第23話 文学少女の拳が燃える

 新学期初日。ダルいなんてもんじゃない朝は、比較的静かなものだった。教室にサメ子が居ないからだろう。


「遅いなアイツ……寝坊したとか?」


 本日一発目の予令が鳴った頃だ。校門の先に黒塗りの車両が集まり、そこから何人もの男たちが降りてきた。その一団はサメを囲むようにして敷地に入り、昇降口を目指して歩いていく。


「何事だよ、騒がしいな」


 やがてサメ子が教室にやってくると、真っ先に挨拶を投げかけてきた。


「コータロ君おはよう!」


「お、おう。それよりもどうした。あんな大勢引き連れて」


 辺りを見回してみると、いつの間にか男連中は消えていた。校門前の車も、すぐに走り去りそうな気配がある。


「あれね、お父様が護衛を連れていけって言うから」


「何だよそれ。まさか毎朝やるつもりか?」


「しばらくはそうなるかな」


 教室の中は珍しくも、水を打ったような静かだ。みんな圧倒されたに違いない。


「みんな驚いてんじゃん。もうちっと周りに気を遣えよな」


「そうしたい所だけど、最近はなんだか危ないんだ。ホラ、この前の初詣にさ、ゾーブツマスゾーって人いたでしょ?」


「ゾウモツマスオな」


「そう、その人なんだけどね、凄くしつこいの。電話とか、アプリのメッセージとか」


「マジかよ。あれだけの事があったのにか」


「あと、関係あるかは分からないけど、家の周りを調べてる人がいるの。ちょっと怖くなっちゃってさ……」


「なるほど。それなら納得かもな」


 話し込んでいるうちにベルが鳴り、先生が教室のドアを開けた。この瞬間より雲の上の話は霧散して、オレの慣れ親しんだ日常が幕を開ける。数学に物理、日本史や生物。それら全科目はあくびと共に聞き流し、やがて放課後を迎えた。


「なぁサメ子。護衛の連中って、どっかに待機してんのか?」


 部室に向かう途中、ささやかな疑問をぶつける事にした。


「ううん。お願いするのは登下校の時だから、今はお家で待ってるよ」


「それにしてもスゲェ数だったよな。雰囲気も強烈だし、映画の一本も撮れそう」


 部室のドアを開けてみると、既にリサとゲンゾーが待っていた。本とスケッチブック。いつもすぎる光景だ。


「やぁ部長、大葉くん。明けましておめでとー」


「おめでとうゲンゾー君!」


「おめでとう。そっか、ゲンゾー達と会うのは今年初めてか」


「そうだよ。よろしくねー」


「おうよ」


 じゃあリサも同じだな。一応新年の挨拶をしたい所だが、ヤツはそんなつもりは無いらしい。


 いや、オレと喋る気はあるみたいなんだが、それはご挨拶には程遠い要求だった。


「大葉君、良い所に来たわね。一曲弾いてちょうだい」


「いきなり何だよ?」


「今読んでいる所、凄く良いシーンなの。だから12月8日の5回目に弾いた曲をお願い」


「はぁ? いちいち覚えてねぇよ」


「それとテンポをゆったりめにして、余韻を長めにとって貰えるかしら」


「だから覚えてねぇっつの!」


 割といつも通りだ。それが鬱陶しくもあり、どこかムズ痒くて、何とも言えない気分にさせられた。


 だがその時だ。窓の向こうから、異物としか言いようのない罵声が飛んできた。


「大葉航太郎、出てこいやオラァ!」


 質の荒い、キンと響く嫌な声。拡声器特有のものだった。


「隠れてないで出てこいボケがぁ!」


 校門の方を見ると、何十台ものバイクがあり、いかにもタチの悪そうな連中が集結していた。全員が髪を赤だの金だのに染めてるんだが、ウチの生徒よりは地味だと思うあたり、この奔放念高校は異常なんだと確信する。


