第28話 世界的な来訪者

 寒さ厳しい2月、日曜の朝。かじかむ手を擦りながらやって来たのは、地元では有名なライブハウスだった。本来なら閉店中なのに開放されているのは、待ちに待ったオーディションが始まるからだ。


「結構いるもんだな……」


 何十組もエントリーしているので、個別の控室なんか無い。どのバンドもあてがわれた通路の端に荷物を寄せ、開始時間が来るのを待っている。過ごし方もそれぞれ十人十色。手慰みにギターを弾いてるスキンヘッドの男、両膝を抱えてつっぷす赤髪の女、握り飯を食う着ぐるみのオジサンといった具合に。


 そんな騒がしい通路をさまよっていると、奥の方から声をかけられた。


「大葉君、ここだよ!」


 サヤカが手を挙げてアピールするんだが、間に居座る筋肉モリモリ集団が邪魔をして、姿までは見えなかった。身をよじらせて奥の方へもぐりこみ、ようやく合流できた。


「おはよう。ニイハルさんは?」


「それ私も聞こうと思ってた。何か連絡は入ってる?」


「いや、特に……」


「さっきから電話してるんだけど繋がらないの。どうしたんだろ」


 時刻は午前9時、待ち合わせ丁度の時間だ。


「もう少し様子をみようか」


「そうね。場所も入り口の方に変えておこうよ」


 ニイハルを探しながら通路を進んでいく。人波を掻き分け、窮屈さを連れて歩を進めると、前を数人の男達で塞がれた。何人かは見覚えがある。そして先頭に立ってふんぞり帰る小男は、もの凄く印象的なんだが、名前だけが出てこなかった。


「お前は……お前は、誰だっけ?」


「蔵物マスオ! 私の高貴なる名を忘れるとは良い度胸だな!」


「あぁそうだった、うん。元気?」


「馴れ馴れしくするな! 相変わらずフザケた男だ」


 マッスンの後ろに並ぶのは、ちょい前までメンバーだったシンイチとセージだ。シンイチはマッスンの後ろで鼻息を撒き散らしながら、低い声で言った。


「久しぶりだなサヤカ。あれからも冴えねぇガキとつるんでるのか」


「久しぶり、だなんて言い合う日が来なければ良かったのにね」


「ふん。こっちはすげぇぞ、何せスポンサーが付いたんだからな。オレ達の勝利は確実だ」


「だから何よ。お金がたくさんあったって、演奏には関係ないじゃない」


「あるんだよコレが。何せ今日は特別に、世界的プレイヤーを応援に呼んだからな」


 世界的プレイヤーだと!?


 シンイチたちの後ろには1人の男がいる。サングラスをかけているんだが、よく見れば確かに世界的ベーシストだった。まさかこんな地方のオーディションに世界的プレイヤーが来るなんて、思いもしなかったし、世界的プレイイングを聴けるのは幸運だ。とりあえずサインが欲しい。


「たとえ凄い人が入っても、良い演奏になるとは限らないじゃない!」


「つうかお前よぅ。人のチームの事より自分らの心配したほうが良いんじゃねぇの? 1人足りてないみたいだが?」


「……ニイハルさんの事?」


「関係ない話だけどよ、電車が止まってるらしいんだわ。復旧に半日はかかるとか言ってたな」


「あなた達、なにしたのよ!?」


「おっと人聞き悪い事言うんじゃねぇ。事故だよ、不運な事故」


「どこまで……どこまで汚い連中なの!」


 震えるサヤカを前に、マッスンが鼻を1度だけ鳴らした。それが合図なのか、シンイチはピタリと口を閉じた。


「ともかくそういう事だ。オーディションは潔く辞退したまえ」


「ふざけないで! そんな理由で諦めるなんて絶対嫌よ!」


「まぁ仮に受けたとしても結果は同じだ。私のコネクションで最優秀賞は決定しているのだから」


「なんですって?」


「ハーッハッハ、悔しいか愚民ども。これが金の偉大さだ、上流階級の為せる技だ。格の違いを知ったなら大人しく這いつくばっていろ!」


「は、ハロー。はうあーゆー?」


「ファイン」


「そーぐっど。えと、握手してください」


「馴れ馴れしくするなと言ったろう! もう行くぞ!」


 連中がぞろぞろと奥の部屋へと流れていく。あいつらは控室が有るのか、羨ましい。まぁ、そんな事も些細な話だ。


「どうしよう大葉君。このままじゃあ……」


 サヤカが悲痛な声を漏らす。だが申し訳ないが、それも今はどうでもいい。世界的ベーシストの手はごつく、温かで、手を離した余韻ですらも味わい深いのだから。今日だけは右手を洗うのを控えようかと思う。


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