第18話 男子のおうち

「あれ。今日は誰も居ないんだねぇ」


 薄暗い部室の明かりをつけると、人の居た気配は見つからなかった。パイプ椅子がきっちりと机に押し込まれている。誰かが使ったなら、雑に飛び出してるハズだった、躾のなってない連中だから。


「ゲンゾーはバイトがあるってさ。すぐ帰ったぞ」


「そうなんだ。ニーナちゃんは忍具の買い出し。リサちゃんは試験勉強って言ってた」


「言われてみりゃ、もうじきテスト週間だよな」


「そうだねぇ」


 ここでオレが出した結論はシンプルなものだった。


「じゃあ、帰るか」


「どうして!? せっかくの2人きりだよ?」


「せっかくって何だ。そろそろ勉強しなきゃマズイだろ」


「そんなのマジメすぎるよ! 普段出来ないアレコレを試すチャンスじゃないの!」


「んなもん有るか。オレは帰るぞ」


 サメ子は納得いかないようで尾ビレを激しく揺らした。それは威嚇のつもりなのか。


「分かった。じゃあコータロくんちでテスト勉強しよ」


「何でそうなるんだよ!」


「良いでしょ良いでしょ、どんなとこに住んでるのか気になるんだもん」


「別に見ても面白くねぇよ。勉強なら図書館でもやれるだろうが」


「それでも見たい、見たいのーー!」


 ウザイ、割とマジで。適当に撒(ま)いて逃げようかとも思うが、コイツの身体能力はかなり高い。それだったら無駄な体力を使わない方を選ぶだけだ。


「けっこう遠いぞ。途中で文句言うなよ」


「やったぁ! コータロくんってほんと優しいよね」


「うっせぇ。とりあえず来い」


「はぁーい。付いていきまーす」


 それから駐輪場にやって来たのだが、チャリは1台しかない。サメ子はもっぱら車による送迎だった事を思い出す。


「どうすっかな。2人乗りなら楽だけど……」


 オレが運転して、サメ子を後輪の金具に立たせたら、比較的早く帰れる。だが高架下を通る時、天井にサメの腹をぶつけるだろう。更には自宅近くで長い上り坂が待ち受けている。


