第2話 見ル野寧舟


 ——あれから一週間が経った頃、入学式の日のことが頭から離れなかった僕は、八重城に話かけてみることにした。


 「やあ、やえしろさん?チョットイイ?」


 緊張して変な喋り方になっていただろうことは容易に想像できる。


 しかし、一週間越しの僕の答え合わせは、残念ながら叶わなかった。

 周囲でこの様子を見ていた人がいたのであれば、さぞかし僕を哀れむだろう。


 ——シカトだった。


 八重城は僕に一瞥もくれることなく、ブックカバーに包まれ活字がぎっしりと詰まった本を、何事もなかったかのように読み進めているのであった。

 八重城のシカトは、僕を撃退させるに十分なダメージを与え、75%あった僕の憂鬱な気持ちの内、35%を「八重城コワイ」に変換させる付帯効果も持ち合わせていた。

 さらに言えば、これが八重城と距離を置こうと決めたきっかけにもなった。


 ——あれから、もう半年近くが経つが、八重城のそんな態度はどうやら僕にだけではなかったようで、他のクラスメイトも八重城に近づこうとはしなかったし、会話をしたことがあると話す者もいなかった。


 ——でもやっぱり、あの日のこと、気になるな……。



 「————さん?かな、」


 「よも——さん!」


 「おい、よももえ!ボケッとするな!」


 よももえ?誰に言っている?

 教卓に目をやると、歴史の横峰が僕を睨んでいた。ああ、いつものか、世、百、柄、この並びからなる苗字で、違う、全然違う、僕の名前は、よもすがら、世百柄よもすがられんだ。


 「先生、釈明させて頂くと僕はボケッとしていた訳ではありません。先生が僕の名前をなどと、どこかの売れない女芸人のような名前で呼ぶものだから、それが僕を指した名前であると思わなかっただけです」


 ボケッとしていた訳ではないというのは正しい。但し、授業を聞いていた訳ではなく、八重城について考え事をしていたのだが……。


 「ああ、違ったのか、すまんかった。読み方を教えてくれ、フリガナをふっておく」


 「よもすがら、です。ちなみに、下の名前は恋と書いて、れん、と読みます。蛇足ですが、先生が僕の名前を間違えたのはこれで4回目です」


 「そうだったか?そんなような気もするが、もう大丈夫だ。で、世百柄、室町時代の——」


 ——チャイムが鳴り響いた。

 そしてこのチャイムは、今日最後の授業の終わりを告げるものでもあった。


 「続きは、また今度だ。号令」


 「起立、気をつけ、礼」


 僕は礼を終えると、机の上で開きっぱなしになっていたノートの余白に『歴史の横峰は名前を覚えない』と書いておいた。僕の中途半端な成績はこういうところからなんだろうなと我ながら思うが、僕は自分のそういう所が嫌いではなかった。


 〓


 ホームルームが終わり、皆三々五々にクラスを離れる。体育館、校庭、音楽室と、皆それぞれの目的のため、活動のため、それぞれの場所へ向かった。

 入学して半年、僕はというと、帰宅部になっていた。言い換えると、”自分探しの旅人”ないしは”囚われざる者”となるが、まぁ、あんまり長ったるいのも人に説明する際面倒くさいので、帰宅部でいい。

 なぜ部活動に入らなかったかと言われれば、特にこれといった理由はないが、しいていうならばというのがこの場合の答えになる。

 

 ——帰るか。


 「恋、帰ろうぜ」


 僕の肩を軽く叩き、声をかけてきたのはおそらく見ル野だ。

 ゆっくりと振り返ると、ほっぺたに見ル野の人差し指が刺さった。


 「お前、ひっかかりすぎ、そろそろ学ぼうぜ」

 

 相変わらず、くだらないことをしてくるやつだ。

 

 ——彼の名前は、見ルみるの寧舟ねいしゅう

 

 僕とは高校からの付き合いだ。クラスメイトということで、同じ帰宅部ということで、一緒につるんでいる。

 まだ、あまり見ル野のことを深くは知らないが、どうやら父親は一代で財を成した、それなりの金持ちらしい。当然、息子である見ル野も何不自由ない生活を送っている、と思っている。


 「ひっかかってあげたんだよ。もし、手が置いてある方と別の方から僕が振り向けば、お前にきっと、沸々と悲しみの気持ちが沸いてくるだろうからさ」


 「いや、別にそんな悲しくはならないけど」


 僕と見ル野は、帰り道の途中にある駄菓子屋に、大体二日に一度は立ち寄っている。

 名前は明治駄菓子店というのだが、店主の親父が言うには、店を出したのは昭和からとのこと。

 ——『明治って書いちょった方が、古くから続いてる、歴史ある駄菓子屋って感じで良いがや』、とのことだそうだ。

 今となっては十分、老舗な訳だが……、当時、新参者だったものが生き残っていくための、しょうもない浅知恵が今もなお、ここで駄菓子店を経営し続け、僕や見ル野にアイスバーやよっちゃんイカを提供している……かも知れない、と考えると、ある意味感慨深いなあとも思う訳で、僕はアイスバーにかぶりついた。


 「あ、当たった」


 「まじ?恋この前も当たってたじゃん!」


 「日頃の行いが良いからな」


 「授業中、ボーッとしてることが?」


 「うるさい。おじさん!もう一本もらうね」


 僕は、アイスが入った冷蔵庫からさっきとは違う味のアイスを取り出し、続けて食べた。


 「で、授業中、なんであんなに八重城のこと見てたんだよ。それだろ?ボーッとしてたの」


 見ル野……僕を見てたのか。

 こいつは意外と感が鋭いって言うか、察しが良いと言うか、そういう所がある。付き合いこそ短いけれど、家柄的に人を見る目が、人より多少だが肥えている僕には分かる。


 入学式の日のこと……、見ル野に話してみようか。

 少々僕が変なことを言っても聞いてくれるくらいには仲が良くなったと思うし、思いたいし、それに見ル野は馬鹿じゃない。こんな感じのくせに成績も僕より良いし、地頭もいい。さすがあの父親の息子って感じだ。詳しくは知らないんだけれど。


 「見ル野……」


 「何?」


 「ちょっと変なこと言うけど、笑うなよ」


 「何だよ、笑わねーよ、話してみ」

 

 〓


 ——僕は話した。体験したこと、八重城のこと、自分が感じたままに、ありのままに話した。


 見ル野は笑わなかった、ほんの少しでさえも。

 そして、少し考えこみ僕へ言う。


 「んー、これはあれだな。捲土重来」


 「けんどちょうらい?」


 「要するに、もっかい攻めてみようぜってこと」


 「話聞いてなかったのか?どうせシカトだよまた」


 「俺も話しかけろ、とは言ってないぜ」


 「…………、というと?」


 「身辺調査……。誤解すんなよ?別に重箱の隅の隅まで調べるような真似はしねーよ。ただ、どうやったら綺麗な女子と会話できるようになるかなーって、調べてみるだけ」


 「…………見ル野、お前楽しんでるな」


 「少しだけな」


 実のところ、今僕のココロの家に住んでいる好奇心という住人も、目を輝かせながら出発の準備を進めているところだった。

 当然、このことを見ル野に悟られるのは格好が悪い。顔に現れてしまいかねない本心を偽りの仮面で巧妙に隠さないといけない。


 こうだな……。

 僕は表情を整える。

 うむ、我ながら上出来。


 「正直なやつ、まぁでも、モヤモヤするよりはいいか、通報されないように上手にやろうぜ。で、どうする?」


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