲れてる?」


 疲れている。確かに僕は疲れている。三日間も記憶が無いなんてことがあるか?頭をフルに回転させても、駄菓子屋以降、いや、駄菓子を食べるため席に着いた瞬間以降、教室で授業を受けるまでの一切の記憶がないのだ。

 これは、ちょっとおかしいとかいう次元ではない。怖い。病気だ、間違いない。この足で病院へ向かうのがこの場合の正しい判断だ。


 ——思い立ったが吉日。


 僕は見ル野に、今日は家の用事があって帰りが別方向になると伝え、その足で病院へ向かった。


 足が重い……。この症状を病院側がまず理解してくれるだろうか、馬鹿にしないだろうか、頭がおかしいと思われ、精神科医を紹介されないだろうか……。

 そう思うと、病院への足取りがいっそう重くなった。まるで、どっしりと、ぐったりと、べたべたとした気持ちが、そのまま重石となり、両の足の枷となっているようだった。


 それでも、ゆっくりではあるが、少しずつ病院へ近づいていた僕の足を、ある女が止めた。


 ——八重城よなぎ。


 女というのは、八重城だった。女は話しかけるでもなく、ただ、前へ現れ、じっと僕を見ていた。


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