「押して帰るぞ。歩きなら30分くらいの距離だ」


「自転車に乗らないんだね。その方が長く一緒に居られるもんね」


「そんな理由じゃねぇよ」


 そうしてオレ達は、学生で賑わう駅前通りを並んで歩いた。サメ子の異名が轟いてるのか、他校の生徒すらも道を空けてくれる。そこそこ恥ずかしい。


 やがて住宅街に入り、坂を登っていく。サメ子は文句のひとつもこぼさず、それどころか、どこそこの庭が可愛いとかご機嫌だった。オレの疲弊も知らずに。


「へぇぇ。ここがコータロくんの家なんだぁ」


「はぁ、はぁ。すっげぇ疲れた」


「だらしないなぁ。もうちょっと鍛えた方が良いんじゃない?」


「オレはチャリを押してんだよ。ついでにお前の荷物まで背負ってんの!」


「ありがとうね。コータロくんのお陰で、私は今日もニッコリできるの」


「お前のせいでオレはぐったりだよ」


 チャリを置くなり玄関を開けて、いつものように「ただいま」と言った。すると母さんがリビングから顔を覗かせた。


「おかえりなさいコータロー……って。何か変なの居るぅーー!?」


「そこまで驚くなよ。サメ好きの友達を連れてくって電話したろ」


「想像以上にサメすぎんだろマジで! 息子がやべぇ女に興味持ちやがったお終いだぁーー!」


「参ったな、完全に錯乱してんぞ」


 この反応はさすがのサメ子も傷ついたか、それか腹を立てただろう。そう思ったんだが、事態は予想外の方へと転がった。


「突然の来訪をお詫び申しあげます。私、丘上佐江子はご子息と学び舎を共にする者でございます。本日は学習効率の向上を主な理由として参上した次第です」


「えっ、あれ。意外とマジメ……?」


「本来であれば手土産の1つもお渡しすべきところですが、諸事情につき、正式なご挨拶は後日とさせていただければ幸いです」


「あっ、いえいえ、ご丁寧にどうも。こんな汚い家で良ければごゆっくり」


「とんでもない事でございます。とても清潔にされている様子、おばさまはお掃除が達者とお見受けしました」


「そんなそんな、アナタは若いのにお上手ね。あとでお茶菓子を用意するから、とにかくあがってくださいな」


「はい。失礼致します」


 サメ子、まさかの口車。錯乱した母さんは結構手強いのに、随分と簡単に受け入れられたもんだと思う。やっぱり社交界とか、そんな場で鍛えられたんだろうか。


「うわぁ、男の子の部屋だ! 初めてきたよぉーー!」


 先ほどのお嬢様風味はどこへやら。6畳にも満たない部屋の中を、そりゃもう無遠慮に漁り始めた。


「ほうほう。これはプラモデルですな。やっぱりロボットものは外せないと」


「おいサメ子。頭に気をつけろよ」


「えっ、どうして……」


 振り向きざまに尾びれが引っかかった。棚に飾った小物が巻き込まれ、派手に四方に転がされてしまう。


「あっ。ごめんね、片付けまーす」


「だから気をつけろっての!」


「何が……ってウヒャァーー!」


 サメ子が屈んだ拍子に本棚までも被害を受けた。雑に収納したオレも悪いが、とにかく邪魔臭い被り物が諸悪の根源だ。


「もうさ、頼むからジッとしててくれよ」


「ごめんなさい。もうほんと、トラザメみたいに大人しくするから」


「ピンとこねぇよ、その喩(たと)えは」


 散らばったアレコレは壁ぎわに寄せ、折りたたみ式のテーブルを出した。普段は使わないものだが、今日みたいな日は勉強机に丁度良い。


「うわぁ……ほんと真面目だよね、コータロくんは。女の子を部屋に入れといて、真っ先に開くのが教科書って」


「そういう約束だったろ。つうか、授業についていけてなくてヤバイんだが」


「じゃあ私が教えてあげようか?」


「頼むよ、割とマジで」


 教科書を互いの間に挟んでの個人レッスンが始まった。この形、転校初日を思い出さなくもない。


 サメ子はそこそこ寛いでいるらしい。カーペットの上で姿勢を崩して、スカートの裾から足を覗かせながら、体をオレの方へと寄せた。


「数学の証明問題が分からないんだね。確かに取っ付きにくいよね」


「そうなんだよ。もう意味わかんなくてさ。数式解けってやつとは全然違うじゃん」


「うんうん。ちょっと驚かされちゃうよね。でもさ、こう考えてみてよ」


 サメ子の手によって、形の良い文字が描かれていく。


 お互いの距離はだいぶ近い。軽く触れ合う肩。近くまで寄せられた頬。そして髪が発する甘い香りに引き寄せられて……とはならない。


 これだけ女子が傍にいても無臭なのは、例の被り物が邪魔をしているからだ。良い匂いどころか、塩化ビニル的な人工物の臭いが鼻をついた。


「だから証明問題っていうのは、何を目的としてるか把握して……あっ」


 説明の途中で消しゴムが机からこぼれ落ちた。それはテーブルの真下、完全に視覚の位置にまで転がってしまう。


「ごめんね、今拾うから」


「おいやめろよ。お前はジッとしてろ」


「何をそんなに焦ってるの……」


 サメ子が窮屈そうに体を曲げ、テーブルに潜り込んだ時だ。


「大変、何か引っかかって身動きが取れない!」


「だから言ったろ、つうか早くどけよ!」


「それが不思議な事にね、全然動けないの」


 そんな事をノンキに言うが、オレ目線ではかなりの大惨事だった。サメ子の尻が丁度オレの腹に乗っかっていて、なんというか、発情中にしか見えない。


「んんーー、よいしょ。抜けたぁ!」


 サメ子の頭が机から飛び出した。思ったより窮地の脱出は早かった。だが本当のトラブルはここからだ。視界の端、震えて立ち尽くす母さんの姿が見えたからだ。


「ああぁ、勉強するって聞いてたのに、何してんの……」


「いや、誤解だって。そういうんじゃない」


「保健体育か! 保体の勉強を2人っきりでやろうってのか高校生が!」


「だから違うっつうの、サメ子もなんとか言え!」


 そこでようやく居ずまいを正したサメ子は、極めて滑らかな口調でこう言った。


「おばさま。何か誤解なされているようですが、サメの生殖器は人間とは別の所にありましてよ」


 よくもまぁ抜け抜けと。さすがにそんな言い訳は通らんだろ。


「あっ、ごめんなさいね。アタシったらつい……」


 いや、騙されるんかい! コイツは生身の人間だぞ、見りゃ分かんだろ。


「お茶菓子、ここに置いておくわね」


「ありがとうございます、頂戴します」


 それから足音が部屋から遠ざかると、サメ子がピースサインを送ってきた。いやピースじゃねぇし。お前のせいでオレは、変な子を連れ込んだ挙句、自分の部屋で変な事始める変な息子だって思われたじゃねぇか。


 とりあえず今晩の飯時が憂鬱そうだ。何をどうイジられるのか、きっと面倒な事になりそうだ。


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