第19話 クリスマスを目前に

 期末テストをどうにか無難に終えたオレは、残りの日数を指折り数えていた。冬休みまであと何日かと。そして指が全て折りたたまれた時、年内最後の登校日を迎えた。


「はぁーー、2学期もこれでおしまいかぁ」


 椅子で床をこする音が幾つも重なる中、オレは大きくノビをした。この達成感は割と好きだった。


「コータロくん。一緒に帰ろうよ」


 サメ子がオレの周りを回遊しだす。視界を侵す背びれは漁船を狙う姿のようだ。1度でもこのフォームを決められたら逃れる術はない、経験からそう学んでいる。


「いやぁ、めっきり寒くなってきたねぇ」


 帰り道でサメ子が言う。オレは大きな口を開けて、腹の底から息を吐いてみた。それを真っ白に染めるには温かすぎる。まだ陽も高い時間だ。


「ごめんね、今年のクリスマスを一緒に過ごせなくて。明日、お父様が東京でパーティを開くんだけど、そのついでに旅行するぞーなんて言い出しちゃって」


 サメ子の台詞が脳内を駆け巡っていく。そして、いくつも駆け巡った言葉のうち、口から飛び出したのはシンプルなものだった。


「うん、そっか。楽しんで」


「お土産いっぱい買ってくるから」


「ありがとよ」


「本当にごめん。来年こそは一緒に祝おうね……」


 サメ子が窺うように顔を向けた。オレはもう我慢の限界だ。胸の内のわだかまりが、感情そのままに飛び出してきた。


「いや、だから、なんでオレと過ごして当然みたいな言い方すんだよ」


「こうして外堀を埋めといた方が、後々楽かなと思って」


「訳わかんねぇこと言うな」


「さぁて。駅前まで来たことだし、カフェに寄ってこうよ」


「ごまかし下手か」


 サメ子は商店街を一望してみたが、すぐに肩を落とした。何せあちこちの飲食店は人で溢れかえっていたからだ。


「みんな考える事は同じだよな。ちょっとコーヒーでも飲みながらって感じか」


「ムムム……せっかくのひとときを」


「つう訳でお疲れさん。次に会うのは新学期……」


「ねぇ、あそこなら空いてそうだよ!」


 サメ子はオレの腕を抱きしめたままで走り出した。コイツ、見かけによらず腕力が。


「ここは、個人経営の店?」


「そうみたい。ねぇ入ろうよ、雰囲気がオシャレじゃない」


「高そう、絶対高いだろ」


「アイスコーヒー400円からだって、全然だよ」


 このブルジョワジーめ。コーヒーなら近くの自販機で90円なのに、その数倍も出せと言う。オレの小遣いは月5千円だぞこの野郎。


 もういいや、注文する直前に逃げてやろう。そんな企みとともに入店、サメ子と並んでカウンターに腰を降ろした。だが、タイミングを見計らうどころか、店員の姿に気をとられてしまった。


「ゲンゾー!? お前何してんだ!」


「いらっしゃーい。見ての通りバイトだよー」


 紺のエプロンは妙に似合っていて、とても同世代には見えなかった。それにしても、いくつバイトやってんだか。


「へぇぇ。カフェの店員さんかぁ。なんかイメージに合ってるね」


「ありがとうー。お客さんの評判も良いし、自分でも向いてる気がしてるんだー」


「そうなんだ。コーヒーいれるのが上手なの?」


「評判なのはこのメニューだねー」


 そう言ってゲンゾーは「カフェラテ。アート付き+500円」の所を指した。そんな事も出来るのかと驚かされる。


「面白そう! じゃあ私はこれで!」


「はいよー。大葉くんはどうするー?」


「オレは、その、アイスコーヒーで」


「はいはーい。しばらくお待ちをー」


 逃げる機会を見失った。でも、ラテアートには興味有るので、見物料と割り切って待つことにする。


「はい、おまちどーさま」


「うわぁスゴイ! ジンベイザメちゃんだぁ!」


 カフェラテは確かに眼を惹くほどの出来栄えだった。躍動感溢れるハンテン模様のサメは、今にも狭い器から飛び出しそうに見える。


「それにしても、今日みたいな日もバイトしてるの? 大変だね」


「学校は午前中で終わりでしょ。だからシフト入れてもらったんだー」


「そうなんだ、随分がんばるんだね。貯金でもしてるの?」


「いやいや、うちは貧乏だからね。週に5日はバイトしてるよー」


「5日も!?」


「だから部活にあまり参加できてないんだぁ、ごめんねー」


「うん、そこは気にしないで……」


 どうりであまり見かけない訳だ。オレはてっきり変人共に嫌気が差したのかと思ったが、そうではない。切実な事情があったわけだ。


 同年代の友達があくせく働くのがショックだったんだろうか。サメ子は肩を落としながらラテをすすった。妙に響くと思うのは、場の空気がそうさせるのか。


「ちなみにゲンゾーくん。さすがにクリスマスはお休みだよね?」


「とんでもない、それこそ稼ぎどきだよ。小学生の弟にサッカーボールでもと思って頑張ってるけど、今年は無理かなぁー」


「そ、そうなんだ……」


「26日の朝に言うつもりだよ、サンタさんが忙しくて来れなかったってねー」


 ゲンゾーは控えめな声で言うなり奥の方へと足を運び、そのまま倉庫らしき扉を開けた。屈んだ背中が少しばかり小さく見える。


 これほどバイトしてるのにプレゼントも買えないとは。胸に刺さるような重たさは、俗に言う世知辛さというヤツなのか。


「ねぇコータロくん、可哀想だよ!」


 サメ子が唐突に顔を寄せ、強く耳打ちした。咄嗟に反応出来なかったら尾ビレで頬をやられる所だった。


「オレも可哀相とは思うけどさ……」


「ゲンゾーくんはこんなに頑張ってるのに、たくさん働いてるのに報われなさすぎだよ」


「確かにキツイよなぁ。弟にプレゼント無しって告げるのは」


 ゲンゾーの様子からすると、精一杯に稼ごうとしているようだ。それでも期待に応えられないってのは、さすがに辛いものがあるだろう。


 サメ子は同情心の現れか、背びれの先で円を描いた。しばらくグルリグルリとかき回し、ピタリと止まったかと思えば唐突な事を口走った。


「サンタさんになろう」


「何言ってんだお前」


「だから、私達がサンタさんになってあげるのよ。弟くんとか喜びそうなの用意するの」


「お前は家族旅行を控えてんだろ。クリスマスには間に合わない……」


「だから今夜。これから準備して決行するよ」


 サメ子がオレの腕を強く引いた。有無を言わせる気は無さそうだ。


「ゲンゾーくん。お代はここに置いておくから、きっちり2人分!」


「忙しないなぁ。次はもうちょっとノンビリしてってねー」


「ごちそうさまでしたー!」


 言われるまでもなくノンビリしたい。次回どころか、今すぐ戻ってソファで身体を休めたい。


 だが謎スイッチの入ったサメ子は止まらない。完全なトランス状態のまま、人波を掻き分けながら商店街を駆け抜けていった。


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