「ねぇコータロ君。随分とヤンチャな友達がいるんだね」


「んな訳あるか。あんな連中知らねぇよ」


「じゃあ、何の用なのかな?」


「それも知らねぇ」


 ケンカに巻き込まれたとか、そういったトラブルは一度としてない。それこそこの瞬間を迎えるまでは、これまでの延長線みたいな感じだったのだ。


 その異物連中だが、応対しないオレに痺れを切らしたらしく、拡声器の音が割れる程に大きく叫んだ。


「この腰抜けが。野郎ども、やっちまえ!」


「ウッス!」


 その号令とともに、木刀を持った男たちが暴れ始めた。植え込みを荒らし、グラウンドの女子マネージャーに掴みかかったりと、やりたい放題だ。


「大葉君、これヤバイんじゃないかなー」


「そう思うならゲンゾーが止めに入るか?」


「まさか。先生……じゃあ無理か、警察呼ぼうよー」


「だな」


 オレの指先はスマホの上を滑らかに滑り、110とタップした。あとは通話を押すだけなんだが、そこで新たな異変が起きた。


 バンと強く叩かれた部室の机。リサだ。怒りを露わにしているのが、顔をうつむかせても良く分かった。


「うるさいわね、ギャアギャアと。うるさいわね、ピイピイと……!」


 地獄の底から溢れ出た様な声を漏らすとともに、震える指が眼鏡を掴んで、机上に添えられた。


 そして事態は動き出す。


「せっかくの余韻が台無しじゃねぇか、クソどもがぁーーッ!」


 咆哮、そして疾走。唖然とするオレ達を残して、リサは光の速さで駆け抜けていった。


「大葉君、これはいよいよ危ないんじゃないかなー」


「危ないって誰が。早河が? それともほかの生徒達?」


「早河さんって確か超強くって、野生の虎をブチのめした事があるとか、ないとか」


「それは危ないな、不良達が」


「急いで助けに行かなきゃ」


「おっ、そうだな」


 オレ達は走った。すべてはリサの狂気から不良達を守るために。いや、無法に暴れまわってる奴らを守るとか意味分からんが、とにかくそんな使命感に駆られたのだ。


「早河のやつ……もうあんな所に」


 こっちが靴を履き替えた頃にはもう、アイツは校門の前に突っ立っていた。不良のリーダーと向き合っている格好だった。


「なんだテメェは。オレ達と遊びてぇってのか?」


 男の手が無遠慮に伸びる。それは煮えたぎる油にダイブするような愚行だ。


「やめろ、その子に触るな!」


 思わず叫んでいた。


「ハッ。大葉、来るのが遅ぇよ。テメェをブチのめした後、この女もたっぷり可愛がってやる……」


 その台詞は最後まで聞けなかった。リサが拳を振り抜いたからだ。殴った瞬間は眼で追えなかったんだが、アイツが見せた残身から、殴ったと理解できただけだ。


 相手の男はもうその場にはいない。代わりにというか、その背後のブロック塀は無残に崩され、男の足が天を向くように投げ出されていた。勝負は一撃で終わったらしい。


「テメェ、よくも親分をーーッ!」


 取り巻き達が定型文を叫びながらリサに襲いかかった。だが、それは予想通りの展開となった。


 無策に振り回される木刀は宙を裂き、地面をえぐるばかりで、リサに掠りもしなかった。そのうち1人2人と吹っ飛ばされていき、最終的にはほとんどが辺りに倒れ伏した。


「ひぃぃ、化け物だ!」


 『生存者』はバイクに駆け寄って逃げたかったらしいが、リサの方が数段は素早かった。そのうちの1人を確保すると、オレ達の方まで引きずってきた。


「チョークスリーパーかよ。そろそろ離してやれ」


 捕まった男の顔は真っ赤に染まっている。そしてリサから解放されるなり、膝をついて激しく咳き込んだ。


「さてと。お前は捕虜になった訳だが、分かってるよな?」


「えっ、オレに何を……」


「説明しろって事だよ。これは何のつもりだ?」


 何か少しでも因縁があるなら理解できるが、誰一人として見覚えすら無い。赤の他人というやつだ。


「いや、その、オレは詳しく知らねぇんだ。ただ、ホンコーの大葉ってヤツを拐えば、とあるお方から大金が貰えるって聞いて」


「大金……ねぇ」


 金を使って攻撃してきそうなヤツ、それは蔵物(ぞうぶつ)の野郎くらいしか心当たりは無かった。


 後ろに佇むサメ子を見ると、コクリと頷き返された。同感ってところだろう。


「なぁ、オレは下っ端だから、大した事を知らねぇんだ。だからこのまま帰してくれよ、頼む」


「なに言ってんだお前。そんな戯言が通るとでも思うのか?」


「ひっ……オレに何するつもりだぁ」


 その時、サイレンが鳴る。赤いパトランプもだ。


「ほら、警察が来たぞ。続きはお巡りさんとでも話すんだな」


「えっ……?」


 悪いことをしたら償う。当然だよな。


 ちなみに現れた警察は、状況を目の当たりにすると絶句した。暴れまわってるはずの不良たちは、そのほとんどが気絶させられていたからだ。


「男達が暴動を……と聞いて来たんだがなぁ」


 捕まえた不良は、足を滑らせながら警官に掴みかかった。


「おいポリ公、そこの女だ! そいつが1人で皆をブッ飛ばしたんだよ」


「この大人しそうなお嬢さんが……?」


 2人組の警官はリサを見るなり、小さく笑った。


「お前なぁ、嘘をつくならもう少しマトモなやつにしろ」


「ち、違う! 嘘じゃねぇって!」


「おおかた、仲間同士でケンカでもしたんだろう。木刀まで持ち出すだなんて、最近のガキは加減を知らないんだな」


「だから、犯人はその女なんだってのーー!」


「分かった分かった。続きは署で聞くからな」


 こうして不良達は、順次パトカーやら救急車やらに詰め込まれ、どこかへと連れ去られていった。


 事態は無事解決。オレ達の安全は取り戻された。だがリサの華奢な背中を眺めながら、どこか釈然としないものを感じられて仕方がなかった。


 

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