第26話 魅了されて
ベーシストと知り合えたのはラッキーだと思う。しかも知り合いのドラマーまで紹介してもらえたのは、重ねがけでの幸運だった。一応はバンドと呼べる規模。ボーカルは居ないから、インストバンドとして活動する事にした。
これで心機一転、オーディションに向けてまっしぐら……とならないのは、切実な問題が横たわっているからだ。
「金がねぇんだよなぁ……」
そう、バンド練習するには場所が必要だ。サヤカはおいといて、バイトをしてないオレと、新メンバーも金欠気味だった。だから集まる場所は決まって公園のベンチになってしまう。
「参ったよねぇ。外だと電源が無いし」
「新波留(にいはる)さん。あんたも大学生だろ。バイトとかやんないの?」
「いやぁ、僕は何ていうか、労働全般が苦手でさぁ」
ニイハルは人の良さそうな顔を綻ばせたが、しれっとダメ男発言しているのを聞き逃してはいけない。ちょっと心配になるくらいの社会性だと思った。
「どうすっかな。オレもバイトして練習代を稼ごうか」
「でも大葉君。オーディションまで1ヶ月もないんだよ?」
「バイト代もらう前に話が終わっちまうか……」
はっきり言って手詰まりだった。こうなれば母さんを拝み倒して、小遣いの前借りをしてみようか。
そんな事を考えていると、不意に茂みの方から声をかけられた。
「フッフッフ。水臭いんだから、コータロくんってば」
「その声は、サメ子か?」
「ご明察。こんな事もあろうかと……あろうかと……。ちょっ、助けて!」
サメ子、被り物が枝に引っかかり登場にミスった。世話の焼けるやつ。
「おう、これで良いかトラブルメーカー」
「ありがとう……って酷いなぁ。せっかく良い話を持ってきたのに」
「何の事だよ」
「それはねぇ、着いてからのお楽しみ!」
そう言ってサメ子は公園の外を指差した。そこには今や見慣れた高級車が。
「どこに連れてく気だよ」
「別に変な場所じゃないったら。さぁ乗った乗った!」
いぶかしむオレ、面食らうサヤカとニイハルを乗せた車は、スムーズな動きでサメ子の家へとやって来た。ただし屋敷まではいかない。庭の一画に建つ、新品の小屋へと連れられたのだ。
「なんだこれ。随分新しい建物だな」
「えへへ。中を見てご覧よ」
「もったいぶりやがって……」
重く分厚い扉を押し上げると、思わず声をあげてしまった。
「これってもしかして!」
「そう、音楽スタジオだよ。コータロくんが喜ぶかと思って造っちゃいました」
「マジかよお前……」
中は圧巻そのものだ。学校の教室くらいあるスペースには、高額機材がズラリと並んでいた。壁際に主要メーカーのアンプが多数、トラムセットは贅沢にも2台、ミキサーも大型でツマミだらけだ。さらには壁に大鏡が貼り付けられ、天井にもライトやミラーボールまで設置されている。
一部要らねぇものまであるが、最高の環境だろう。
「もしかしてココを貸してくれるのか?」
「もちろん。その為に建てたんだもん」
「なんつうか、助かる。正直すげぇ嬉しい」
「気にしないで。こちらこそコータロくんを管理するのに丁度良い訳だし」
「おい、管理って言ったか?」
「さぁさぁ時間がもったいないよ。存分に練習しちゃって!」
「ごまかすなコラ」
不穏な一言はさておき、早速借りてみた。サメ子の台詞じゃないが、実は割と切羽詰まっている。オーディションに向けて新曲を固めておく必要があるからだ。
1曲とはいえ、真剣に作るとなれば難航した。あれは良いこれも良いと、遅々として進まないのだ。
「はぁ、結構大変だよな」
「そうだね。でも大葉君がアイディアたくさん出してくれるから、スムーズな方だと思うよ」
「あと1人くらい居ても良いんだが。メロディを歌ってくれそうなヤツ」
「だったらお友達はどうなの? キレイな声してるけど」
「……やっぱりそう思うか」
サヤカの視線の先には、壁際に座るサメ子が居た。オレ達の疲弊なんか知らん風で、楽しげにも鼻歌を披露していた。
「なぁサメ子。ちょっと歌ってみてくんない?」
「あれ? もしかしてメンバー入り?」
「そういう訳じゃねぇよ。うちはインストバンドだからボーカルは要らない。でも曲作りは手伝って欲しい感じ」
「はぁ、ワガママな人。でも頼られるのは嬉しいね」
サメ子はマイクを用意するなり、仮歌として参加してくれた。インストだから歌詞はない。延々と「キュッキュ」だなんて詞で歌ってもらう事になったんだが。
――こいつ、センスはすげぇんだよな。
美しく伸びやかな旋律。触れたら壊れそうな、それでいて柔らかさもある高音の吐息。そこにオレの音が絡み合う。相手にちょっかいを出すように、寄せては引く事を繰り返した。
サメ子の声が低音域に落ちていく。強いが、爽やかで安定感のある響き。しかし苦手な音域なのか、リズムはやがて不安定になり、オレの音から逃げるようにズレていく。
――クセが強いな、先が読めない。
サメ子を追いかけるうち、いつの間にか奏でる音は取り決めから外れていた。未知なるフェーズに突入していて、後は個々の感性に従う感じになる。
つまりは自由だ。心に浮かぶ音を、快感を求めて指が走り出す。美しい。響きを全身に。もっと、もっとだ。
快楽の扉が開く。更なる高みを目指して昇っていく。感じるのは魅惑の旋律。その尻尾は掴めそうで掴めない。もう少し、あとちょっと。そうしてのめり込んでいると。
「はい、1回止めます!」
サヤカが掌を強く叩いた。その瞬間、我に返る。
「あれ、なんで……?」
「大葉君。熱中するのもいいけど、私達を置いてかないでよね」
「そうそう。僕らがメンバーであって、サメの子はお手伝いでしょ?」
「あ、うん。そうだよな。ゴメン……」
「じゃあ仕切り直しね。サビ前のフレーズから始めよっか」
サヤカの言葉で曲作りは再開された。オレも慌てて譜面を追う。しかし、なぜか胸の高鳴りが邪魔をして、その日は集中できなかった。
あの演奏は何だったのか。新感覚な刺激を感じる一方で、途方もない安心感まであった。何がそこまでオレを。そう考えるだけで、心はどこか他所へと向いてしまうのだった。
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